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2005/02/03

「安全と安心の科学」

最近「安全と安心」というキーワードを頻繁に見かけるようになってきたが、本書は正にそれをストレートにタイトルとしている。帯には「『安全』は、達成された瞬間から、その崩壊が始まる!」というもの。多くの場合は、むしろ安全は達成することがそもそも困難とも言えそうだが。。

集英社新書 0278G
 安全と安心の科学
 村上 陽一郎 著 bk1amazon

本書は、

序 論 「安全学」の試み
第一章 交通と安全 -事故の「責任追及」と「原因究明」
第二章 医療と安全 -インシデント情報の開示と事故情報
第三章 原子力と安全 -過ちに学ぶ「安全文化」の確立
第四章 安全の設計 -リスクの認知とリスク・マネジメント
第五章 安全の戦略 -ヒューマン・エラーに対する安全戦略
という内容であり、これを見ると明らかなように、「安心」についてはほとんど取り扱っていない。著者はここ数年、「安全学」という学問領域の設立を提唱しているらしく、「安全」については、さすがに充実した内容が書かれているのだが、「安心」については序論で多少触れられている程度である。恐らく「安心」というキーワードが流行しているので、タイトルに無理やり放り込んだような気配が感じられる。

まあ、それはともかくとして、本書は仕事などで安全に係る人達には一度目を通して欲しい本だ。正統派の教科書としても使えそうだ。化学系の会社で徹底的に「安全」を叩き込まれた身としては、当たり前の話も多いのだが、それでも、交通事故や医療事故に対する考え方などはとても参考になる。安全関係はどうしても狭い所をつつくようなことが多いけど、こういう本を読むと視野が広がる感じがする。

特に交通安全に関する著者の考えや提案は考えさせられる。そもそも現代社会で交通事故の被害が非常に大きなものなのに、そういう現実に慣れてしまったために、その被害の大きさを正しく認識していないという指摘。さらに事故情報の詳細は、警察と保険会社などに蓄積されていて、それが事故防止という観点から有効に使われているとは思えないこと。例えば航空機事故の際には、事故原因の究明と対策立案は、事故の責任追及とはまったく独立して行われていることと好対照であることが指摘される。

そして、交通事故被害を減らすための事故原因の解析や有効な対策の立案のために、警察が独占的に持っている情報を有効に利用し、国家的にもっとお金を使っても良いだろうという提案がなされる。これは、それなりの対策をとれば(道路環境や自動車の改良など)、相当に交通事故の被害を小さくできるはずだという信念でもある。

医療事故対策としても、「人間は必ず間違える」という基本的な思想が欠けているのが問題だという主張のもとに、いくつかの実例を交えて「フール・プルーフ」と「フェイル・セーフ」という考え方について展開する。

リスク・マネジメントについては、人間のリスク認知の特性(交通事故リスクは過小評価し、ダイオキシン被害リスクは過大評価するというような)にも触れている。なかなか興味ある論理展開がなされているし、正にここが「安全」と「安心」の接点となる部分でもあるので、もっと深く突っ込んだ議論が期待されるのだが、残念ながらこの部分は中途半端な印象だ。

また、これらのリスクにどう対処していくのか、という後半の議論もなかなか面白い。科学的合理性だけでは解決は困難で、社会的合理性(例:より安全な物質が規制される一方で、はるかに有害なタバコが社会で認められている)も重要であるという話や、予防原理や規制科学(regulatory science)についても軽く触れられているが、ここも中途半端だ。

本書は、安全と安心のうちの安全の部分を中心に書かれた本であり、安全と安心を考える上では、イントロに過ぎないと思う。著者には、是非、続編として安心の部分に突っ込んだ本を書いて欲しいものだ。

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