「テクノリテラシーとは何か」
日経新聞の書評欄で紹介されていたのを見て購入。サブタイトルは「巨大事故を読む技術」ということで、このブログで今までに紹介した、「科学技術はなぜ失敗するのか」(中野 不二男 著)とか、「安全と安心の科学」(村上 陽一郎 著)などと同系統の本ということになるし、失敗知識データベースにも関連する分野である。
講談社選書メチエ 323
テクノリテラシーとは何か 巨大事故を読む技術
齊藤 了文 著 bk1、amazon
本書は、代表的な事故事例を、科学技術の成果物のライフサイクル上の位置に着目し、3つの段階に整理している。第1部の「人工物が生まれるとき」では、コメット空中分解事故、サリドマイド事件。第2部の「人工物の成熟期」では、ピント車追突事故、スリーマイル島原発事故、慈恵医大青戸病院医療事故、牛肉偽装、みずほ銀行システムトラブル。第3部の「人工物の衰退期」では、新幹線トンネル崩落事故、ボパール産業事故。というように、とても幅広い分野をカバーしている。
まず、著者の齊藤先生の略歴が目を惹く。理学部ならびに文学部卒業で専攻は工学の哲学と倫理。現在は関西大学社会学部教授である。著者の研究室のホームページには、著者の講義のための資料なども掲載されていて、本書で取り扱った事故以外にも多くの具体例が取り上げられており、結構参考になりそうだ。本書のタイトルでもある「テクノリテラシー」については、このホームページにも、
コンピュータの読み書き(使い方)を学ぶのが、コンピュータ・リテラシーと呼ばれる。それと類比的に、現代必要とされるのは、テクノロジーの読み書きの能力である。それが、テクノ・リテラシー(technological literacy)である。社会科学のバックボーンを持つ人が、科学的知見を一歩進めると、科学技術政策や科学評論や新製品の開発など様々な方向に展開できる。社会科学の専門家もテクノロジーの個々の分野の専門家も多くいるが、そのインターフェイスになれる人は少ないからだ。と書かれているように、社会科学側から科学技術側へアプローチした形でまとめられている。例えば、Web上で、読売新聞の書評が見つかったが、確かに一般市民の立場から科学技術の関与した事故を見ると、本書のアプローチが新鮮な印象を与えるようだ。
工学の世界に長く身を置いてきた立場でこの本を読んでみると、本書で展開されている、個々の事例に対する著者の視点や考察には違和感はないし、極めて正統でバランスの取れたものだと感じられる。それぞれの事故については、それこそ失敗知識データベースのような形で様々に検討されてきた内容と大きく異なるものでもないのだが、さすがに社会学の立場から物事を見ているせいなのか、本書には随所に、従来とは微妙に違う視点や切り口からの考察があり、読んでいて新鮮味のあるところだ。
特に、フォードピントの欠陥に絡み、フォードが欠陥対策の検討に際してコストベネフィット解析を行ったことが陪審員の心証を害して懲罰的賠償となった件は、初めて知った内容だが、とても示唆に富む考察がされていて勉強になる。
関西大学のホームページ内に、本書に関する著者のコメントが掲載されている。ここに書かれている
テクノロジーとともに生きる社会では、人工物に媒介された倫理が必要になる。これは、子どもの頃から教えられていた規範やルールとは何か違っている。ということが、この本の主張の一つの柱となっているのだが、これだけではピンと来ないかもしれない。ここで取り扱っているのは、いわゆる技術者倫理の問題なのだが、製造物責任、そして拡大製造物責任という近年の消費者保護の流れは、開発や製造を行う技術者の立場で考えると、従来の単純な倫理感では説明できない枠組みとなっているということを問題にしているようだ。
しかし、著者が敢えて論点として取り上げている、この倫理の問題については、少なくとも製造企業や技術者の立場では特に問題点という認識はされていないと思うし、それなりに議論され、既に落とし所なり、納得のいく考え方が確立しつつある問題のような気がしないでもない。本書は工学から遠い立場にいる人向けの本という位置づけなので、こういう結論となったのかもしれないし、あるいは僕が工学の立場にどっぷりと漬かりすぎていて、その微妙な感覚を理解できないだけかもしれないのだが。。
いずれにしても、従来の技術者倫理や安全学などとは一風変わった視点が味わえるという点で、技術者にもお勧めの本だと思う。
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