自動回転ドアの存在意義
今更ではあるけれど、今回(3/26)の事故について触れてみたい。時間と共に、初期のヒステリックな対応が一段落して、色々な背景が明らかとなってきて、問題の本質がどこにあるのかも見えてきたように思う。
そもそも、今回の事故は何故これほど大きな騒ぎになったのだろう? 全国に約500もある自動回転ドアを、毎日多数の人が利用していて、恐らく初めての死者が出た事故である。初めてだから、というのが最も大きい理由なのだろうけど、事情が明らかになるにつれて、理不尽な部分も見えてきたことも大きいと思う。
例えば交通事故の場合には、毎日多くの人が犠牲になっているけれど、「ブレーキをかけてから数十メートルも走ってから止まるような車を作ることはけしからん。」という意見は聞かれない。他にも多くの問題点があるけれど、車社会の危険性はある範囲で受け入れよう、という社会的な合意がなされていると考えられる。
エレベータやエスカレータの場合にも、「巻き込まれ・挟まれ事故」は何度もあるし、過去に死者も出ているけれど、利用者側が慣れたためなのかあまり問題にはなってない。そもそも最近の地下鉄なんかを利用しようと思えば、エスカレータなしの駅は考えられない。
回転ドアを設置する理由は、例えばこのページに詳しいが、どうみても設置する側の都合によるものだ。利用する側からすれば、ほとんど何もメリットがないと思う。(遊園地のアトラクション的な楽しみがないではないが。)バリアフリー面や非常時を考えても、通常のスライド式の自動ドアが一番メリットが大きいのではないか?(エアカーテンのみで、ドアが常時開いているのが一番という話もあるが。。)
となると、車やエスカレータとは、利用者自身のメリットという点で大きな違いがあるのではないか? 回転ドアの場合は、設置者側の都合によって、利用者側が一方的に理不尽なリスクを負わされていると言えるのではないか?(設置者側のメリットは、最終的には利用者側に還元されるのかもしれないけど、それは目に見えない。)
新聞の論調では、このシノレスというドアの問題点として、安全装置に死角があったことや、緊急停止作動後の停止までの距離が長いこと、或いは挟まれた時に、通常の回転ドアは扉が衝撃を緩和するように逆方向に動くのに、シノレスの場合は全く衝撃を緩和する機構がなかったという点も指摘されている。それと共に、以前から同様の事故が起こっていたのに、有効な対策が打てていなかったのも非難されるべきだろう。
追記:「シノレス」へのリンクが切れちゃいました。三和タジマさんが、該当情報を削除してしまったようです。(3/29の朝の時点まではあったのですが。ウェイバックしてみたのですが、残念ながらシノレスの図面は見当たらず。関連会社のアメリカのホートン社に似た製品があるようだけど。。)
ということで、今は、自動回転ドア全般の話ではなく、あくまでも、この特定のドアが問題になっていると考えられる。このドア固有の問題点については、適切な対策を打つなり、他の安全な形式のドアに代えることで、ある程度は解決するだろう。
ところで、機械を扱う職場に勤めた経験のある人なら、「回転物には手を出すな!」という標語を耳にタコができるほど聞いていることだろう。安全装置が付いているからといって安心はできないことも、この世界では常識だ。自動回転ドアに頭を挟まれて死亡することは無くすことができても、手や指を挟んでしまう可能性までを完全に排除するのは恐らく非現実的だろう。特にこんなに大型の自動回転ドアともなると、一旦巻き込まれたり挟まれた時の被害が大きくなることも十分に予想できる。
さて、だとすると、一体どこで折り合いをつけるのが良いのだろうか? 一般論としては、リスクゼロを要求することは間違いである、と考えているけれど、それはあくまでもリスクとベネフィットのバランスの問題である。果たして、利用者にとって直接のメリットがない大型自動回転ドアが、リスクを抱えたままで社会で生き残れるのだろうか? だとすると、それはどういう損得勘定によるものなのか、興味深く見守っていきたい。
*回転ドアの歴史の長い欧米を見ても、今回のような大型の自動回転ドアというのはないのではないか? 結局は、欧米並みに小型の回転ドアを多数設置するのが妥当な落とし所かな。。
*何故子どもばかりが事故にあうのか? というのも実は議論すべき問題点かもしれない。普通の大人ならば怖いと直感的に感じる物に対して、子どもが無防備に走りこんでしまうことが問題ではないのか。子どもはそういう珍しいものに好奇心を持つのだから仕方ないのか、それとも本来備えているべき本能的な危険察知能力が欠如してしまっているのか、或いは後天的に身に付けるべき、危険を避ける知恵を教えることができていないことが問題なのか?
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コメント
今回の森ビルについて・・・森ビルに限らず子供連れの親も自分の子供の安全を考えて手を繋ぐなどするべきではないだろうか。自己責任もあると思う。最近は何でも人のせいにするが、親だって子供の管理をすべきだと思う。自分の子供をほっといて管理もしないのはおかしい。色々と意見はあるだろうが、何故マスコミも親としての管理については言わないのか・・・
投稿: ご意見 | 2004/04/03 00:27
コメントありがとうございます。Web上では、親の責任を強く主張する意見もたくさん見られます。我々の身の回りには、昔は昔の、今は今の危険が常に存在しているのに、完全に安全が保証されていることを要求するような社会は、どこか不自然です。
聞いた話ですが、アメリカでは公共の場で子どもをひとりにしただけで、親が罪を問われる所もあるとか(詳細不明)。親の管理責任を法律で厳しく規定しているようです。
ところで、blogの出現で、多くの人が自分の意見や感想を「公共の場」に出して、意見交換をしたりするようになりました。多分、この流れが続けば、マスコミも、ネット上の議論を無視することはできなくなり、従来どおりの「自分達がオピニオンリーダーだ」というような姿勢は保てなくなるかもしれません。
投稿: tf2 | 2004/04/03 14:42
出入口をスライド扉で開閉する回転扉
出入口をスライド扉で開閉すれば危険性をスライド扉と同等に出来る。同様の考えによる回転扉は女性の発明家の方もして居られる。視線を変えて今まで目に見えていなかったところに解決の鍵はある。新規性を問う発明の常識と云うものだ。回転扉は危険だと決めつけてしまい、未来永劫日本は回転扉を使わないと云うのではあるまい。世界中で多く使われ安全な回転扉は求められている。技術立国日本をまだ標榜するのなら、安全な回転扉は日本で開発されるべきだ。
http://ameblo.jp/kimumasa1106/
投稿: 木邑 | 2010/10/05 10:28