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2007/07/02

「蚊 ウイルスの運び屋」

中西準子さんの雑感に、先月、「こんなに悲しいグラフがあるんだ-DDTについて考える-」という記事が掲載された。かなり無理やり要約すると、現在も、アフリカなどの貧しい国々に暮らす非常に多くの人たちがマラリアに感染し、死んでいっているという悲しい現実があり、マラリア対策がうまく行っていない原因として、媒介蚊に対して絶大な殺虫効果を示すDDTが環境汚染物質として使用を禁止されたことが大きく、結果として環境汚染のリスクを恐れたがために、非常に多くの人の命が失われてしまったのではないか、という主旨である。

このような話は、以前から何度か目にしていた話(参考:ウィキペディア)だし、タイミングよく食品安全情報blogでも、同じ主旨の記事が紹介されたこともあり、確かに今後はマラリア対策としてDDTを効果的に使用していく方向へ向かうべきだなと納得していたところがある。

ところが、群馬大学の中澤港さんのサイトの6/5のメモ6/13のメモで、これに対する反論が展開されているのを目にした。中西さんが見積もった数値の正しさなどはともかくとして、DDTの有効性を考えるためには、まずはマラリアとはどんな病気で、過去にどのような経緯があったのか、少しきちんとレビューしておくことが重要だろうと考え、中澤さんが紹介してくれた本書を読んでみた。

ヴィレッジブックス ソニー・マガジンズ(文庫)
 蚊 ウイルスの運び屋 -蚊と感染症の恐怖-
 アンドリュー・スピールマン&マイケル・ド・アントニオ 共著 bk1amazon

本書は、海外の科学系の読み物を翻訳した時にありがちな読みにくさがなく、ストーリーもわかりやすい。黄熱病(これは野口英世との関わりで有名な病気だけど、蚊が媒介するものだとは知らなかった)、日本脳炎、デング熱、西ナイルウイルスなどの話も出てくるのだが、大半はマラリアに関する人間と蚊との戦いの物語である。これを読むと、かつてマラリアが世界中で猛威を奮い、人類の歴史に多大な影響を与えてきた病気であることが、実によくわかる。というか、マラリアがそれだけ怖い病気であり、大きな影響力があるということを知らずに暮らせている今の我々がいかに幸せなのか、という気にさせられる。

ちなみに、国立感染症研究所の栗原毅さんによる日本語版監修者あとがきによると、以前は日本でも毎年20万人ものマラリア患者がいたとのこと。驚いて調べてみると、日本におけるマラリアによると、数十万人の話は出てこないが、戦前および終戦直後には数万人規模で患者が存在しており、やがて1955年頃にほぼ消滅したものの、最近は海外旅行者の影響もありやや増加傾向であるようだ。

マラリアというと、先進国ではほぼ制圧できているせいもあってか、今ではきちんと薬を使えば比較的容易に対処できる病気なのではないかと思ってしまうが、本書を読んでみると、敵はとてつもなくしぶとくて、DDTさえ使えば簡単に制圧できるというような生易しい相手ではないようだ。

確かにDDTはマラリア対策の特効薬として機能するのだが、それにはかなりの限定条件が付くようだ。非常に効果的に蚊を殺し、しかも極めて安価であることは間違いないし、環境への影響も(適切に使用すれば)比較的限定的と見られるのだが、残念ながら、短期間(5年程度)でDDT耐性の蚊が発生し、以降はDDTの効果は期待できなくなるというのが最大の問題点のようだ。

よく例にあげられるスリランカでも、マラリアの撲滅に失敗したのは、DDT禁止のためというよりは、むしろDDT耐性の蚊の出現や、蚊を殲滅するための掃討作戦の不備などが原因であったと書かれている。悪いことに、人が獲得するマラリアに対する免疫は短期間に失われるため、マラリア対策が中途半端に終わると、その後の流行が以前より悲惨なことになるという問題もあるようだ。

本書も、DDTの有効性を否定しているわけではないし、環境汚染のリスクを理由にDDTを禁止すべきという主張をしているわけでもない。しかし、逆にDDTに頼るだけではマラリアや他の蚊が媒介する感染症を撲滅することは不可能であり、より多面的な対策が必要であることが様々な観点から述べられている。結局のところ、その多面的で総合的な対策のひとつとして、DDT耐性の蚊の出現に気を付けながら、DDTが有効な局面できちんと管理して使用するべきであるということになるようだ。

本書を読んで感じたのは、DDTだけに依存した蚊との戦いは、まるでアメリカ軍にとってのベトナム戦争やイラクでの対テロ戦争みたいなものだ、ということである。力づくで強引に相手を屈服させようとしても、しぶとい相手から手痛い反撃を食らい、極めて不毛な戦いとなるという点に共通するものを感じる。そもそも、ある地域から病気を媒介する蚊を絶滅させようなんて戦略は、如何にも無理がありそうだ。例えば、日本でマラリアや日本脳炎を征服できたように、そして過去のアメリカやヨーロッパ、あるいはパナマ運河などで、人類が蚊との戦いに勝利してきた事実が示すように、適切な殺虫剤の使用の他にも、抗マラリア薬、蚊の発生源対策、さらには家屋への侵入対策など含めた、総合的な対策を地道に展開していくことが必要という認識が重要のようだ。

マラリアはホットなトピックのようで、今月の NATIONAL GEOGRAPHIC日本版の特集でも、世界で大流行 マラリアの脅威という読み応えのある記事が読める。本書でも、この記事でも、結局マラリアとの戦いで一番重要なことは、遠回りなようだけど、貧困からの脱出であるということが指摘されているし、実際の対策は、DDTの使用も含め、総合的な観点から進められているようだ。

ここのところ、環境ホルモンやダイオキシンなどに代表される化学物質が、実態以上に悪者扱いされてきたことへの反動もあり、「マラリアが再流行しているのは(環境汚染物質として濡れ衣を着せられた)DDTを禁止したことが原因である」という主張は、何となく素直に流布しやすい傾向があるように思える。もちろん、DDTの環境や人体への影響を正しく見積もることは重要であり、それによって濡れ衣の部分は正していかなくてはならないのだけれど(参考:有機化学美術館)、逆にマラリア対策としてDDTの有効性を無邪気に信じてしまうのもまた非科学的であるということを肝に銘じなくてはならない。

その意味で、本書はとても大切なことを教えてくれたと思うし、この本を薦めてくれた中澤さんにも感謝したい。本書を読むと、これからの季節、蚊に刺されることがとっても怖くなるかもしれないけど、皆さんにも是非一読をお薦めしたい。

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コメント

「蚊 ウイルスの運び屋」なかなか面白そうですね。時間を見つけて読んでみたいと思います。

ちなみにDDTとマラリアに関して中西氏のHPには、雑感377 http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak376_380.html
にてDDTと他の薬剤の組み合わせ使用によって耐性種を駆除しようという方法が紹介されています。
ご紹介の本にはインドでうまく行ってる?というこのような総合的な手法についての紹介もあるのでしょうか?

中澤氏のサイトも勉強になりました。さすがにマラリアを専門で見てらしただけあって、中西氏の主張に対する疑問の提示には説得力があると感じました。
ただ屋内繋留性がなく早晩屋外吸血性だというソロモン諸島の蚊を引き合いに出すのが、熱帯全体のマラリアに広く当てはまるのかちょっと疑問だったのと、オーマイニュースのあの内容を中西氏に対する反対意見として提示するのは、ちょっとどうか?と感じたのも正直なところです。

投稿: 赤ガエル | 2007/07/03 22:39

赤ガエルさん、コメントありがとうございます。

中西さんのサイトにあるDDT耐性への対処法は、以下の部分ですね。

DDTに対して耐性をもつ蚊ができるので、DDTの効果は限られているということがしばしば言われる。では、何故、DDTはこれほど長く使われるのか、また、現に効果をあげている(インドなど)というのが不思議だったが、Jim Dukelowという人の書いた文章を読んでいたら、この謎が解けた(内藤航さんがinternetで見つけた)。

蚊は直ぐにDDTに耐性をもつようになる。しかし、このDDT耐性種は、耐性種になるときにある種の能力を失うようで、DDTのないところでは野性の蚊と競争すると負けて絶滅するという。

したがって、他の薬剤も少し使い、DDTの使用のタイミングを調整すると、耐性種を野生種で退治しながら、蚊を殺すことができるとのことだ。

私も気になっていたのですが、残念ながら本書にはこのような方法については書かれていません。ただ、DDT耐性種が自然淘汰されたり(何年程度かかるのだろう?)、他の薬剤で比較的簡単に絶滅させることができるとしても、実際の現場で現実的に採用できる程度の効果があるのか? コスト面はどうか? など疑問はあります。何となく、この戦略だと所詮いたちごっこのような気もしないではないですし。

なお、そもそも中西さんの文章では、インドなどでは現にDDTがうまく使われていて、効果を発揮しているかのように書かれていますが、本書によると、インドはスリランカと同様に、一時的にDDTによりマラリア制圧に成功したかに見えたものの、DDT耐性種の発生により増加に転じたことが書かれています。やや古いですがhttp://jomf.health.co.jp/report/kaigai/17/100.htm">「海外赴任者のための感染症対策」によると、毎年2百万人もの患者が発生しているようですから、おせじにも成功しているとは言えないと思います。

まあ、私もオーマイニュースの記事そのものはかなり信頼性に疑問を感じましたし、古知新博士という方が唐突に登場してきたことで、何だか陰謀論めいた話になったのはどうかな、と感じました。もっとも、中澤さんがああいう形で取り上げたということから、恐らくいろいろと裏の事情があるのかもしれません。

それと、マラリア媒介蚊については、地域によりその種類や生態は本当にバリエーションが豊富なようです。従って、対策も相手によって千差万別で、屋内撒布が有効なケースもあれば、全然効かないケースもあるんだと思います。

実際に、台湾やギリシャなどでDDTの撒布によってマラリアを絶滅できたのは、この地域の媒介蚊がインドア型でDDTが特に有効な種類だったことが寄与したと書かれています。逆に言えば今マラリアが猛威を奮っている地域では、DDTが効果を発揮しにくい生態の蚊が媒介している可能性が高いのではないでしょうか。

投稿: tf2 | 2007/07/04 00:23

一旦、獲得された耐性が失われるのに必要な時間はモノによって相当違います。ハダニの場合、ある剤に対して1~2年で復活なんていうのもあります。
まぁ~、いずれにせよ1剤で制圧しようなんて無理無理(w
数剤のローテーションでマネージメントというのが現実的かな。
DDTはその「幅」を広げてくれるってとこでしょう。「安さ」は大きな魅力でしょうし。

投稿: Sekizuka | 2007/07/08 23:06

Sekizukaさん、ありがとうございます。

獲得した薬剤耐性が失われてしまうというのは、耐性を持っていない種に置き換わるということでしょうか? 

どんどん色々な薬剤への耐性を獲得し続けることで、最終的にどんな薬剤も効かないような種が大勢を占めるような事態にはならずに、いくつかの種が交代交代しているようなイメージなのでしょうか? これだと、もぐら叩きのようでもあるけれど、効果のある薬剤を適切に使用することで、少なくとも大流行は防げそうな感じですね。

投稿: tf2 | 2007/07/09 19:12

>が失われてしまうというのは、耐性を持っていない種に置き換

「種」というのが「属 種」の種であれば違います。もっと小さいレベルの変異です。「系統」と言ったところでしょうか。
↓(pdf)を見ると地域によって、効く剤が違うのが判ると思います。
http://www.agri.pref.kanagawa.jp/boujosho/yosatu/yoho2007/0705-2-2.pdf


>最終的にどんな薬剤も効かないような種が

これはどういうシナリオを描くか次第だと思います。例えばA~D剤をA→Dの順に使うとして、A剤に耐性が獲得された後もA剤を使い続ければ淘汰がかかり続けますのでA~D全てに耐性が付く事は考えられます。

実際にそうなるかどうかは難しいところで、耐性獲得系統は自然条件下では劣弱な事も多いのですが、そうなるかどうかは、その「耐性」の性質や、他の形質との連座がどうなっているかなどによっても変わります。
逆の方向で考えて見ると判りやすいと思います。「美味しくて」「収量が多く」「病害虫に強い」ものを育種しているわけですが、なかなか良い所取りって訳にはね。(T-T

投稿: Sekizuka | 2007/07/12 07:20

Sekizukaさん、詳しい解説をしていただきありがとうございます。

ある種の蚊を相手にしているつもりでも、実は複雑な生態系が相手なわけで、こちらが思い描いたようにうまく行くとは限らないということなのだろうと思います。いずれにしても、DDTだけで闘うのは所詮無理な戦略で、多種類の薬剤を適宜コントロールして使用するということになるわけですね。

投稿: tf2 | 2007/07/12 19:41

>よく例にあげられるスリランカ

そうですよね。
本当にネットでは、スリランカはよく例に挙げられるのですが
今では、激減したことは、日本語のサイトでは、見たことがないんですよね。
というわけで、WHOのサイト等を参考にしてブログ記事を作りました。

1990年~1993年:28万人~32万人台
1994年~2000年:14万人~27万人台
2001年:6万6522人
2002年:4万1411人
2003年(平成15年)のマラリア患者:1万 510人(そのうち、死者:2人)(WHOの統計)

投稿: 太古 | 2008/09/21 21:29

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