「確率的発想法」
NHKブックスは時々読み応えのある面白い本があるけど、今回は帯の宣伝文句「予想的中! 天気予報からリスク論まで、先行きを見通す推論のテクニック」に興味を持って購入した。
NHKブックス 991
確率的発想法 数学を日常に活かす
小島 寛之 著 bk1、amazon
著者は数学科出身の経済学博士、現在は帝京大学経済学部の環境ビジネス学科におられる方。著書を探すと、大学教養課程向けの数学の入門書を出したりしている。まえがきによると、
確率的発想法とは何か。それは、不確実性をコントロールするための推論のテクニックです。不慮の事故や災害、失業や倒産など、自分に降りかかってくる不確実なできごとをはっきりと対象化し、それに適切な戦略をもつことなのです。武器となるのは何か。もちろん「確率」です。とある。なるほど、確率的発想法のエッセンスが満載って感じだけど、サブタイトルや帯の宣伝文句よりは、もっとずっとずっと学問的(で非実用的)な内容だ。
(中略)
本書が取り扱うのは、学校の確率とは別種の確率です。それは、世の中をとりまき誰も逃れることのできない不確実性という荒波に立ち向かう、そういう知恵を集大成したものなのです。そしてそれこそが確率的発想法に他なりません。
本書は数学をベースにして、日常のできごとから、経済、はたまた環境問題や社会設計の話題まで足をのばす、たいへん欲張りな本です。股にかける分野は、数学、統計学、経済学、論理学、社会思想と幅広く、また基本中の基本からここ10年ほどの最先端の研究まで縦横無尽に取り入れてあります。
第1部「日常の確率」と第2部「確率を社会に活かす」に分かれており、第1部は、ごく普通の確率論から始まり、フィッシャーの統計的推定、ベイズ推定、ノイマン&モルゲンシュタインの期待効用論と展開するが、何とかついていくことができたかな。しかし第2部になると、ナイトの不確実性、コモンノレッジ、ロールズの正義論、マックスミン原理、帰納的推論、過程法過去完了としての確率論、、といった具合に話が広がり、いつの間にか別世界に連れて行かれたような不思議な感覚を味わえる。数学的に難解なわけではないが、この世界まで来ちゃうと頭が付いて来られなかったような。
さて、本書が扱う確率論という奴は、いわゆる学校で習った確率を拡張したもので、扱う対象が、いわゆる不確実な事象だったり、人間の心理だったり、社会のあり方だったりする。何で、確率論で社会システムが論じられるのか? どうやら、人間が不確実な現象をどう認識しそれにどう対応するか、という問題を突き詰めていくと、社会がどうあることが最も受け入れられるか、という問いに応えられるということらしい。ある意味で、人間の思考や行動を数学的に取り扱う学問としての確率論といった位置づけで捉えるべきなのか。
第1部では、日常の確率の実例のひとつとして、中西準子さんの「環境リスク論」を取り上げている。中西さんのリスクベネフィット論は、人に対するリスクを損失余命という統一尺度を用いて算出し、リスク削減のための費用やリスクを許容することで得られる利益との比率で優先順位を見積もる手法として、野心的な試みと高く評価できるとしながらも、経済学の立場から次の二つの視点で批判している。
ひとつは、物の価値は市場が決めるのであって、リスクのある物の価格は市場がそれをどう評価するかで決まるという視点が欠けているというもの。具体的な例も出して説明してくれているが、本質的な批判というよりは、こういう見方も組み込んで改良すべき余地がある、という程度に思えるのだけど。。
もうひとつは、確率で求めたリスクがたとえどんなに小さくとも、人間はそのリスクを甘んじて受け入れる必然性はないので、代替手段があれば、積極的に回避するだろう、という点。例えば、日本のどこかのチョコレートに青酸カリが入っているという予告があれば、確率はゼロに近くても、誰も積極的に食べようとはしないだろうということを例に挙げている。 それはその通りだけど、この話と、例えばダイオキシン汚染された野菜を怖がる話は全然違うと思うけどね。(青酸入りチョコとダイオキシン汚染野菜では食べた時の被害の程度が全く異なる話で、これを同じ確率的リスクで議論すると明らかにおかしな結論にたどり着く。)
人間を対象としているという点では、例えばインフォームド・コンセントの例も出てくる。手術が成功する確率が90%と説明されて、納得の上で手術を受けたが失敗した時、それは患者の自己責任で片付けられる問題ではないと指摘する。つまり医者の側からは、多数の手術を行えば確率90%で成功するという客観的な意味かもしれないが、患者にとってはただ1度の手術が成功する確率は主観的な意味で受け取られ、ここにすり替えが起こるということらしい。
もっと簡単な例では、降水確率と傘を持って出るかどうか、の関係も似た話かもしれない。こういう具合に、人間の側が客観的数値をどう受け入れるかという問題は、既に確率論の枠組みを超えている問題だろうけど。敢えてそれを取り扱う試みのようだが、そこに無理があるように思えるのだが。
どう受け止めるかは別としても、このような立場での不確実性の取り扱い方は、いわゆる従来型の確率論や期待値でリスクを論じている人たちが、一度は立ち止まって考えてみるべき点かもしれない。もっとも、僕が読む限りは、あまりに人間の心理や内面に入り込みすぎて、科学的な論理として未完成なままのように思えるのだけど。
本書第2部の社会学方面への確率論の応用編については、ここで論じられている内容は確かに最先端の学問の一端なのかもしれないが、更にナイーブな話というか、前提の危うい学問だなあという印象が免れない。そもそもの前提となる人間の選好についても、既に僕には納得できない点も多いし、って僕が内容に付いていけなかっただけかも知れないけど。。 でも、新鮮な話が読めたし、知らなかった話にもたくさん出会えたから、満足。
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