「環業革命」
「メタルカラーの時代」で有名な、山根さんが提唱している「環業革命」という言葉をそのままタイトルにした本である。「環業革命」(英語では Eco-Industrial Revolution)というわかりやすい用語を生み出すセンスはさすがである。帯には、「環境+産業=日本復活!」と大きく書かれ、さらに
人類史上最大の危機「地球温暖化」。それはなぜ起こり、どう克服していけばいいのか。とある。うーむ、地球温暖化が人類史上最大の危機、という認識には異論をはさみたくなるところだが、ともかく読んでみた。
まず、産業革命の頃からの大気汚染や海洋汚染などの、いわゆる過去の公害問題を取り上げ、それらが人間が自分たちが捨てたものが及ぼす影響を全く想定せずに、大気汚染物質や水質汚濁物質を捨て続けたためだった、と総括する。そして、それと同じ目線で、二酸化炭素を大量に放出し続けることによる地球温暖化の問題が顕在化し始めていると警告する。
環境問題を扱う人は、加害者と被害者が比較的明確で、狭い地域で起こった公害問題と、地球温暖化問題のように広範囲にわたり、加害者と被害者の関係も複雑となる地球規模の問題は区別して考える傾向があるのだが、山根さんの考え方はシンプルでわかりやすい。とは言え、地球温暖化と二酸化炭素の排出の問題は単なる廃棄物問題ではなく、化石燃料の消費という入口側と直結した問題という認識が必要であろう。
地球温暖化問題が人類最大の危機というアジテーションには、やっぱりうなずけない。具体的にどんな事態が起きて、どんな世の中になるのかという論理的な展開がないし、象徴的ないくつかのエピソードで煽り立てるだけでは、他の環境原理主義と一緒で新鮮味がない。個人的には、エネルギーや食料の問題の方が人類への影響は直接的だし、具体的にもイメージしやすいのではないかと思うのだが。。
しかし、さすがに著者はフットワークが軽く、イギリスの産業革命発祥の地、アマゾンの奧地、アルプスの氷河、太平洋の深海、ドイツの自然エネルギーの街など、世界各地を実際に取材し、多くの人と会って話をする。その体験に基づくストーリーにはやっぱり重みがあるのだ。環境問題の特質ゆえに、それぞれの話が直接関係していないので、やや散漫な印象も免れないのだが、逆にバラエティに富んだ話が読めて面白い、という側面もある。
結局、著者が説く「環業革命」とは何か? 本書の末尾に「産業革命から環業革命への構図」という図が掲載されており、そのキャプションにかろうじて環業革命の定義が出てくる。(p.320~321)
18世紀の「産業革命」以降続けてきたその文明の構図を変え、「ごみ」ができるだけ出ない資源やエネルギーの利用開発を進める「環業革命」を進めねばならない。「環業革命」は「環境」と「循環」に配慮した資源とエネルギーを利用する「産業」を興すことを意味する。ということで、このページの模式図は、自然エネルギー、水素、バイオマス、ゼロエミッション、森林、といったキーワードが並ぶもので、この概念自身は決して目新しいものではなさそうだ。
でも、本書を読んでいると「そんな理屈をグダグダ言ってないで、実際に行動を起こすことが重要だ!」という著者の主張が伝わってくる。ともかく、やるべきことをできることから着実に実行することで、いつの間にか仲間ができ、多くの力が集まることで、さらに大きな行動を起こすことができる、というメッセージこそが本書の最も重要なポイントかもしれない。
ところで、本書で紹介されている、1992年にリオ・デ・ジャネイロで行われた「地球サミット」の記念写真のエピソードが面白い。このリオ・サミットは、地球環境問題への国際協調を語る上では避けて通れない歴史的な会議として知られるが、世界各国の代表104名が写っているこの会議の記念写真に何故か日本の代表が写っていないというのである。
その理由は簡単で、当時の宮澤総理が、PKO法案の審議で紛糾していた国会対策のためにどうしても出国できず、専用機を羽田空港に用意しながら、結局リオ・サミットを欠席してしまったためという。その後の日本の環境問題への対応は、1997年の京都会議を一応の成功に導いたとは言え、2001年のヨハネスブルク・サミットでの対応も決して褒められないものだった。その意味で、この写真は、日本という国が地球環境問題をどういう優先順位でどのように取り組もうとしているかが見えるとても象徴的なものと言えそうだ。
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