「視覚世界の謎に迫る」
本書は「見る」ということはどういうことなのかを深く追求した本なのだが、主として眼から入ってきた光信号が脳に伝わった後に、脳の中でどのように認識されるのか、という部分に着目したもので、視覚に関するソフトウエアについて書かれたものである。僕自身は幸いにも見るということに関して特に大きな障害もなく、今までこんなことは深く考えたこともなかったのだが、本書には沢山の驚くべき事実や実験結果が詰まっており、実に興味深く読み進めることができた。
ブルーバックス B1501
視覚世界の謎に迫る 脳と視覚の実験心理学
山口 真美 著 bk1、amazon
著者の専門は脳科学ではなく心理学に近い分野のようだ。本書では、主として人がどうやって眼からの信号を処理し3次元世界を認識しているのかといったことを、動物や赤ちゃんを対象として行った実験や、眼や脳に障害を持った人の事例などを通して明らかにしていく。
例えばカメラからの画像信号をコンピュータで処理して、人間が普段無意識に行っているような各種認識(物の形、距離、大きさ、動き、速度などなど)を可能とするようなプログラムを組むことを考えてみると、人間の脳が行っている画像認識というプロセスが非常に高度な処理を高速に行っているであろうことに気付かされる。
本書では、これらの処理は必ずしも生まれ付きできるわけではなく、人間の成長過程で一つずつ経験を積みながら身につけていくものが多いということを明らかにしてくれる。残念なことに、自分自身が赤ん坊の頃に、世界がどう見えていて、成長と共に視覚やその認識力がどう変化してきたのか、という点について全く記憶が残っていないのだが、乳児や幼児が見ている世界は大人が見ている世界とは思った以上に異なっているようだ。
なかなか面白いのは、そのように視覚が十分に発達していない乳児でも、絵画の遠近法を使って描かれた図形を見て遠近感を感じ取れるようになるのか? なんてことを実際に実験をしながら調べていくのだが、まだ意志表示がうまくできない赤ん坊が実際にどんな世界を見ているのかを明らかにするために、さまざまな工夫が凝らされている。本書では具体的な実験方法の詳細にはあまり触れられていないのだが、有効な実験方法を見つける段階が相当に大きなブレークスルーとなりそうだ。
他にも多くの興味深い例が出てくるのだが、視覚世界の話であり、こうして文章で説明するのは非常に難しい。本書のまえがきには、著者のホームページのデモンストレーションを見て欲しいと書かれているのだが、ちょっと専門的過ぎて解説がないと理解はむずかしそうだ。本書の内容の一部だけではあるが、顔の認識に関しては、森山さんのNetScience Interview Mailで紹介されているようだ。
顔の認識で出てくる面白い話としては、人間は人の顔の認識をかなり特殊な方法で行っているらしく、例えばサッチャー錯視なんていうのがある。興味深いことに、犬のブリーダーは似たような多くの犬を一目で識別できるのだが、そのためか彼らの場合には犬の全体像に関してもサッチャー錯視と同様の現象が起こるのだそうだ。これらのことから、似たような多くのものを素早く識別するために、ヒトが頭の中で行っている識別処理の方法を推定することができたりするわけだ。
人間の脳の情報処理のすごさを再認識すると共に、自分では全く意識していないけど、この能力が赤ん坊のときから少しずつ経験を積んで作り上げてきたかなり微妙なものであるらしい。自分が世の中を普通に認識できる視覚を持っていることを改めて感謝したい気分にさせられる。
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