「人体 失敗の進化史」
読書メモは随分久しぶり。この間もそれなりに本は読んでいたのだが、たまたまブログに書き込む暇がなかったのだ。今さら2か月も前に読んだ本の感想を思い出しだし書くのも辛いので、以前読んだものはとりあえず置いておき、最近読んだ本についてのメモを書き残していくことにしよう。
さて、この本の帯には
地球史上最大の改造作は、どう生まれ、運命やいかに。「ぼろぼろの設計図」を読む。とあり、人体の設計図は生物進化の歴史の中で何度も何度も描き換えられたボロボロのもので、人類はいわば究極の失敗作なのだ、ということを述べた本のようだ。
光文社新書 258
人体 失敗の進化史
遠藤 秀紀 著 bk1、amazon
著者は動物の遺体解剖を通じて生物学的な研究を進めてきた方で、遺体科学という学問領域を提唱されているとのこと。我々人類の体を解剖学的に見てみると、地球上の生物が今までどのように進化してきたのかというストーリーが見えてくるようだ。その進化の過程は、設計変更の歴史であり、水中生活から地上生活へ、4足歩行から2足歩行へ、などのように大きく生活様式が変化していく時には、当初の設計図では想定していなかったような大きな変更を施すことにより対応してきたと言える。本書では、その設計変更がいかに行き当たりばったりであったのかを、多くの実例をもとに説明してくれる。
本書で扱っている具体例としては、鳥の肩の骨とヒトの肩の骨の違い、心臓の発生の歴史、骨の発生、耳小骨の誕生、顎関節の誕生、手足の誕生、臍の始まり、肺の誕生、鳥の翼とコウモリの翼、2足歩行のための改造、ヒトの手の特徴、ヒトの脳、ヒトの繁殖戦略などなど。写真や絵を豊富に交えながらなかなか興味深く、しかもとても丁寧に解説してくれている。惜しむらくは、写真があまり鮮明でないのと、さらに素人にとっては写真の説明を読んでもあまりピンと来ないことだろうか。それでも今後、骨付きの魚や鳥を食べる時には、少し骨の付き方を意識して観察してみようか、という気にさせてくれる程度に興味を持たせてくれる。
本書では、あくまでも動物の遺体解剖を通して得た知見を元に、生物の進化、特に人類への進化の歴史を振り返ってみようというもので、いわゆる進化論についての説明はほとんどない。そのため、本書を読むことで進化の結果については理解できるのだが、進化の起こるプロセスやメカニズムについては全く理解できないことに注意が必要であろう。本書で進化の結果に興味を持った人には、その興味が尽きないうちに進化のメカニズムについての良書に目を通されることをお勧めしたい。
それでも本書を読むと、巷で最近話題になるインテリジェント・デザイン(ID)論がいかに事実を真剣に見ていないかということを思い知らされる。いわゆる知的設計者がいて、人類のような複雑な生命の設計図を描いたのだとすると、その設計者があまりにも行き当たりばったりで、強引で、お世辞にも知的とは呼べそうもないということが明白である。やはり本書の著者のように地道に多くの研究を積み重ねてきた方の説明は説得力があるし、ID論者には是非本書を読んだ上で論理的な反論を期待したい。新たな事実を前にして、強引で自分本位な説明をしようとすればするほど墓穴を掘ってくれそうで、それはそれで期待できるかもしれない。。。
さて、本書の後半では、人類が自らを滅ぼすことのできる兵器を作り、地球環境を不可逆的に破壊してきたことなどを述べた上で、
たかが五〇〇万年で、ここまで自分たちが暮らす土台を揺るがせた“乱暴者”は、やはりヒト科ただ一群である。何千万年、何億年と行き続ける生物群がいるなかで、人類が短期間に見せた賢いがゆえの愚かさは、このグループが動物としては明らかな失敗作であることを意味しているといえるだろう。という人類観を述べている。これはこれで非常に説得力があるのだが、その後でヒト科全体を批判するのがためらわれるとしても、明らかにホモ・サピエンスは成功したとは思われない。この二足歩行の動物は、どちらかといえば、化け物の類だ。五〇キロの身体に一四〇〇ccの脳をつなげてしまった哀しいモンスターなのである。
私が心から愛でておきたいのは、自分たちが失敗作であることに気づくような動物を生み出してしまうほど、身体の設計変更には、無限に近い可能性が秘められているということだ。と結んでおり、決して悲観的なだけではないこともわかる。
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