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2005/03/03

「原子力と報道」

ダイオキシンだとか環境ホルモンなどでは、マスコミ報道の世論への影響の大きさが実感されたのだが、そういう意味では原子力というのはその元祖のようなものだろう。しかも、決して過去の問題というわけでなく、現在進行形の問題であり、しかも原子力をどうするのかというのは、我々の将来を大きく左右する重要な問題であろう。その原子力をめぐる報道が今までどうであったのかを正面から検証し、今後どうあるべきかを考えようという試みのようだ。

中公新書ラクレ 157
 原子力と報道
 中村 政雄 著 bk1amazon

著者の主張は、東京財団の刊行物で読めるが、ほぼ本書のエッセンスが書かれているようだ。

著者は工学部出身で読売新聞の科学部記者から解説部、論説委員等を経験してきた方で、今は「原子力報道を考える会」のメンバーとのこと。この本は極めて明確に、原子力を推進する立場から書かれた本である。とは言え、科学的に原子力発電の安全性やその必要性を一つずつ検証するというような話ではなく、日本で原子力に対するバッシングが激しいことや、最近の核燃料サイクルが批判されていることなど、原子力推進に立ちはだかる壁の多くはマスコミの不勉強とアメリカ政府の陰謀だ、というような主張である。

ということで、書かれていることをそのまま全部素直に受け止めるのはどうかと思うのだが、さすがにベテランジャーナリストが書いた本は読みやすいし、話としてはとても面白い。そもそも、日本で最初に原子力開発を進めていた頃には、朝日新聞を含めて新聞各紙ともに大歓迎ムードの記事ばかりだった、という事実が紹介されている。これは今の状況を考えると、なかなか意外な事実である。

結局、スリーマイル島の事故やチェルノブイリの事故が全世界的な原子力反対運動につながったのだが、その過程で核兵器の拡散を防ぎたいアメリカの意志が働いて、反対運動を裏で操っていたのだ、というような話が書かれている。どこまでが事実でどこからが推定なのかがよほど意識して読まないとわからなくなってしまう。

世界的に原発離れが起こっているが、実は国毎に事情も異なるし、ヨーロッパでも脱原発をうたっていながら、水面下では原発に戻る動きも起きているということで、一般報道からだけでは事実を知るのも大変なようだ。

ちなみに、桜井淳さんの市民的危機管理入門では、日本原子力界の裏話で、「原子力報道を考える会」の主張が徹底的に批判されている。主張が対立するのは別に構わないのだが、事実認識が両者で異なるとなると、素人はどちらが正しいのか判断するのが非常に困難となってしまう。本当は、事実認識の異なる点について、両者の主張をきちんと丁寧に比較検討すべきなのだろうが、一つが違うと全部を否定するみたいなやりあいになっている感じだ。ざっと見た立場からは、どっちもどっち、という気もするのだが。。

それはともかく、原子力に関連するマスコミ報道が、必ずしも科学的でなく、事実に基づいていないのも確かだろう。特にTVや週刊誌は面白いことを好むし、安全であることよりは、危険である方がニュースバリューも高いだろうから、どうしても真実を冷静に伝えるということができていないと思う。本書では、放射能漏れ事故の報道のされ方などについて、いくつか具体例を紹介し、その問題点を指摘している。

また、マスコミが事件や不祥事を起こした会社等を厳しく追及する反面、自分たちの報道に間違いがあった時の事後の責任の取り方が甘すぎるし、記事に対する品質保証が全くできていない、と批判している部分もその通りだと思う。

それにしても、原子力問題は難しい。その理由の一つは、良くも悪くも、この問題が純粋な技術的あるいはエネルギー的な観点からは論じられず、どうしても政治的な観点が入り込み、しかもアメリカの陰謀があるかどうかはともかくも、国際的な問題となってしまうことだろう。また、リスクとベネフィットで論じようとすると、リスクを受ける集団とベネフィットを受ける集団が大きく異なることや、想定するタイムスケールによって答えが変わってくることも問題を難しくしているのだと思う。

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コメント

 原子力やその報道に関しては、技術的な所や感情的な要素も多いので、たしかに素人には、櫻井氏・中村氏どちらが正しいのか分かりにくい。

 しかし、私は中村氏の方が支持できると考えている。
 まず、櫻井氏の論評は読む限り、争点である『原子力と、その報道』について反論をしているのではなく、中村氏や『考える会』への個人批判・人格的批判が中心であり、当の原子力・報道への批判がほとんどなされていない。しかも、憶測での批判・攻撃もかなり多い。
 又、主張もかなりずれている。
 例えば、『専門家とは、少なくとも、博士論文を書いた経験がある者を指す』という奇妙な持論を持つ。
 それなのに自分は専門外の鉄道において、福知山線・新幹線の脱線に関する議論を「専門家のように」TVで行っている。
 このような奇妙な行動が多いのに、他者を徹底的に糾弾するのでは、あまり馴染む事が出来ない。

 それに対し、中村氏は『冷静で客観的な分析』と言える。又、反原発の裏側、市民運動の実体なども詳しく書いてあるため、分かり易く、好感が持てる。

 我々は主観で行動する事が多い。だから中村氏の方が信用できると思う。

投稿: 山口実 | 2005/09/25 15:42

コメントありがとうございます。

私もJR福知山線の脱線事故の直後のニュース番組で桜井さんを拝見しましたが、何もわかっていない時点でのコメントにしては、独断による断定が目立ち、いい印象は持てませんでした。

品性や議論の姿勢などの面では、明らかに中村氏の勝ちだと思います。ただし、議論の内容の信憑性はそれとは別の問題と考えるべきだろうとも思うのです。。(人格者は過ちを犯さないとは言い切れないという意味で。)

投稿: tf2 | 2005/09/25 16:52

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