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2007/08/21

「チェルノブイリの森」

今年の夏休みに読んだ本。たまたま、チェルノブイリの原子力発電所の事故のことを少し調べていたので、書店で本書を見つけ、興味を持って読んでみた。帯には

人類、放射能、野生動植物。最後に残るのは何か

汚染地帯には、植生がもどり、希少種の動物が集まり始めた。ここでは放射能をも取り込んだ、新しい生態系が生まれようとしているのか。

というなかなか興味深いコピーが載っている。著者はウクライナ系のアメリカ人ジャーナリスト。チェルノブイリ事故の後、ウクライナ共和国のキエフに移住し、ロサンゼルスタイムズ紙のキエフ特派員として何度も現地を訪れ、そのレポートをまとめたものが本書ということらしい。

チェルノブイリの森 -事故後20年の自然誌-
 メアリー・マイシオ 著 bk1amazon

なかなか面白い内容だった。チェルノブイリ原子力発電所で起きた事故の内容や原因などについてはほとんど何も書かれていないし、本書の性質上、放射線に関連するさまざまな数値や単位がたくさん出てくるは仕方ないところなのだが、全体としてはとても読みやすい。

著者の原子力発電に対するスタンスは、「はっきり述べておくが、私は、かつては原子力の利用に断固として反対していたが、今では気持ちが揺れ動き、中途半端な支持者になった - 少なくとも、化石燃料への依存を減らす一定の猶予期間を設け、そのあいだに代わりのエネルギー源について研究を進めるという政策を支持している。」というもので、本書も単に原子力の恐怖を書き連ねたようなものではなく、非常に中立な視点で、淡々と事実をレポートしているといった感じを受ける。

チェルノブイリの原発事故が起きたのは1986年4月26日。本書の原著は2005年に発行されており、出てくる内容は事故後10年目くらいから2004年頃までの現地の様子である。現地は、現在も原子力発電所を中心として半径30kmが原則として立ち入り禁止となっており、「ゾーン」と呼ばれている。半径30kmがどの程度の大きさかというと、中心を東京駅に置くと、横浜・町田・国立・所沢・大宮・柏・八千代・千葉の当たりが大体30km圏内となる。要するに、東京都23区全域に周辺の市をいくつか加えたような広大な範囲がすべて立ち入り禁止となっているわけだ。

本書では、著者が許可を得て何度もゾーン内を訪れ、そこで見た植物、鳥、獣、魚、人々についてのレポートを中心として話が進む。どうやら事故後約20年が経過し、既にゾーンは地球上でも稀に見るような「自然の楽園」となっているようだ。放射線のレベルはまだ非常に高い所が多く、通常の安全基準から考えると、到底永住できるような場所ではないのだが、それでも植物、鳥、獣、魚が事故以前よりも明らかに増え、そして以前は住まなかったような希少種が新たに棲み付いているが見つかったりもしている。また、立ち入り禁止となった地域に元々住んでいた人のうち何人かが危険を承知で、ゾーン内の元の家に戻って暮らしているようだ。

事故当時は、今後何百年もの間、人類が住めないどころか、草木も生えない不毛の地になるとか、放射線の影響で巨大化したり、奇形化した生物が発生するというようなオドロオドロシイ噂話が伝わったようだが、自然はもっとはるかにしたたかであるとも言える。実際、白血病やその他の放射線に起因するがんなどの発生数は当初の予想をかなり下回っているようで、この分野に関しては今回の事例を解析することも重要な教訓となりそうだ。

さて、たとえ動植物が繁栄しているとしても、とんでもない放射線が飛び交っているような土地が本当に「自然の楽園」と呼べるのか?というのは、本書を通して流れる著者の疑問である。確かに、皮肉なことではあるが、人間の関与がないということが如何に動植物に取って有利に働くのか、ということを如実に示している事態ではある。

しかし実際には、かなり強い放射線が出ているわけで、土壌、水、植物、動物などもそれぞれに様々な放射性物質を多量に含んでおり、当然これらの放射線の影響を受けて、病気になったり、死んでしまった個体の数は相当な量に上るようだ。結局、現地で観察されるのは、そういった淘汰をくぐり抜けた、放射線に対して強い種や強い個体である考えられている。被害も大きかったけど、それにもかかわらず結果として(見かけの?)繁栄を得ることができたということらしい。

本書を読むと、事故直後に事故現場の後処理を行った人たちの決死の作業もすさまじかったのだろうな、と思わずにはいられない。驚かされるのは、本書を読むまで知らなかったのだが、チェルノブイリ原子力発電所の事故を起こした4号炉以外のいくつかの炉は、2001年に停止するまで運転を続けたということ。発電所の作業者がトータルで浴びた放射線は一体どれだけになるのだろう? 

そして、本書によると、現地では現在も廃炉のための作業や、事故のあった原子炉を覆う「石棺」をさらに新しい安全なシェルターで囲うための作業があり、多くの人々が働いているのだが、ゾーン内のほかのどの職業グループよりも高い放射線を浴びている石棺の作業員のほうが、それほど放射線量の高くないところで働いている人よりも健康状態がおおむね良好なのだそうだ。これは

現在シェルターで作業している人たちは、選別されています。体質の弱い人は亡くなったり、健康を害したりして、ゾーンではもう働けないのです。残っている人たちは、放射線に対する抵抗力が強いんです。(p.321)
ということのようだ。要するに、現在現地で元気に作業している人の背後には、健康を害して働けなくなった多くの人たちがいるということだ。動植物の場合なら、淘汰されたという解釈を、複雑な気持ちで受け入れることになるのだろうが、人に対しても同じような「選択」が起こったという事実は、今の日本などが要求する安全レベルとは桁が違いすぎて逆に現実感がない話に聞こえてしまう。

この事故の影響で放射線を浴びた人や動植物の健康状態を今後とも追跡することで、得られるものも多いだろうと思うし、今後、この地がどうなっていくのか、どんな形で何世代も先の未来にこの「遺産」を残していくのか、まだまだ目が離せないという印象だ。

なお、チェルノブイリ原子力発電所をグーグルマップで見るとこんな感じで、さらに高倍率で見るとかなり細部まで判別できる。事故当時の衛星写真配置図と比べてみると面白い。

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コメント

”強い放射能、されど楽園っぽい”、 という事態は、生態学シミュレーションでの変数のうち 「 捕食者=0 かつ 個体死亡率高 」 のような設定にするとそうなるのではないでしょうか?
他にもいくつかパラメータ有りそうですから、やってみると面白いそうですね。

それはそうと、つい先日、学会誌でしたか新聞でしたか、確かエネルギー専門家の言で
「一度傾いたら人が制御できなくなる温暖化のriskより、まだどうにかなりそうな放射能Riskを選ぶべきだ」
などとあったのをみてビックリ。
従来、放射能なんて人が制御できない(遠くに埋めて知らん顔するのみ)だから
なんとしてもコペルニクス転回的環境革命を、というのが環境主義者の考え方だと思うのですが、
最初から今のスタイルは捨てられない、そのためなら放射能のどんなRiskにも耐えてみせる、
と公言しているのに等しいように思えるので。
こういう人は多分自宅の裏に原子炉があっても全然動じないのでしょう?!
ここでみられた”自然のタフネスさ”がそういう鋼のごとき神経の支援になったらどうしましょう。。。
この手の専門家の一部は勿論ブッパータール流のFactorX的議論は知っていても全く心を動かさないのでしょうが、その理由を知りたいものです。

投稿: KS | 2007/08/23 01:22

実際には、色々な動物が増え始めると共に、元々はこの地域ではあまり見られなかった捕食者なども増えているようで、捕食者がゼロで繁栄しているというわけではないようです。結局、それなりに食物連鎖が出来上がっているのだけど、人間の介在がほとんどない(最強の捕食者がいない)状態で、それなりに数多くの種が見かけ上繁栄して暮らしていけているということのようです。

投稿: tf2 | 2007/08/23 21:50

「30km圏」というのがまさに今、退避の対象になっている訳ですが、「東京駅に置くと、横浜・町田・国立・所沢・大宮・柏・八千代・千葉の当たりが大体30km圏内」 …改めてショックでした。自分の住む東京に置き換えると「30km圏」という言葉が、また違った実感を伴って、恐ろしく感じられます。

投稿: はるお | 2011/03/25 23:29

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