「タバコ有害論に異議あり!」
書店の新書コーナーに平積みになっている本書が目に付いて購入。個人的には一日40本以上をコンスタントに吸っていたヘビースモーカーだったのだが、ある日スパッとタバコを辞めてから3.5年。その後、各種のリスクを定量的に扱う本などを何冊も読んだ身としては、今さらタバコ有害論に異議あり!って言われてもなあ。。 一体どんなアクロバティックな議論をしているんだろう? という興味だったのだが、果たして? 帯には
胸を張ってタバコを吸おう!とあり、さらに扉には
喫煙で肺が真っ黒になる、肺ガン説、受動喫煙被害 -どれも科学的根拠なんてない!
タバコ有害論の根拠となっている疫学統計は「有害である」という結論が先にありきの、悪質な操作に満ちたものだったことを徹底追求!と中々勇ましい文句が並んでいる。
洋泉社新書 166
タバコ有害論に異議あり!
名取 春彦・上杉 正幸 著 bk1、amazon
本書は前半が名取さんによる「つくられたタバコ有害論」、後半が上杉さんによる「タバコを“悪”とみなす「健康社会」の矛盾」という2章立て。ちなみに、名取さんは獨協医科大学に勤める医学博士、上杉さんは香川大学教育学部の教授である。
まあ、既にタバコを辞めちゃった身として読むせいもあるのかもしれないけど、本書を読み進むと何故か著者がだんだん哀れに思えてくる。端的に言えば、本書の前半のタバコ有害論に対する反論の根拠は、タバコ有害論でよく引用されるらしい平山雄さんという方の疫学研究に対する反論である。僕は、ここで展開されている議論そのものを詳しく理解しているわけではないのだが、少なくともはっきり言えることは、平山さんの論文の欠点を指摘して、鬼の首を取ったかのように勝ち誇っても、禁煙喫煙有害論サイドにとっては痛くも痒くもないだろうということだ。今、世界中でこれだけ大きな禁煙への大きな流れが起きているのに、その根拠がたった一つの日本の論文にあると考える方がどうかしているだろう。それに、今まで世界中の多くの研究者が、この本で指摘される程度の点に誰も気付いてなかったわけがない。
一方でタバコの利点として挙げているのが、眠気が醒める、リラックスできる、発想の転換を促す、気付け作用がある、痴呆症の予防になるかもしれない、喫煙所のコミュニケーションが有益である、といった程度のものであり、子供だましレベルの典型的な言い訳のオンパレードである。タバコを吸っている時には、確かにこんな論理でも説得力がありそうな気がするのだろうが、タバコを吸わずに普通に生活している多くの人の生活や、タバコを吸い始める前の自分に対する想像力の欠如と言っていいのではなかろうか?
一方、後半の健康社会の矛盾に関する指摘は、今の世の中は行き過ぎた健康志向であり、世の中から多少とも有害の可能性のあるものを全て排除しようとすると、生きていくことが困難になってしまうという主旨で話が進む。この部分には確かに大筋で同意できるのだが、何故かその後で論理が怪しくなってしまう。
まず、感染症などのように因果関係がストレートなものと比べると、タバコの人体への有害性は複雑で、その大きさは不確実であると述べた後、だからこそ、不確実なリスクを気にして生活するのは不幸な生き方であると展開してしまうのだ。どうやらタバコの害はそれ程大きくないのに、有害か無害かの2元論で有害と判断してしまうのはおかしいと言いたいらしい。確かに、不確実なリスクを全て1か0かで判断してしまってはおかしくなるだろうけど、今や我々は不確実なリスクを定量的に比較する方法を種々手にしているのだ。もちろん、その大きさは新たなデータや知見が出ることで変動するのだろうけど、徐々に真の値に近づいていくと信じて構わないだろう。
タイトルや帯は随分と強気だし、著者もそれぞれ自信を持って自説を述べているのだろうけど、少なくとも僕は読み進むにつれて、説得力の貧弱さや論理の綻びが目に付いて、やっぱりタバコ有害論への反論はこの程度のものなんだ、と妙に納得した次第。まあ、週刊誌なんかの短い文章ならともかくも、本書程度の分量を反論で埋めようとすると、長くなればなるほど粗が目立つということかもしれない。
むしろ、一見タバコを擁護するふりをしているけど、この本は実はタバコ有害論側からの手の込んだ切り崩し工作なのではないか?と疑いたくなったくらいだ。。 少なくとも、僕はタバコをやめなきゃ良かったとは全然思わなかったし、もしも今もタバコを吸っていたとしても、こんなにみっともない屁理屈を言う人と一緒はごめんだと思ったことだろう。
ちなみに、疫学をベースとしたタバコ有害論については、まずは川端裕人さんのブログ「リヴァイアサン、日々のわざ」の喫煙、疫学関係のエントリに目を通すのがお勧めだと思う。本書の著者もここでの議論を読んでから出直して欲しいところだ。
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