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2006/09/20

「リスクのモノサシ」

五月兎の赤目雑感で紹介されているのを見て、読んでみた。リスク関係の本はいくつか読んでいるが、本書は心理学者から見たリスクの話であるということで、何か新たな視点や知見が得られることを期待したのだが、期待以上に大変面白く読めた。文句なしにお勧めの本である。なお、著者の専門はリスク心理学とのことだが、そんな分野があるとは知らなかった。

NHKブックス 1063
 リスクのモノサシ 安全・安心生活はありうるか
 中谷内 一也 著 bk1amazon

タイトルは「リスクのモノサシ」とあるが、実はこのタイトルは本書の盛りだくさんな内容のほんの一部しか表していない。各章がそれぞれ独立した本として成立するような興味深い内容を扱っており、本書はそれらの入門編といったところだろうか。

序章ではダイオキシン、環境ホルモン、SARS、BSEなどの問題は実は人的被害はほとんどなく、騒ぎだけが大きかったことを指摘している。本書の主要なテーマは、リスクは小さいのにリスク情報が混乱をもたらしたのは何故か? を考えるというものである。

第1章はマスメディアが持つ報道スタイルの特性を指摘し、最悪パターンを強調する傾向があることや、読者が理解しやすいようにリスクの程度を伝える努力をしていないことなどについて述べている。

第2章では逆に専門家側の問題点を指摘している。リスク情報の発信源である科学者サイドが、ほとんどゼロに近いリスクを「ないとは言えない」と曖昧にする傾向、自分が客観的な立場から物を見ていると過信する傾向、一旦マスコミに取り上げられた自説をなかなか曲げない傾向などを持つことについて、興味深い考察がされている。

第3章では、リスク情報の受け手側にリスクを過大視しやすい傾向があることを指摘する。恐ろしいものや未知のリスクを過大に評価しやすいだけでなく、一般に人は低確率領域でその事態に対して過大な重み付けをしやすいことや、具体的な単一事例の方が抽象的な統計資料より大きなインパクトを与えやすいことなど、社会実験例などをもとに説明している。

第4章ではリスク情報は統一されたモノサシを付けて報道することが有用ではないか、という著者の提案が展開される。具体的には、10万人当たりの年間死亡者数をベースとした対数スケールのモノサシを使い、死亡者数が250人規模のガン、24人規模の自殺、9人程度の交通事故、1.7人程度の火事、0.1人規模の自然災害、0.002人の落雷をその目盛とすることを提案している。

例えばアスベストによる中皮腫のリスクは約0.75人であり、火事での死亡リスクより小さく、自然災害による死亡リスクより大きいとわかるし、BSEによるヤコブ病のリスクは最大に見積もっても0.001人以下のリスクであり、非常に小さなリスクであることが理解できるというものである。

ここでのポイントは、新たなリスクを報道する側が、そのリスクの大きさをこういったモノサシと一緒に伝えるようにしようということだ。従来の報道はリスクの大きさが不明だったり、直接比較が困難な数値だけだったりと問題があるので、報道する側が責任を持ってここまで突っ込んだ情報提供をしてくれという提案である。もっとも、人の死を統計的に取り扱うことが大きな反発を受けることも容易に予想できるわけで、こういった考え方がどれだけ一般に受け入れられるものか疑問ではある。。 実はその辺こそがリスク心理学の出番という気がするし、もう少し突っ込んでみる必要があるように思う。

第5章以降は、信頼をテーマにして、少し毛色の違った議論を展開しているのだが、正直に言ってやや難解というか、消化不良という印象だ。第5章は、安全か危険かのシロ・クロ二分法になりやすい傾向について考察している。選択肢が多い豊かな社会では、人々は小さなリスクを敢えて選択する必要がないことも多く、ひとつひとつの選択はそれほど深刻なものでなくても、それが集まると、社会全体としてはパニック(ほうれん草や牛肉のケース)のような大きな問題となりうると指摘する。

第6章では社会から信頼されるためにはどうしたらいいのか?を考えている。従来のリスクマネジメントでは、専門性と信頼性が重要で、中立な立場の専門家による検討会を開き、とことん情報公開を行うというのが最近のトレンドとなっている。これに対し、これだけでは必ずしも信頼は得られず、主となる価値が相手と類似しているかどうかが重要であると指摘して新たな信頼モデルを提案している。確かに、相手の主張を素直に受け入れるかどうかには、先入観が影響するだろうし、従来の考えを変えるほどの説得力を持つのは難しそうだ。

第7章は、信頼を回復するには何が必要かを述べている。一般的には監視と制裁の仕組みを導入することや、市民参加プログラムを用意して市民の目を入れることが重要とされているのだが、面白いのは、自発的に人質を供出することが有効であることを示している。これは、外部から強制的に規制される前に、自発的に自己規制を宣言し、もしもそれに違反したら自己制裁することを明言することで、社会からの信頼度が格段に高くなるという社会実験に基づくものである。

最後の第8章では安全・安心な社会はありうるのか? を考察し、安全と安心の両方を同時に満たすことはできないと結論している。安全を目指せば目指すほど、新たなリスク情報が世に出てくることになり、結果として不安の種はなくならないというストーリーのようだが、確かにそういう側面があることも理解できる。本当に安全と安心が両立しないかどうかは、異論もあるだろうと思うけど、安全・安心という言葉をあまり深く考えずにセットで使うのはそろそろ止めて、じっくりと考えてみる必要があることは確かだろう。

ということで、本書はリスクに関して実に幅広い領域をカバーし、それぞれにかなり興味深い問題提起なり提案をしていると思う。それでいて非常に読みやすくわかりやすいため、あっさりしすぎて物足りないという印象もないではない。できればより深く突っ込んだ内容の続編を期待したいところだ。

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