「環境リスク学-不安の海の羅針盤」
リスクアナリシスについては非常に興味がある。何年か前に、産総研の中西さんのホームページにたどりついて、その考え方に触れたのが始まりだろうと思う。今回、その中西さんが、リスクについてのまとまった読み物を書かれたということで、読んでみた。
環境リスク学-不安の海の羅針盤
中西 準子 著 bk1、amazon
本書の内容については、著者自身による紹介が読める。アマゾンのカスタマーレビューもこの手の本としては、非常に高い評価が並んでいる。
ともかく読んでいて非常に充実感があるというか、予想以上に面白い。いわゆるリスク学の考え方を、様々な実際のケースについて具体的に論じている部分の他に、著者自身の半生記のような部分もあるのだが、これがとても波乱万丈で物語性がある。研究者としての生き方そのものがドラマチックに描かれているだけでなく、それがそのまま、著者の考え方や生き方にどう影響しているのか、という説明にもなっている。
環境問題あるいはリスク問題への対処は、理論的な論理展開だけでは皆が納得できる解に到達できないことは明白で、だからこそ、研究者自身が通常の論文発表とは別に、こういう形で、そこに至る考え方を説明することは重要だと思う。例えば、著者の得意なリスク・ベネフィット解析に関して、人の死をお金に換算する考え方に対する批判があるようだが、本書では、正にそういう問題点に著者自身が長年悩み、考えた末に、今の考え方にたどりついたことが、何故そうするのか、どんな問題点がありどんな注意が必要なのか、などの視点と共に熱く丁寧に語られている。
リスク研究については
今、リスク評価とそれに基づく対策立案と説明が非常に重要になってきているのは、以前に比べリスクが大きくなっているからではない。むしろ、小さなリスクに皆の関心が集まり始めているからである。かつては、危険とは誰の目にも被害がわかることであったが、今、われわれがリスクとして扱っているものは、かつては見のがされてきたが、新しい分析技術や予測技術で推定される、確率的な事象である。と、位置付けを明確にしている。
かつては、目に見える被害が問題になったので、被害の大小は割合わかりやすかった。優先順位は自明ということも多かった。しかし、今は予測の世界なので、リスクの大きさがわかりにくい。だからこそ、リスク評価の科学が必要になってくるのである。(p.183)
著者が下水道問題で「闘う研究者」となり、「業界」の中で苦しい立場に立たされ、それでも真っ直ぐに研究を続ける中で、サポートしてくれる人達が出てきて、、、というストーリーは、環境分野以外の学生や若手の研究者にも読んで欲しい気がする。ちょっと格好良すぎるし、今の普通の研究者は「これじゃあ逆立ちしてもかなわない」と思ってしまうかもしれないのだが、それだけの重みがあると思う。
ただし、著者の文章がうますぎるためだろうけど、むずかしい話もすっと入ってきて、何となく理解した気にさせられるので、油断大敵ではある。
新聞の書評としては、FujiSankei Business iとMSN-Mainichi INTERACTIVEが読める。他にも10/16の日経の書評でも概ね好意的に取り上げられていた。新聞社もわかったような書評を載せる割には、リスク評価なんてわかってないんじゃないかと思わないでもないが。
特に、この毎日新聞の書評はとても好意的だ。その評者、藤森さんの名前もどこかで見たと思ったら、中西さんの雑感213で紹介されている、「ダイオキシン 神話の終焉」について好意的な書評を書いた人だった。(その書評はこちらで読める。)
今や、政府の政策決定から我々一人一人の日常の買い物まで、様々な意志決定の場面で、実はリスク評価の正しい考え方が必要なのだろうと思う。世の中には色んな時空間的スケールの問題が混在していて、それを一貫して評価できる万能の物差しを持つことは困難だ。しかし、リスクアナリシスという考え方は、正にその物差し候補の一つなんだろうと思う。
著者には、引き続き、地球規模の問題から身の回りの問題に至るまで、鋭い視点を我々に提示し続けていただきたいと思う。
*「予防原則」について、本書でも少し触れられているのだが、もう少し具体的な例をあげて考え方を示してもらえるとありがたい。
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コメント
私がこの本を読んで終始不思議だったのが、「どうして全てのリスクを金額換算しないのだろう」ということだった。おそらく、「人の命をお金に換えるなどとんでもない」という人が多いのではないかと推測される。著者も散々悩んだ挙げ句、損失余命という単位に統一するとしているが、生態系リスクとの関係がわかりにくいし、結局はコストとの比較になるのだから、金額換算できればすっきりするのにと思う。門外漢なので良く分からないが、環境問題というのは多分に感情的な議論が展開される場であるという印象を受け、著者の苦労が忍ばれた
投稿: jitsuko2 | 2005/10/03 21:13
コメントありがとうございます。
自然環境を金額換算する方法や、生態系を金額換算する方法なども、それぞれに検討され、その分野では実際に使われているようです。人の命も、事故の際の補償や保険などでは実際に金額が算出されて使用されています。
ただし、全く異なるもの同士の金額を直接比較するとなると、まだまだ純粋に技術的な面での議論も多いのではないでしょうか。もちろんそれに加えて、ご指摘のように、感情的な抵抗感があるのも確かだと思います。
最終的には、すべてのものを統一した物差しで計ることができるのが望ましいとは思いますが、現時点では互いになんとか比較が可能な範囲の中で、リスクとベネフィットのバランスを検討していると理解しています。
>環境問題が感情的な議論が展開される場であるという印象
今現在、中西準子さんが名誉毀損で訴えられ、その訴訟が進行中ですが、その訴訟の背景にも別の意味で感情的な問題があるようです。
環境問題というのは、どうしても現在の社会のさまざまな分野とのつながりが非常に強いので、何をするにしても、周囲との摩擦がとても大きいという宿命があるように思います。
投稿: tf2 | 2005/10/03 23:14
そうなんでしょうね。なお、その後、ご本人に同じ質問をぶつけたところ、「これを読め」と、『演習 環境リスクを計算する』(岩波書店)という本をいただきました。ご参考まで
投稿: jitsuko2 | 2005/11/07 10:23
ありがとうございます。実は、「演習 環境リスクを計算する」は持ってたりします。(読んだけど、理解しているかどうかは自信がない。。)
比較的簡単に勉強しようと思うと、科学技術振興機構のhttp://weblearningplaza.jst.go.jp/" target="_blank">Webラーニングプラザが結構充実しています。
分野・映像から選ぶ>環境部門の
環境ケミカルサイエンス(化学物質のリスク評価)コース
環境管理の制度と手法コース
や、総合技術監理部門のいくつかのコースが参考になるかと思います。一つ一つは15分くらいのレッスンで、わかりやすいです。
投稿: tf2 | 2005/11/07 19:41