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2005/01/11

中村氏と日亜化学が和解したけど

中村修二氏と日亜化学との青色LEDを巡る一連の訴訟が、総額8億4000万円で和解という決着をみた。この争いの一連の流れは、パテントサロンが参考になる。(過去のニュースへのリンクはほぼ全滅だけど。。)今回のニュースについては、Google News。本ブログでは、これに関連した内容としては、2004/5/1に「青色発光ダイオード」という本についてのコメントを書いた。

今後、色々な解説記事も出てくるのだろうが、地裁判決では対象となる一つの特許の相当の対価を 600億円と認定し、日亜化学に 200億円の支払いを命じていたのが、高裁では関連する全ての特許を全部含めて、その対価を 6億円と認定したようだ。発明そのものの価値と、その発明に対しての中村氏の貢献度の両方について、地裁と高裁の判断が大幅に(桁違いに)異なったということらしい。どうして、これだけ異なっているのに和解に至るのだろう?

日亜化学のサイトで、和解についての高裁の考え が読めるのだが、ポイントは

特許法35条の「相当の対価」は,「発明により使用者等が受けるべき利益」と「発明がされるについて使用者等が貢献した程度」を考慮して算定されるものであるが,その金額は,「発明を奨励し」,「産業の発達に寄与する」との特許法1条の目的に沿ったものであるべきである。すなわち,職務発明の特許を受ける権利の譲渡の相当の対価は,従業者等の発明へのインセンティブとなるのに十分なものであるべきであると同時に,企業等が厳しい経済情勢及び国際的な競争の中で,これに打ち勝ち,発展していくことを可能とするものであるべきであり,さまざまなリスクを負担する企業の共同事業者が好況時に受ける利益の額とは自ずから性質の異なるものと考えるのが相当である。
ということを根拠に、他の職務発明判決の金額等も参考にしたようだ。まあ、特許法の目的を考えても、企業の存続が危うくなるような程度までの金額はありえない、ということだろうか。しかし、実際の計算式を見ると、何だか約 6億円という数字が先に決まっていて、発明が生み出した利益額と発明者の貢献度を、それに合うように後から決めたように見えなくもない。この文章は判決文ではないから、別に世の中が納得する論理や結論である必要はないのだろうけど、それにしても、地裁が算出・算定した数字やその根拠には全く触れていないので、どうして数字がこんなに変わったのかは理解しようがない。

ちなみに、昨年1/30の地裁判決文はH16. 1.30 東京地裁 平成13(ワ)17772 特許権 民事訴訟事件で読めるが、ここで地裁が将来の売り上げ予測までを細かく行って算定した数字は何だったのだろう? あまりと言えばあんまりじゃないだろうか? 発明者の貢献度についても、地裁では

本件は,当該分野における先行研究に基づいて高度な技術情報を蓄積し,人的にも物的にも豊富な陣容の研究部門を備えた大企業において,他の技術者の高度な知見ないし実験能力に基づく指導や援助に支えられて発明をしたような事例とは全く異なり,小企業の貧弱な研究環境の下で,従業員発明者が個人的能力と独創的な発想により,競業会社をはじめとする世界中の研究機関に先んじて,産業界待望の世界的発明をなしとげたという,職務発明としては全く稀有な事例である。このような本件の特殊事情にかんがみれば,本件特許発明について,発明者である原告の貢献度は,少なくとも50%を下回らないというべきである。
とあるのに、その貢献度が今回は何故かあっさりと 5%と算定されてしまったのである。ここまで話題になるような事案なのだから、もう少しギャラリーのことも配慮してくれても良さそうなものだが。

中村弁護団の和解についての見解を読んでも、何故600億円から6億円まで減額されたのに和解に至ったのかについては、納得できる説明はなされていない。というか、これは中村裁判が世の中に様々な有形無形の変化を投げかけたことを自画自賛している文章だ。

中村氏のコメントは、asahi.com(1/11)に 中村教授「和解、納得していない」 青色LED訴訟として載っているが、その中に

 和解に応じた理由については「判決を選んだ場合、特許の件数がさらに絞られ、支払額が2億円程度になる可能性が濃厚で、上告しても一審判決のような画期的な判決を期待するのはほぼ不可能だった」と説明。「非常に低い確率であっても、最高裁に期待したい」と考え、代理人の弁護士と話し合ったが、代理人は否定的で決断した――としている。
とある。一方、日経新聞(1/11)の夕刊にも中村氏のコメントとして
 今回の和解金額は高裁が決め、高裁は判決でも同様の金額になると言っている。これに不満で最高裁に上告しても、最高裁は憲法論、法律論だけを議論して事実審理(金額の審理)せず、金額については、高裁の判決が優先される。このため上告しても結果は同じで意味がない。

 金額が少ないのは高裁の裁判官が金額に6億円という上限を設けたからで、この上限を超え、企業が発明者に相当対価を払えば企業がつぶれるという考えだ。しかし、その上限額が少ないことには全く根拠がない。(後略)

と書かれている。この和解金額が妥当であったかどうかの判断はできないが、今回の話のまとまり方はあまりすっきりしないと言えるだろう。

今後、ある発明の相当対価をどう算定してよいのか、貢献度一つをとってみても、基準がまるで見当たらない状態となったと言えるのでは? (普通の企業内発明では、貢献度を 5%以上と主張するのは相当難しそうだと言えそうだが。)  一連の職務発明裁判の後に、裁判所が発明の相当の対価を具体的に計算することの是非が議論されていたけれど、裁判所が計算した場合、所詮この程度(10~100倍程度)のばらつきが出るのは仕方ない、ということだろうか?

ちなみに、一方の当事者の日亜化学は、この和解に満足していないと言いながらも、404特許の相当対価の説明なんて文章を公開している。地裁判決で600億円と算定された相当の対価が、今回の判決の計算方法に従うと1000万円程度になる、ということを主張しているのだが、和解発表と同時に載せる話だろうか? 何だか、子どもが大人にけんかの仲裁をされた後で、負け惜しみの捨てぜりふを吐いているみたいで、品がないというか、印象が悪いと思うけどなあ。。

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コメント

この知的財産価値評価の一番のポイントは、
“404特許がどの程度まで、高品位LED製品生産に必須な基本特許であるのか”だと思います。東京地裁は日亜の現技術自身、この特許の技術範囲に含まれる、と認定、他社のシェアの低さは本特許を使うことができないから、として、多大の価値(と多額の対価)を認めたわけです。今回の高裁の和解勧告でも、“これまでに例のない高い評価”といっているので、この技術自身の重要性を認めているようにうかがえる。
一方、日亜社自身の算定では、“クロスライセンスにしたって、誰も実施はしないし、それは中村教授も認めている”の言説がありますが、これは上の“基本特許性”と全く相容れないですし、そもそも中村教授が本当に認めているのか? これはこの技術の専門家でない身としてはわかりませんが、これをいうなら、最初から与えられるものなどほとんどない。しかし第三者であり、それなりな技術アドバイザーを擁したであろう裁判所はいずれも逆のことをいっているので、多分妥当ではないと見るべきなのだろうと思います。
しかし高裁も、非常に重要な技術、といっているなら、それはクロスライセンスの目玉なのであり、急成長を続けているこの市場のコアとなっていく技術でありつづける公算も結構ある。新技術による代替の公算はあるものの、新技術自身この技術の土台の上に花開いていく、という場合もあり得ますので。
さらに、それほどまでの技術優位さをもたらす技術の現時点のライセンス料を5%とは低すぎるように思えるし、そもそもライセンスしてなかったわけで、もっと多額の利潤に結びついたはず。と考えると、三村判決の“1200億の利潤の元”は相当オーバーかもしれませんが数百億のオーダーはいって当然。“多大の貢献”の相場は従来MAX5%(味の素判決ほか)でしたから、数十億(非常に幅広いですが)程度、が相場かな、という気がします。でも、それをいっぺんに払え、というと経済界にあまりに衝撃が大きすぎていえないから、最初から予定調和程度の想定値にいれるべく計算を合わせたな、と見える。本当のところ、これが通ると過去確立したMAX利潤x5%、という過去の営々たる成果を崩すものであり、技術屋の身としてはこれほどの売り上げ・利益をもつ大物商品で起こって欲しくはない訴訟だったと思います。(地球の限界の認識とともに明らかとなるであろう“有用な技術開発”の付加価値創造はもっと高く評価されるべきものと考えますので)

投稿: KS | 2005/01/25 21:48

今回の決着は、少なくとも形式的には、判決ではなく和解ですから、今後この6億円という金額や5%という貢献度がどのような意味を持つのか、やや微妙なところもあるかな、と思います。しかし、絶対的な数字の大小というよりも、数値の算出基準が不明確な点が一番の問題だろうと思います。

ところで、特許法で職務発明をどう決めているか、という点は別にして、今回の中村発明を始めとする一連の職務発明訴訟を眺めながら感じたことなのですが、各社が現在充実させつつある特許報奨制度は、結局、その発明がなければ、あるいはその人がいなければ、なかった利益を生み出してくれたことへの「ご褒美」という位置付けだと思います。

これはある意味では非常に納得しやすい話のようにも思えるのですが、結局は発明に対する「相当の対価」そのものではないので、実は結構微妙なものがありそうです。法律と実際の運用が必ずしも一致している必要はないのかもしれないのですが、ちょっと気になるズレではあるんですよね。(極端な話、ご褒美はもらったけど、相当の対価はもらっていない、という言い分だってありうるわけだし。)

#企業での研究の実情を考えると、むしろ特許法に書かれている相当の対価という理屈の方が、人々を納得させるのに無理があるように思うのですが。。

投稿: tf2 | 2005/01/26 22:25

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