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2004/05/16

「悪魔に仕える牧師」

ドーキンスの新刊が2冊ほぼ同時期に発売ということで、「盲目の時計職人」と「悪魔に仕える牧師」のどちらを買うか、迷ったのだけど、あまり突っ込んだ進化論の話よりも、一般向けの科学啓蒙書という触れ込みに魅かれて、「悪魔」を選択。

悪魔に仕える牧師 なぜ科学は「神」を必要としないのか
 リチャード・ドーキンス 著、垂水 雄二 訳 bk1amazon

本書は32編のエッセイからなる。内容は、もちろん進化をテーマの中心に据えているけれど、必ずしも進化論を直接的に扱ったものばかりではなく、ドーキンスが生まれたアフリカに関する話や、親しい友人だったダグラス・アダムスへの弔辞なども含まれていて、バラエティに富んでいる。しかし何と言っても、全体を貫き通しているのは、宗教に対する思いだろう。(タイトルとサブタイトルが語る通りだ。)

進化論は特に宗教との折り合いが悪いことも関係あるのかもしれないが、本書を読むと、ドーキンスの宗教に対する考えが、予想以上に非常に激しいものだということが感じられる。平均的な日本人的な感覚からは、少しピンと来ないところもあるが。「娘への祈り」という本書の最終章では、娘の10歳の誕生日に寄せて、人は何故宗教を信じるのか、そして科学的であるということはどういうことかを、自ら考える人になって欲しいという思いがよく表れている。

たまたまみつけたかながわNPOなび 関心空間に転載されている文章は、9.11の直後に書かれたということでやや感情的かもしれないが、やはりドーキンスの宗教への思いが感じられる。

また、「ミーム」という概念を提唱したのがドーキンスだけに、ミームに関するエッセイを集めた章も読み応えがあるし、面白かった。実はここでも、ミームと絡めて宗教を槍玉にあげ、コンピューターウィルスと対比させながら、宗教は心のウィルスであると論じている。

もう一つ、本書に一貫して流れる考え方は、ダブルスタンダードを徹底して排除するという姿勢であろうか。それは特に生命工学と倫理というような難しい問題を例として説明されており、科学的であるという立場を貫くことで見えてくるものが何か、を教えてくれる。

一方、同じダーウィニズムの進化論者でありながら、立場が異なることで有名だったスティーブン・ジェイ・グールドとのやりとりに1章を費やしている。この章を読むことで、グールドとドーキンスの立場の違いがどこにあるのか、共通するのはどこなのか? がほぼわかる。(あくまでもドーキンスの立場から見ての話だが。)また、創造論者との論争への対応に関する二人のメール交換の内容がそのまま紹介されていて、興味深い。

しかしながら、正直言って翻訳が難解で、堅すぎる。原文がどの程度難しいのかは見ていないのでわからないが、明らかに、不必要に難しい用語や言い回しが多く出てくる。一般向けに売り出そうという出版社の意向に反して、原文にできるだけ忠実に訳したいという翻訳者のアカデミックな思いが強かったのだろうか? もっと柔らかい文章にしてくれると(できればグールドの本のように)、多くの人が読んでくれるだろうけど、この本はその意味では、ちょっと一般向けにはオススメしにくい。

更に注文をつけるとすると、本文中にポンポンとたくさん出てくる様々な人や理論等への注釈がもっと欲しいと思う。まあ、そんなものはわからなくとも読み進むうちに、著者が言いたいことは伝わってくるのだが、でも、色々と背景となる事を理解したうえで読んだなら、もっと面白いんだろうな、と思いながら読むのは精神衛生上よろしくないかも。(144もの注釈があり、参考文献は豊富にあげられているんだけど。。)

ということで、難しい本だったけど、読み終えると何かスッキリと理解したような気にさせてくれ、でも、やっぱりもっと勉強してからまた読み直そう、という感じがする本だ。(amazonの、のづちさんのカスタマーレビューの通りだと思う。) 結局、「盲目の時計職人」も読むことになりそうだ。(こっちは翻訳が日高さんだから期待できるかな?)

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コメント

かながわNPOなび 関心空間の文章は、「宗教はこんな事させる力があるんだぜ、こえーなー」としか言っていないような気がします。人はもはや生きるためだけだけに生きていないし(長く生きる事が目的になっていない)。「それ」が「悪魔」であるという事自体が価値判断入ってるよね。「なぜ科学は「神」を必要としないのか」と考える事自体が神という思想が染み込んじまっているよね。・・・で、結論はなんなんでしょう。なんで必要としないのでしょうか??

投稿: A(c | 2004/05/20 14:40

A(cさん、どうも。

『なぜ科学は「神」を必要としないのか』というのは、日本語版のサブタイトルでして、原題は "A DEVIL'S CHAPLAIN" だけで、サブタイトルはありませんから、これは日本側の誰かがつけたものみたいですね。 ということで、本書の中にこの問いについての明確な回答は書かれていません。全体を通して読み取ってくださいね、っていうメッセージですかね。

それと、タイトルの「悪魔に仕える牧師」ですが、もともとはダーウィンが友人に書いた手紙の中にあった、次の一節

悪魔に仕える牧師なら、ぎくしゃくし、無駄が多く、無様な、低劣でおそろしいばかりに冷酷な自然の所業について、どんな本を書いたことだろう。
から貰ってきたようです。「自然選択」というダーウィニズム進化論の本質が、既存の宗教の物語に比べて、はるかに洗練されていない試行錯誤のプロセスであった、ということを語っているようです。

ご指摘の点は、確かに、と言うしかないのですが、ドーキンスが想定している本書の読者の大部分は、既に何らかの宗教を信じている人達でしょう。彼は、せめてこれからの世代の人達は宗教から解き放たれて欲しい、という思いを強く持っているようです。

投稿: tf2 | 2004/05/20 23:18

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