「空前絶後のスーパー仕事師」
文庫版のメタルカラーの時代の最新作。前作「わくわくする大科学の創造主」についてはこちらで紹介した。今回は、前半が超精密測定に関する技術、中盤がスプリング8、後半はアマゾン関係というラインナップである。
小学館文庫
[文庫版]メタルカラーの時代12
空前絶後のスーパー仕事師
山根 一眞 著 bk1、amazon
最初に出てくるキログラム原器の話は、間接的にはお世話になっているにも関わらず普段見聞きすることのない世界で、非常に面白かった。以前質量の定義とアボガドロ定数というエントリを書いたことがあるが、長さや時間の単位については既に普遍定数を用いて定義されているのに、質量だけがいまだに「キログラム原器」という実物をベースとして定義されている。で、このキログラム原器の正規の複製品を日本で如何に管理し、日本中の秤の較正をどのようにしているのか?という話である。
そもそもキログラム原器がどこにどのように保管されているのか? というところからして面白い。キログラム原器自身はWikipediaにも写真が掲載されているし、これと似たような写真は今までにも見たことがあったのだが、このキログラム原器の保管状況が何ともすごい。産総研のつくば研究所の地下、鉄格子のはまった部屋の奥の直接見えない場所に置かれ、外からは鏡に写った状態で見えるようにしているらしい。これは、万が一何か物を投げつけられても損傷しないようにとの配慮らしく、神棚のような置き場にキログラム原器、実験原器、副原器の3つが並んでいて、何ともおごそかというか仰々しいというか。。 この写真を見るだけでもこの本を手に取ってみる価値があると思う。
で、この日本のキログラム原器と本家フランスのキログラム原器との比較を行い校正する作業や、日本のキログラム原器の質量を副原器移す作業の段取などが紹介されており、非常に興味深い。そのための100億分の一キログラム(100ナノグラム)まで測れる超精密天秤なんてものまで存在するというから驚きだ。作業の段取も、ほとんど職人芸の世界になっているのだが、これが現時点でも日本のあらゆる取引の基準を定める作業ということになると思うと、複雑な思いになってしまう。。
さて、本書でもう一つ非常に興味深かったのが、後半に出てくる小野田寛郎さんの話。小野田さんは旧陸軍少尉で終戦後もフィリピンのルバング島に残り、1974年にようやく投降し、日本に戻ってきた。その後ブラジルに渡って元気に暮らされているようだ。当時やその後の報道をあまり詳しく見ていなかったために僕が知らなかっただけかもしれないが、この対談を読むと小野田さんは決して浦島太郎のような状況ではなかったようだ。ラジオを手に入れたりして、相当に現実の状況を把握していたらしい。(じゃあ何故、いつまでも隠れ続けたのかという点はやや矛盾しているような気がするのだが。。)
小野田さんは実は科学少年だったらしく、薬品の取り扱い方などにも精通し、銃弾の火薬を取り出して天日乾燥し、密閉保管していたり、縫い針を焼入れして自作したりと、ジャングルでのサバイバルのための様々な工夫をするための基礎知識を持っていたようだし、だからこそ生き抜くことができたということらしい。
また、ラジオ、テレビ、ジェットエンジンなどについての知識も持っていて、夜空を眺めて人工衛星が飛んでいることを理解していたり、ラジオで日本の短波放送を聴いて、新幹線の開業や大阪万博のことを知ったり、競馬中継を聴いて楽しんだりもしていたらしい。。 抱いていたイメージとのギャップに驚かされる話ばかりである。 で、今は子どもたちのために小野田自然塾というのを開校しているようだ。
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