あのコロンビア号の空中分解事故から2年半。ついに今週スペースシャトルの打ち上げが再開される。今回は日本人の野口さんが乗り込むということで、注目度も一段と高まるものと思われる。そんなタイミングで、本屋さんの店頭で見つけたのが本書。なかなか挑戦的なタイトルで、帯には「世紀の失敗作に日本も騙された、宇宙開発「虚妄」の実態」とある。
エクスナレッジ
スペースシャトルの落日 失われた24年間の真実
松浦 晋也 著 bk1、amazon
とても読みやすくてわかりやすい、目からウロコの読み物である。スペースシャトルの問題点、今後の宇宙開発のあるべき姿、といった著者の主張したい点が明確に伝わってくるだけでなく、技術開発、特に巨大プロジェクトを進める上で、このスペースシャトル計画を反面教師として見るための教科書としても悪くない出来だと思う。
何を隠そう、1969年のアポロ計画による人類月面到達をリアルタイムでテレビで見た経験を持っている。それから既に36年、スペースシャトルの初飛行からも既に24年。時の経つのは早いものだ、と感慨にふけるのも良いが、ちょっと待て! ということだ。 確かに、アポロ計画の頃、将来21世紀になったら人類はどこまで宇宙に進出しているんだろう? と期待を込めて想像したものだし、スペースシャトルが飛び始めたときには、宇宙ステーションが身近なものになるのを感じたものだった。なのに現実はどうだろう?
本書の序章に、こんな文章がある。
が、ちょっと考えてみてほしい。スペースシャトルの初飛行は1981年4月12日だった。今、24歳の大人が生まれた頃だ。例えば24年前のパソコンを誰がハイテクと呼ぶだろうか?
24年前の家電製品はハイテクとは呼ばない。それは過去24年の間に、家電製品を巡る技術が信じられないほど進歩したからだ。24年前のシャトルがハイテクというのは、つまり24年間、宇宙開発を巡る技術が進歩していないということじゃないだろうか。
「シャトルの事故で宇宙開発が停滞」というのもよくよく考えてみると妙な話だ。シャトルが無事に運行していた頃、宇宙開発が順調に進展していたという実感があるだろうか。ここ15年ばかりの間に、「いやあ、宇宙時代になったなあ」と実感したことはあったろうか。あったとしたら、そのことにスペースシャトルは関係していただろうか。
確かにそうだよなあ。。 宇宙開発は莫大なお金が掛かるから、そう頻繁にロケットのモデルチェンジもできないだろうけど、設計から既に24年以上も経った機体が現在もまだ最高性能を誇っているのだとしたら、進歩がなさ過ぎるような気がしないでもない。大体、最近宇宙に行った民間人は皆ロシアのロケットを使ってのものだし、この前記事にした
高知県の宇宙酒計画もシャトルではなくソユーズを利用する計画だったはず。。
ということは、少なくとも結果から見れば、シャトル計画には様々な問題点があったと言ってよいのだろう。この間に起こった大事故については、24年間 113回のフライトのうちの2回だけであり、宇宙開発という技術の特徴から考えると事故の確率が突出して大きいとは思わない。しかし、むしろ事故で失ったものよりも、この24年間で得たものが何なのか?という点の方が問題なのではないかと思える。
本書はまず、2度の大きな事故の原因、およびその背後に潜む政治的な側面など、NASAの抱える問題点を明らかにする。次に、そもそもスペースシャトルの設計段階で、ボタンを掛け違えてしまったことで生じた根本的な欠点を明らかにする。ここでは、スペースシャトルの目玉ともいうべき、翼を持つ本体、再利用を前提としたシステム、さらには固体ロケットブースター+液体酸水素エンジン、などを選択したこと自体が全て間違いだったのだ、と論じている。そして、この問題の多いスペースシャトル計画が、ヨーロッパや日本の宇宙開発計画や、宇宙ステーション計画に大きな影響を与え、結果として世界の宇宙開発の方向が大きく迷走してしまったと指摘している。
本書を読んで考えさせられた点として、結局、スペースシャトル計画って何だったんだろう?という疑問もあるのだが、本書ではスペースシャトル計画によって得られたもの、得られなかったもの、という観点からは議論されていない。113回も宇宙に飛んで、どれだけの成果を上げたんだろう? シャトル計画以前の宇宙開発は、月に行くとか、太陽系を探査するとか、わかりやすかったけど、シャトル計画はその辺が見えにくいよなあ。得られたものがそれなりに多ければ、多少の問題点があったとしても、それなりに評価できるのだろうと思うのだが。。
ロケット技術の具体的な部分について、著者の主張が正しいのかどうかの判断は保留するが、シャトルがデビューしたときに目指していた「理想的な宇宙船像」というものが、どうやら幻だったのかな、という現実は受け止めなくてはならないだろう。とは言っても、まあ本書の数々の指摘は結果論だろう。中には、開発当初は解決できると考えていた課題が、どうしても解決できなかったということもあるだろうし。 でも、だとしても、これからどうすべきか? を考える時期に来ているのは間違いない。
アメリカはスペースシャトル計画に間もなく幕を引き、新たなステップに進もうとしているようだが、同じ過ちを2度としないためにはどうすべきなのか? 日本の進むべき道はどの方向なのか? こんな巨大なプロジェクトだと、一歩間違えると、その影響は大げさに言うと人類の未来に関わるということになるわけだ。でも、その方向を最終的に決定するのは、アメリカの(あの)大統領だったりするんだから、困ったものかもしれない。。
一方で、この四半世紀のスペースシャトル時代(宇宙開発の停滞期?)の間に、人々の抱く未来感というのは、バラ色の未来からやや悲観的なものへと、大きく姿を変えてしまったのではないだろうか? まあ、これに関してはシャトルの責任ではなく、たまたまそういう時代だったのだ、と言うべきかもしれないが。。
さて、今週のスペースシャトルの打ち上げを通じて、果たして人々はどんな未来をイメージすることになるのだろう?
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