「著作権とは何か」
著作権については以前から興味を持って何冊か本を読んでいるのだが、結構複雑だし、判断は微妙なことも多い。ということで、いろんな本に目を通しておくのも悪くはない。本書は、著作権や芸術文化が専門領域の弁護士が書いた本であるが、法律の解説というよりは、サブタイトルにもあるように、著作権が果たすべき役割である文化や創造と保護のバランスの観点から考えていこうというものである。
集英社新書 0294
著作権とは何か -文化と創造のゆくえ
福井 健策 著 bk1、amazon
著作権関係の新書として、このブログでは、「著作権の考え方」を紹介しているが、それ以外にも「インターネット時代の著作権」(bk1、amazon)や、「勝手に使うな!知的所有権のトンデモ話」(bk1、amazon)(これは著作権以外の知的財産権についても触れているが)も読んだことがある。
それぞれ特色があり、焦点を当てている面や切り口が異なり、補完的な意味合いもあるので、どれが一押しとは言えないし、全部読んで欲しいという気がする。しかし、これらの本を読んできた後で本書を読んでも、なかなか新鮮な部分も多いし、とても面白く読めた。これは、他の本を読んで、色々な知識を持っていたから楽しめたという部分もありそうだし、一方で本書単独でも十分に楽しめる内容であったという部分もありそうだ。
本書では、判断に迷うような微妙な事例をいくつか紹介しながら、単に著作権法ではこう考える、という判断に終わることなく、何を保護しようとしているのか? それはどういう意味があるのか? といった基本的な考え方に立ち戻って考えていくような構成となっており、これを読んで初めて知った内容も多い。
一つは、日本では著作権法上、パロディが引用とみなされており、かなり無理やり判断されていること。これで果たしてパロディが正当な評価をされていると言えるのだろうか? という問題提起である。とは言っても、著者は決して無条件にパロディを文化として認めろと言っているのではなく、アメリカのフェアユースという考え方を取り入れて判断する必要性を指摘している。
もう一つは、著作権が保護するのはあくまでも表現であり、そのアイデアではないのだが、ではアイデアと表現とは完全に分離できるのか? という問題提起である。どこまでが広く利用されるべきアイデアであり、どこからが守られるべき創作的表現と呼べるのか、考え出すとどんどんわからなくなる。面白かったのは、「磨かれた鶏卵」という芸術作品。これは、言ってみれば、単に卵を磨いただけなのだが、これに芸術作品として著作権を認めると、今後は許可を得ない限り、誰も卵を磨いた作品が作れなくなってしまうかもしれない、という話。(つまり、アイデアと表現が直結している例である)
また、古来文化芸術というのは模倣の歴史でもあり、例えばシェークスピアの作品の中には、元をたどると古くから伝わってきた話が何度も繰り返し多くの作者に改変され、最終的にシェークスピア作品が著名になったというもの(例えば、ロミオとジュリエット)が多くあるそうだ。もしもシェークスピアの時代に今の著作権法があれば、シェークスピアは明らかに著作権法違反となってしまう。これをどう考えるべきなのか?
著者は、このシェークスピアの例などを引きながら、最近の著作権の保護期間を延長する傾向に対して警鐘を鳴らし、それに対向する「コピーレフト」や「コモンズ」といった活動についても簡単に紹介している。結局著作権をめぐる「守られるべき権利」と「許されるべき利用」のバランスの問題は、時代と共に変わっていくものだろうし、常にその時点での最適なバランスを探ることになるということだ。
本書は「いま注目の『著作権』をわかりやすく解説!」という帯の宣伝文句とは裏腹に、具体的な問題について明確な回答が得られるようなものではなく、むしろ著作権は誰のため、何のための権利で、どの程度強い権利であるべきか? を考える入口となる本と言えるだろう。
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