「ヒトは環境を壊す動物である」
挑戦的というか魅力的な題名に魅かれて読んでみた。帯には「進化的必然!? 『わかっちゃいるけどやめられない』のはなぜか。環境問題を進化生物学の知見をもとに検証する」とある。
ちくま新書 452
ヒトは環境を壊す動物である
小田 亮 著 bk1、amazon
出だしは快調。とてもワクワクとした気分で読ませてくれる。「はじめに」、「第1章 『環境』とは何か」のあたりは、新鮮な視点も見られるし、地球環境問題というのは人間にとっての問題であり、地球にとってやさしい云々というのは欺瞞だ、という主張も、その通り!と素直に納得するし。
そして、第2章以降がいよいよ本書の中心部。ヒトという種がどのように生まれ、どのように進化して、どのように今の社会を作り上げてきたのか?について、お得意の進化生物学の視点で展開していく。進化生物学というのは、ドーキンスの「利己的な遺伝子」で有名になったもの。
第2章「人間はどのような動物か」、第3章「心の進化」、第4章「環境の認知」、第5章「公共財を巡って」、そして第6章「進化と環境倫理」へと繋がっていく。話の展開と、その流れで著者が言いたいこと、というのは、確かに読んでみると何となくわかる。
現代人は生物進化の流れの中ではまだ高々15~25万年前に出現したとされており、農耕を始めたのは、たった1万年前の出来事であった。進化生物学の教えるところによると、人間の心、社会、道徳、倫理といったものも、科学的に取り扱うことが可能であり、そういった推論を行うと、現代人の物の捉えかたというのは、数十万年以上前から人類が経験してきた環境や社会や生活に適した形にできあがっている、ということになる。つまり、高々ここ数百年の急激な社会環境変化には生物として到底ついていけてない筈で、それが環境問題を自分たちの危機としてうまく認識できていない理由だ、という結論に導かれていく。
まあ、確かに「現在の環境問題は我々の身の丈サイズを超えた問題である」という意見には同意するし、この本の中でゲーム理論や社会学的な実験を基に次々と明らかにされていく、現代人の本質は、その通りなのかもしれない。でも「こういう具合に説明することもできますよ」ということであって、本当に今の我々ってのは、心の問題とか判断の仕方といった点まで進化論的に説明されちゃっていいんだろうか?というのが根源的な疑問。今までいくつかの進化生物学による本を読んでみたけど、どうしても「こう仮定すると現状をこのように説明できます」って話以上に踏み込んでは納得できないんだよね。これは僕が勉強不足なんだろうけど。(もしかしたら最初に竹内久美子を読んでしまった反動かもしれない。)
てなことで、本書は良くも悪くも、進化生物学的視点で今の環境問題という奴を捉えてみると、こんな風に見えますよ、って本だ。地球規模の、しかも世代を超えた利害が関わる大問題を、従来と同じ枠組みで議論しようとしても、そう簡単にはうまくいかないですよ、ということも確かに言えそうだ。じゃあ、どんな落とし所にどうアプローチしていけば、人類共通のコンセンサスを得られるのか?なんて事はこれだけでわかる筈もない。でも、もしかしたらもう少し突っ込んで研究すると、地域間や世代間の利害調整をどうするのが良いのか?といった本当に知りたい問いへの答えが得られるのかも知れない、という淡い期待は持てたかも。
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