「科学的思考とは何だろうか」
またまた、タイトルと帯の宣伝文句に魅かれて買ったのだが、正直言って、意味不明の本だった。
ちくま新書 461
科学的思考とは何だろうか -ものつくりの視点から
瀬戸 一夫 著 bk1、amazon
表紙には、
科学的思考とは何か。それは「境界を越えて学ぶ好奇心」に従いながらも、けっして「境界を踏み越えない姿勢」に徹し、あくまでも「境界に立つ立場」から、常識を豊かにする思考である。・・・そのような思考は、ものつくりの伝統のなかでも今もなお生き生きと躍動しているのである。とある。この本に書かれている内容は、全てこの文章に集約されているようだ。もっとも、読み終えたものの、僕には著者の主張をよく理解できていないのだが。
何と言っても、この本はまず、あとがきから読まねばならない。
本書では、古代ギリシアのタレスとアナクシマンドロス、近世のガリレオ・ガリレイ、現代のアインシュタインを主要に扱った。多くの解説書や専門書が、かれらの業績と理論とについては、すでに詳しく論じている。しかし、本書で紹介した内容は、従来の解釈や通説をくつがえして得た、新たな見解をもとにしている。どうやら新しい解釈は著者のオリジナルのようだが、それに基づいて、古代ギリシア時代からアインシュタインまでに通じる「科学的思考」という奴を論じてみたということらしい。少なくとも、正統な解釈を身に付けた人以外は、こういう異説(?)から入るのは危険だろう。
ガリレオの地動説の説明の辺りだけは、まあまともだけど、アインシュタインの相対性理論を、針金の上を移動するアリで説明しようとする話は意味不明で、むしろトンデモ本に近い味わいさえある。
ものつくりの視点から、というサブタイトルが付けられているものの、具体的に出てくるのは、たった一つの例だけ。それは、ダンボールの廃物の有効利用を考えていたダンボール工場の経営者が、あるとき自分の好きなラーメンのちぢれた麺を作る技術をヒントにして、クッション材として再利用することを思いついて成功した、という話。これが「境界」を越えたの越えないのという話につながるようだ。
著者は、東大の大学院理学系、科学史・科学基礎論の博士課程単位取得後、成蹊大学法学部の教授という、ちょっと変わった経歴の持ち主だが、ものつくりを語るのは、やや無理があったのではないか? というか、本書はものつくりの視点から書かれているとは思えなかったけどね。
著者独自の科学の捉え方の例として、一箇所引用しておく。神の永遠性とは何か?を考えるという文脈の中で、永遠について具体的に考えてみよう、ということで
たとえば、1リットルのアルコールに、もう1リットルのアルコールを足そうとしている間に、現実の世界では時間が経過して少し蒸発してしまうかもしれない。これに対して、時間経過のない空想世界では、変化ということがまったくないのである。したがって、時間経過のない空想世界では、変化とは無関係に、計算規則がずばりそのまま成り立つことになる。このように不変な性格を「永遠性」と呼ぶならば、永遠性をもつものは時間的に変化する現実世界の中にではなく、現実世界を超えたところにあるのではないかと思える。とある。他にも amazon のレビューで書かれている指摘も合わせて考えると、著者は科学を素直に受け入れずに、無理やり独自の視点から眺めようとしちゃったのかもしれないなあ?
毎日新聞の書評で、さすがに中村桂子さんは、本書を好意的に紹介してるが、やっぱりガリレオの所にしか触れていないし。。
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