もんじゅ判決と科学高裁
高速増殖炉「もんじゅ」の建設許可の無効を争っていた行政訴訟の最高裁判決が昨日出たことにより、各社が社説で取り扱っている。各社の原子力や核についての姿勢が極めて鮮明に出ていておもしろい。
面白いのは、毎日新聞が
だが、判決はもんじゅの安全性そのものにお墨付きを与えたわけではない。まして、高速増殖炉推進政策の可否を問うものでもない。と書いている一方で、産経新聞では
今回の最高裁判決で、国とサイクル機構は、もんじゅの運転再開に向けての完全なお墨付きを得た形だ。と、それぞれの立場が明確となる対立した主張をしている点。裁判所が判断するのは、あくまでも行政手続に違法性があったかどうか、という点であり、科学的あるいは技術的な判断を行うわけではないと思うのだが。 それに、もしも最高裁判所が原子力発電の安全性にお墨付きを与えたからといって、それで皆が納得するならそれでいいのだろうか? その場合には、事故が起きたときには誰が責任を取るんだろう? これでは技術者などの専門家が浮かばれないよな。。
もう一つ、安全性の判断とは別に、核燃料サイクルの問題のように、国のエネルギー政策の根幹に関わるような問題の最終判断まで裁判所にお任せしてしまうような流れは非常に問題だと思う。このような問題は、科学的なデータなどに基づき、きちんとした情報公開と利害関係者に対する説明の上で、国民や住民が最終的に判断すべきだし、そうできるように関係者が努力するべきものだろう。
ところで、産経新聞の主張には、ちょっと面白いことが書いてあった。
高速増殖炉などの原子炉は非常に高度な科学と工学の集合体である。その審査や判断には数理科学の専門知識が必要とされる。これを読んで思わず連想したのが、ガリレオの地動説に対する裁判なのだが。。。 知財高裁の場合には、発明の新規性や進歩性の有無の判断や、侵害の有無の判断などに専門知識が必要である、という趣旨だったと思うのだが、科学高裁では一体何を判断するのにどんな知識が必要だと言いたいのだろう?今後もこの種の訴訟が予想される。審理の正確さを期し、かつ迅速化をはかるためにも、今年四月に発足した「知財高裁」の例にならって「科学高裁」の導入を提案したい。
今回の裁判は確かに相当に専門的な部分で争ったように見えるが、今回の最高裁判決では、その高裁の判断は必要以上に専門的な部分に入り込みすぎていた、と判断し、今後はそんな細かなことは専門家に任せなさいということじゃないのか??
科学高裁というのが、科学理論そのものの正当性の判断を行おうというものではないと思いたいが、もちろんそんな判断は裁判官に可能とは思えないし、それは科学や技術の世界で片を付けなくてはいけない問題だろう。
ここの部分に引っ掛かったのは、最近少し話題になっている、中西準子さんの名誉毀損問題が頭にあるせいかもしれない。
参考1:J. Nakanisi Home Page 雑感
参考2:kikulog
参考3:食品反全情報blog
産経新聞の主張には、京都議定書 原発へのシフトしかないなどのように、論理的な展開なしに、何故か唐突に結論だけが出てくるケースが時々あるのだが、今回の科学高裁も、是非詳細内容の提案を展開して欲しいものだ。
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