2008/01/29

「生命科学の冒険」

ちくまプリマー新書は初めて。中高生を主たる読者として想定している割には、「環境問題のウソ」とか『「科学的」って何だ!』などを書店で見てみると、読みやすそうだけど、内容が冒険的というか、定説とか基本を抑えていないような点が気になるし、どうだろう? と評価していた。しかし、この本はちょっと面白そうだったので、読んでみることに。帯には

「最先端」でも「ちょっと待てよ」
科学の進歩と倫理の問題を考える
とある。著者は毎日新聞の論説委員で、出身は東京大学の薬学部とのこと。

ちくまプリマー新書 073
 生命科学の冒険  生殖・クローン・遺伝子・脳
 青野 由利 著 bk1amazon

さらさらと簡単に読めて、非常に読みやすいけど、内容は非常に充実している。これは、中高生向けの本と位置づけるのはもったいない。これからの時代を生きていく人たちが身に付けておくことが望ましい、生命科学分野の最新の基礎知識や、今後ますます真剣に考える必要が出てくるであろう生命倫理問題が実にコンパクトに要領よくまとまっている。文句なしに多くの大人たちに勧めたい。

第1章は生殖がテーマ。体外受精、非配偶者間人工授精、受精卵養子(胚の提供)、代理出産(サロゲート・マザーとホスト・マザー)、死後受精などが取り扱われている。

第2章はクローンと再生医療がテーマ。クローン羊ドリー、体細胞クローンと受精卵クローン、人への臓器移植のためのクローン豚、クローンペット、治療薬を製造する動物工場、絶滅動物の再生、クローン人間、クローン技術規制法案、ヒトES細胞、ヒトクローン胚、卵子の提供問題、ソウル大学の捏造問題、山中教授の万能細胞、卵子の老化、ミトコンドリア操作など。

第3章は遺伝子がテーマ。遺伝子、DNA、ヒトゲノム、遺伝子診断、遺伝子病、オーダーメイド医療、遺伝子差別、遺伝子情報の保護、遺伝子情報を知る権利と知らないでいる権利、遺伝子診断での受精卵の選択、着床前診断、遺伝子治療、遺伝子ドーピングとエンハンスメント、遺伝子格差など。

第4章は脳科学がテーマ。脳と機械の接続、脳画像の読み取りとプライバシー、ニューロマーケティング、機械が脳を変える、ロボットスーツ、記憶力増強剤、ハッピードラッグ、攻撃的な脳、脳決定論、意識とは、ニューロエシックスなど。

どうだろう、ここに列挙した用語のうち、どの程度の内容を理解できているだろう? 個々の用語の意味やその詳細を知るにはさすがにこの本だけでは不足だろうと思うけど、まあ一般人としてはこの本に書かれている程度を知っていれば十分だろうと思う。

それよりも、これらの生命科学に関わる新たな技術の意義を考え、それを実際に社会に適用していくことの是非を考えていくのは、とてもいい頭の訓練になったような気がする。本書を読んで感じたのは、個別の技術の是非を考えるだけでは不十分で、これらの技術全体を頭に入れて、他の技術とのバランスも考えてみることがとても重要だろうということだ。本書を読み進めていくと、あれがいいならこっちもいいよねとか、これがいいならさっきのあれはどうなんだ、というような場面が何度も出てくる。

本書では、それぞれの問題はどうあるべきなのかについての著者の考えはほとんど提示されていない。逆に、読者がじっくりと考えることができるように、これら多くの複雑な問題点を上手にテーブルの上に並べてくれたという印象がある。本書はとても読みやすいことだし、高校や大学で本書を読んで、みんなで議論してみるなんて使い方も面白そうだ。あるいは、家庭で家族がこの本をテーマに話し合ってみるなんて使い道も面白いかもしれない。何しろ、自分や家族が近い将来これらの問題に直面する可能性は、自分で思っている以上に高いかもしれないし。。

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2008/01/22

「その数学が戦略を決める」

久々に、読んだ本の紹介をしてみたい。帯には、「兆単位のデータ計算が専門家にとってかわる」「政治家も、評論家も、医者も、裁判官も、映画プロデューサーもみんな真っ青!」とある。日経新聞の書評で見つけて、面白そうだったので買ってみた。ハードカバー、全340ページの本で、数学系?の話、しかも翻訳物ということで読むのに苦労するかと思ったが、内容はわかりやすいし、翻訳が山形浩生氏ということもあってか、さくさくと読めた。

その数学が戦略を決める Super Crunchers
 イアン・エアーズ 著 bk1amazon

原題は Super Crunchers、サブタイトルとして、Why thinking-by-numbers is the new way to be smart とある。crunchという単語はあまり聞かないが、コンピュータで計算するという意味があるようだ。この本を読み終わってみても、「その数学が戦略を決める」というタイトルが適切なものには思えない。しいていえば「大量計算が戦略を決める」だろうか。どうしても本書の内容を「数学」と呼ぶのは違和感がある。。

本書は、従来は専門家が行っていたような高度な判断を、いまや大量のデータを統計的に扱うことで、(専門的な知識は必ずしも使わなくても)計算によって行えるようになっている、という事例などを紹介している。その際に、計算機がどのような理論や手順に基づいて判断をしているか、などの数学的な中身が関わりそうな部分については全く触れられていない。その代わりに、いくつかの例を比較的詳しく紹介し、しかも計算機の判断の方が従来の専門家によるものよりも優れているケースが多いということや、逆にそこで懸念される問題点などを明らかにしている。

本書では、そのような大量のデータから答えを見つけ出すような計算のことを、絶対計算と呼んでいる。たぶん原文では super crunching なのだろうけど、適切な日本語はないのだろうか? 絶対計算という単語はもともと囲碁で使われている用語のようで、それ以外にネットで見つかる用例はほとんどが本書に関連しているようだが、今後この意味での用語として定着していくのだろうか?

本書に出てくる絶対計算だが、そこで実際に使われている手法は、回帰分析、多変量解析、主成分分析、ニューラルネットなど、従来からある手法そのもののようだ。しかし、その対象となるデータが膨大であり、しかもそれらが電子化されていて高速大容量の計算機で取り扱うことが可能となったことにより、非常に有用な結果を導き出すことができるようになったというわけだ。

以下、少し長くなるが本書の内容を紹介する。

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序章と第1章では、出荷前にその年の天候からワインの価格を予測したり、野球選手の有望性を判断するために統計的なデータを利用するなどの回帰分析の例が出てくる。他にも、車両盗難防止装置の普及率と実際の車両盗難件数との関係を解析し、適切な保険料を算出する話とか、カジノで遊ぶ顧客が許容する損失を予測し、限界直前で遊ぶのを止めさせるアイデアや、入社テスト時のアンケート調査からその求職者の適性を判断する例なども紹介されている。まあ、これらの話は現実に日本でもいろいろと応用されていそうな例だ。

第2章は、ランダムテストの例である。これは、例えばAとBのどちらが客に好まれるのかを知りたい時に、サービスを受ける顧客をランダムに二分し、一方にはAを、他方にはBを与えるテストを行い、その結果からどちらを本格的に採用するかを決めるような方法である。ここでは、クレジットカード会社がキャッシングの金利を多段階に変えて、顧客の反応を見たり、ウエブサイトのデザインをランダムに変えて、どのデザインが好まれるかを実際のクリック数で判断したり、といった例が出ている。

この方法のメリットは、ほぼ理想的な無作為抽出が可能なので、知りたい答えが比較的ストレートに出てくることで、従来の統計解析のように、多数のコントロールされていないデータから苦労して答えを見つけ出す必要がないということだ。 なるほど、こんな方法があったのか! と驚かされたけど、実はこの手のことは既に日本でもやられているのだろうか? 我々が知らないうちに、実はランダムテストの被験者になっている可能性もあるかもしれない。

第3章は、政府が行うランダムテストの話。少なくともアメリカでは政策の有効性を試すために、試験的に複数の措置を実施し、その結果から本格的な政策を決めるというようなことが行われているのだそうだ。また連邦制であるため、それぞれの州が独自に政策を競い、その結果を見て最良の政策にスライドしていくようなこともできる。また、メキシコでは貧困対策のランダムテストを行い、その結果を使って全国展開をしたなんて例があるようだ。なお、この章では、アメリカの裁判官の割り当てが完全にランダムなので、各裁判官の過去の判決データを解析することで、各裁判官の判決の傾向(量刑のランク)が予想できるなんて例も出ている。

第4章は根拠に基づく医療(EBM)の例。今では、過去の病例や最新の研究結果を網羅したデータベースを元に、患者の病歴や個別症状から病気の診断を行ってくれる「イザベル」というソフトウエアができているとのこと。もちろんこれだけで確定的な診断ができるわけではないので、可能性のある病名やさらに必要な検査項目をリストアップしてくれるものようだ。これにより、従来は見落としがちだった、非常に特殊なケースの可能性も検討できるとか、最新の研究結果を反映した診断が可能となるなど、患者はもちろん医者や病院にとっても相当大きなメリットが出てきそうだ。訳者あとがきによると、残念ながら日本では専門家の抵抗も大きく、このようなソフトが実用化される動きは今のところないらしい。

第5章は専門家と絶対計算の争い。とかく専門家は自分の判断に自信を持っていて、このような(比較的単純な少数の因子だけで結果が予測できるという)絶対計算の結果を過小評価しがちのようで、この章では、いくつかの実例を挙げて、実は絶対計算の方が優れているし、絶対計算結果を参考にして専門家が最終判断するケースでは、絶対計算よりも悪い結果しか得られなかった、という例を紹介している。まあ、そういうケースもあるだろうけど、逆に十分な予測精度を持つ絶対計算モデルがない場合もあるだろうし、一概に決められないだろうと思うけど。。 

第6章では、なぜいま絶対計算がこれだけ発展しているかということで、コンピュータの進歩、記憶容量の進歩、ネットによるデータ収集の容易化、データベースを統合する技術の進歩などを挙げている。まあ、ここはそうだろう。なお、この章で紹介されている例としては、ハリウッドの映画のヒット予測の例や、ヒットする本の題名のつけ方の例が出てくる。本書の原題、Super Crunchers も、この絶対計算によって選んだのだそうだ。ただし、邦題は編集者が(専門的知識に基づいて?)つけたものらしい。

第7章の最初に出てくるのは、アメリカのDI(ダイレクト・インストラクション)という教育法の話である。あの911の瞬間にブッシュ大統領が訪問していた小学校で行われていたのがこのDIらしい。極めてマニュアル化された教育方法のようで、少人数の子供たちを相手に、呼びかけと応答を繰り返す形で教えていく手法らしい。様々な教育論に基づく様々な教育方法があるけれど、実際のデータで見るかぎり、このDIが最も効果的であるということになっているらしい。本当だろうか? アメリカでも随分否定的な意見が多いのだそうだが、本書はこれも専門家がデータを否定する例だと主張している。

この章では絶対計算の先に待ち受ける多くの問題点も提示されている。従来は判断を下す立場にいた人たちの仕事が奪われる、様々な差別のきっかけとなる可能性、プライバシーの侵害は起こらないのか、あるいは間違った絶対計算により間違った判断が下されるような副作用など。

そして最後の第8章では、我々は普段からもっと統計的にものごとを理解する習慣を付ける必要があるという提言。それには、標準偏差(SD)を理解し、平均値±2SDの中に95%が含まれるという2SDルール、および事前確率に新たな条件を組み込んで事後確率を求めるベイズの理論を理解することが有効であるとしており、これらの概念の簡単な理解のしかたを紹介している。

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長々と本書の内容を紹介してきたが、なかなか面白かった。絶対計算をあまりにも万能であるかのように持ち上げすぎという気がするが、こういう動きが世の中で起こっていることはもっと広く知られるべきだろう。日本の現状はどうなのか、というのが気になるところだが、訳者のあとがきでは、日本の場合には専門家の抵抗はアメリカ以上のようだし、個人情報保護法のおかげ(?)もあって、今後の発展にもかなりの制約があるだろうと書かれている。

それでも日本でも、この分野は今後どんどん発展していくだろうし、確かに有益な面も多いけれど、倫理面を含めて憂慮すべき問題点もたくさんある。この分野の具体的な現状や将来像がもっと表に出てきて、いろいろな立場(推進する側や抑制する側)から議論される必要があるように思える。

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2007/08/21

「チェルノブイリの森」

今年の夏休みに読んだ本。たまたま、チェルノブイリの原子力発電所の事故のことを少し調べていたので、書店で本書を見つけ、興味を持って読んでみた。帯には

人類、放射能、野生動植物。最後に残るのは何か

汚染地帯には、植生がもどり、希少種の動物が集まり始めた。ここでは放射能をも取り込んだ、新しい生態系が生まれようとしているのか。

というなかなか興味深いコピーが載っている。著者はウクライナ系のアメリカ人ジャーナリスト。チェルノブイリ事故の後、ウクライナ共和国のキエフに移住し、ロサンゼルスタイムズ紙のキエフ特派員として何度も現地を訪れ、そのレポートをまとめたものが本書ということらしい。

チェルノブイリの森 -事故後20年の自然誌-
 メアリー・マイシオ 著 bk1amazon

なかなか面白い内容だった。チェルノブイリ原子力発電所で起きた事故の内容や原因などについてはほとんど何も書かれていないし、本書の性質上、放射線に関連するさまざまな数値や単位がたくさん出てくるは仕方ないところなのだが、全体としてはとても読みやすい。

著者の原子力発電に対するスタンスは、「はっきり述べておくが、私は、かつては原子力の利用に断固として反対していたが、今では気持ちが揺れ動き、中途半端な支持者になった - 少なくとも、化石燃料への依存を減らす一定の猶予期間を設け、そのあいだに代わりのエネルギー源について研究を進めるという政策を支持している。」というもので、本書も単に原子力の恐怖を書き連ねたようなものではなく、非常に中立な視点で、淡々と事実をレポートしているといった感じを受ける。

チェルノブイリの原発事故が起きたのは1986年4月26日。本書の原著は2005年に発行されており、出てくる内容は事故後10年目くらいから2004年頃までの現地の様子である。現地は、現在も原子力発電所を中心として半径30kmが原則として立ち入り禁止となっており、「ゾーン」と呼ばれている。半径30kmがどの程度の大きさかというと、中心を東京駅に置くと、横浜・町田・国立・所沢・大宮・柏・八千代・千葉の当たりが大体30km圏内となる。要するに、東京都23区全域に周辺の市をいくつか加えたような広大な範囲がすべて立ち入り禁止となっているわけだ。

本書では、著者が許可を得て何度もゾーン内を訪れ、そこで見た植物、鳥、獣、魚、人々についてのレポートを中心として話が進む。どうやら事故後約20年が経過し、既にゾーンは地球上でも稀に見るような「自然の楽園」となっているようだ。放射線のレベルはまだ非常に高い所が多く、通常の安全基準から考えると、到底永住できるような場所ではないのだが、それでも植物、鳥、獣、魚が事故以前よりも明らかに増え、そして以前は住まなかったような希少種が新たに棲み付いているが見つかったりもしている。また、立ち入り禁止となった地域に元々住んでいた人のうち何人かが危険を承知で、ゾーン内の元の家に戻って暮らしているようだ。

事故当時は、今後何百年もの間、人類が住めないどころか、草木も生えない不毛の地になるとか、放射線の影響で巨大化したり、奇形化した生物が発生するというようなオドロオドロシイ噂話が伝わったようだが、自然はもっとはるかにしたたかであるとも言える。実際、白血病やその他の放射線に起因するがんなどの発生数は当初の予想をかなり下回っているようで、この分野に関しては今回の事例を解析することも重要な教訓となりそうだ。

さて、たとえ動植物が繁栄しているとしても、とんでもない放射線が飛び交っているような土地が本当に「自然の楽園」と呼べるのか?というのは、本書を通して流れる著者の疑問である。確かに、皮肉なことではあるが、人間の関与がないということが如何に動植物に取って有利に働くのか、ということを如実に示している事態ではある。

しかし実際には、かなり強い放射線が出ているわけで、土壌、水、植物、動物などもそれぞれに様々な放射性物質を多量に含んでおり、当然これらの放射線の影響を受けて、病気になったり、死んでしまった個体の数は相当な量に上るようだ。結局、現地で観察されるのは、そういった淘汰をくぐり抜けた、放射線に対して強い種や強い個体である考えられている。被害も大きかったけど、それにもかかわらず結果として(見かけの?)繁栄を得ることができたということらしい。

本書を読むと、事故直後に事故現場の後処理を行った人たちの決死の作業もすさまじかったのだろうな、と思わずにはいられない。驚かされるのは、本書を読むまで知らなかったのだが、チェルノブイリ原子力発電所の事故を起こした4号炉以外のいくつかの炉は、2001年に停止するまで運転を続けたということ。発電所の作業者がトータルで浴びた放射線は一体どれだけになるのだろう? 

そして、本書によると、現地では現在も廃炉のための作業や、事故のあった原子炉を覆う「石棺」をさらに新しい安全なシェルターで囲うための作業があり、多くの人々が働いているのだが、ゾーン内のほかのどの職業グループよりも高い放射線を浴びている石棺の作業員のほうが、それほど放射線量の高くないところで働いている人よりも健康状態がおおむね良好なのだそうだ。これは

現在シェルターで作業している人たちは、選別されています。体質の弱い人は亡くなったり、健康を害したりして、ゾーンではもう働けないのです。残っている人たちは、放射線に対する抵抗力が強いんです。(p.321)
ということのようだ。要するに、現在現地で元気に作業している人の背後には、健康を害して働けなくなった多くの人たちがいるということだ。動植物の場合なら、淘汰されたという解釈を、複雑な気持ちで受け入れることになるのだろうが、人に対しても同じような「選択」が起こったという事実は、今の日本などが要求する安全レベルとは桁が違いすぎて逆に現実感がない話に聞こえてしまう。

この事故の影響で放射線を浴びた人や動植物の健康状態を今後とも追跡することで、得られるものも多いだろうと思うし、今後、この地がどうなっていくのか、どんな形で何世代も先の未来にこの「遺産」を残していくのか、まだまだ目が離せないという印象だ。

なお、チェルノブイリ原子力発電所をグーグルマップで見るとこんな感じで、さらに高倍率で見るとかなり細部まで判別できる。事故当時の衛星写真配置図と比べてみると面白い。

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2007/07/10

「トランス・サイエンスの時代」

いわゆるSTS(Science and Technology Studies; Science, Technology and Society; 科学技術社会論)については、最近いろいろな本が出ており、ちょこちょこと目を通している。先日の理系白書で私の意見を述べている石黒武彦さんが書かれた、岩波科学ライブラリー 「科学の社会化シンドローム」(bk1amazon)は、アカデミックなサイエンスの抱える問題(ミスコンダクト、ピアレビュー、アウトリーチ、競争、人材)が中心で、科学技術と社会の関わりを考える上では、やや狙いの異なる内容だった。

一方、少し前に手に入れた本だが、藤垣裕子さんが編集されたSTSのテキスト「科学技術社会論の技法」(bk1amazon)は、多数の事例(水俣病、イタイイタイ病、もんじゅ訴訟、薬害エイズ問題、BSE問題、遺伝子組換え食品、医療廃棄物、地球温暖化、Winny事件)を題材に、それぞれの問題を文系・理系の専門家が担当して科学技術と社会との接点で起こる様々な問題をどう解釈し、今後の科学技術と社会との関係はどうあるべきか、を考える上でなかなか有用で読み応えのある本であった。

今回の「トランス・サイエンスの時代」の著者の小林傳司さんも「科学技術社会論の技法」で、もんじゅ訴訟に関する章を担当しており、その考え方や説明の仕方もわかりやすく、とても興味深かったこともあり、今回の本も大きな期待を持って読んでみた。

NTT出版 ライブラリー レゾナント 035
 トランス・サイエンスの時代 -科学技術と社会をつなぐ-
  小林 傳司 著 bk1amazon

期待にたがわず、非常に面白い本であった。本書のタイトルである「トランス・サイエンス」とは、「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題群からなる領域」と定義されているが、1970年代に物理学者のワインバーグが提唱した概念とのこと。本書では、例えば原子力発電所の安全装置がすべて同時に故障するような事態が起こる確率が非常に低いことは従来の科学で計算して示すことができるが、その施設を十分に安全であるとして受け入れて良いのかどうかという問いは、従来の科学だけでは答えの出せない問題であり、このようなものをトランス・サイエンスの問題としている。

本書で具体的に議論しているトランス・サイエンスの問題は、BSE問題、もんじゅ訴訟問題、遺伝子組換え植物問題などである。このうち、BSE問題と遺伝子組換え植物問題については、最近日本で行われた「コンセンサス会議」の実態を通して、科学技術と社会との関係についての実験的で先進的な試みを紹介し、この手の問題に今後どのように向き合っていくべきかを考察している。

著者は、一般社会(市民)がBSE問題や遺伝子組換え問題などで示す拒絶反応について、科学者(推進)側は一般市民の側の知識の欠如が問題であり、適切な教育と啓蒙により正しい理解が得られれば、必ずや誤解は解けて問題は解決するものと考えがちだが、トランス・サイエンスの問題では必ずしもそうではないと指摘する。つまり、市民は科学者が思っているほど無知ではないし、十分に状況を理解した上で、なおかつ遺伝子組換え食品を拒絶するような立場を取ることもあり得るとしている。

これは、市民が必ずしもゼロリスクのような理不尽な状態を求めているのではなく、遺伝子組換え食品とか生殖医療などの先端技術に対し、その技術そのものの持つプラス面およびマイナス面を理解した上で、科学技術がそこまで踏み込むことの是非などの、価値観や倫理感、あるいは人生観に関わるような判断を問題にしているのだ、と述べている。

実際、本書で紹介されているコンセンサス会議では、市民の側も想像以上にハイレベルで熱い議論を繰り広げているのだが、この会議の参加者は積極的に応募してきた意識の高い人たちなので、これが一般的な市民の代表的な姿とは思えない。また、それぞれの市民がこれらの先端技術の背景や詳細など、問題を理解するのに必要な知識を全て獲得できるわけではないだろうと思う。逆に、科学技術の専門家がみんな倫理感に欠け、歪んだ価値観を持っているわけでもなく、科学技術の専門家と一般市民が異なる結論に到達すると決まったものでもないだろうに、という疑問も感じる。

本書では、従来のサイエンス・コミュニケーションは科学者側から一般市民側への教育といった意味合いの強い、一方向のものが中心だったが、これからは相互に対話をし、学びあう双方向のコミュニケーションが大切であると主張している。まあ、そうなのだろうけど、対話の前提としての教育の重要性はもっと強調されても良いような気がする。何故、専門家と一般市民が異なる結論に到達するのかを考えてみると、決して立場や利害の差だけではなく、知識や理解の差にも原因があるのも確かだろうと思ってしまうのだが、やっぱり僕も「科学の共和国」の住民なのだろうか?

それでも、科学の専門家が「科学の共和国」の中だけで議論していても問題解決には不十分であり、より広い世界である「トランス・サイエンスの共和国」で一般市民と共に、より広い視点で議論することが大切だ、という主張は正しいだろう思う。もっとも、本書で紹介されているコンセンサス会議でも、結局利害や主張の対立は最後まで埋まらなかったわけで、「トランス・サイエンスの共和国」だからといって容易に問題解決ができるというわけではないのだが。。

本書の最後の部分がとても印象的なので、引用する。

われわれはいかに科学技術に投資をし、その研究を進めようとも、システムの巨大さに起因する不確実性からのがれることはできないであろう。世界は確率論的に描写され、「ゼロリスクはない」と専門家は言い続けるであろう。しかしこれは言い換えれば、いつでも災厄が起こり得るということである。

であるとすれば、奇妙な言い方ではあるが、「納得のいく」災厄であってほしい。トランス・サイエンス的状況における意思決定は、専門家の知の限界を見極め、トランス・サイエンスの共和国という拡大されたピアによって下す以外にない。もちろん、失敗は避けたい。しかし、究極のところ、われわれにできることは、合理的な失敗の方法の模索に尽きるかもしれないのである。失敗するとすれば、納得して失敗したいではないか。トランス・サイエンスの時代、科学技術を使いこなすにはこれくらいの覚悟がいるようである。

科学技術のあり方を議論してきて、最後は悟りの世界にたどり着いてしまうというのも、ため息ものなのだが、でも結局はそういうことだろうな、という妙な納得感もある。。

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2007/07/02

「蚊 ウイルスの運び屋」

中西準子さんの雑感に、先月、「こんなに悲しいグラフがあるんだ-DDTについて考える-」という記事が掲載された。かなり無理やり要約すると、現在も、アフリカなどの貧しい国々に暮らす非常に多くの人たちがマラリアに感染し、死んでいっているという悲しい現実があり、マラリア対策がうまく行っていない原因として、媒介蚊に対して絶大な殺虫効果を示すDDTが環境汚染物質として使用を禁止されたことが大きく、結果として環境汚染のリスクを恐れたがために、非常に多くの人の命が失われてしまったのではないか、という主旨である。

このような話は、以前から何度か目にしていた話(参考:ウィキペディア)だし、タイミングよく食品安全情報blogでも、同じ主旨の記事が紹介されたこともあり、確かに今後はマラリア対策としてDDTを効果的に使用していく方向へ向かうべきだなと納得していたところがある。

ところが、群馬大学の中澤港さんのサイトの6/5のメモ6/13のメモで、これに対する反論が展開されているのを目にした。中西さんが見積もった数値の正しさなどはともかくとして、DDTの有効性を考えるためには、まずはマラリアとはどんな病気で、過去にどのような経緯があったのか、少しきちんとレビューしておくことが重要だろうと考え、中澤さんが紹介してくれた本書を読んでみた。

ヴィレッジブックス ソニー・マガジンズ(文庫)
 蚊 ウイルスの運び屋 -蚊と感染症の恐怖-
 アンドリュー・スピールマン&マイケル・ド・アントニオ 共著 bk1amazon

本書は、海外の科学系の読み物を翻訳した時にありがちな読みにくさがなく、ストーリーもわかりやすい。黄熱病(これは野口英世との関わりで有名な病気だけど、蚊が媒介するものだとは知らなかった)、日本脳炎、デング熱、西ナイルウイルスなどの話も出てくるのだが、大半はマラリアに関する人間と蚊との戦いの物語である。これを読むと、かつてマラリアが世界中で猛威を奮い、人類の歴史に多大な影響を与えてきた病気であることが、実によくわかる。というか、マラリアがそれだけ怖い病気であり、大きな影響力があるということを知らずに暮らせている今の我々がいかに幸せなのか、という気にさせられる。

ちなみに、国立感染症研究所の栗原毅さんによる日本語版監修者あとがきによると、以前は日本でも毎年20万人ものマラリア患者がいたとのこと。驚いて調べてみると、日本におけるマラリアによると、数十万人の話は出てこないが、戦前および終戦直後には数万人規模で患者が存在しており、やがて1955年頃にほぼ消滅したものの、最近は海外旅行者の影響もありやや増加傾向であるようだ。

マラリアというと、先進国ではほぼ制圧できているせいもあってか、今ではきちんと薬を使えば比較的容易に対処できる病気なのではないかと思ってしまうが、本書を読んでみると、敵はとてつもなくしぶとくて、DDTさえ使えば簡単に制圧できるというような生易しい相手ではないようだ。

確かにDDTはマラリア対策の特効薬として機能するのだが、それにはかなりの限定条件が付くようだ。非常に効果的に蚊を殺し、しかも極めて安価であることは間違いないし、環境への影響も(適切に使用すれば)比較的限定的と見られるのだが、残念ながら、短期間(5年程度)でDDT耐性の蚊が発生し、以降はDDTの効果は期待できなくなるというのが最大の問題点のようだ。

よく例にあげられるスリランカでも、マラリアの撲滅に失敗したのは、DDT禁止のためというよりは、むしろDDT耐性の蚊の出現や、蚊を殲滅するための掃討作戦の不備などが原因であったと書かれている。悪いことに、人が獲得するマラリアに対する免疫は短期間に失われるため、マラリア対策が中途半端に終わると、その後の流行が以前より悲惨なことになるという問題もあるようだ。

本書も、DDTの有効性を否定しているわけではないし、環境汚染のリスクを理由にDDTを禁止すべきという主張をしているわけでもない。しかし、逆にDDTに頼るだけではマラリアや他の蚊が媒介する感染症を撲滅することは不可能であり、より多面的な対策が必要であることが様々な観点から述べられている。結局のところ、その多面的で総合的な対策のひとつとして、DDT耐性の蚊の出現に気を付けながら、DDTが有効な局面できちんと管理して使用するべきであるということになるようだ。

本書を読んで感じたのは、DDTだけに依存した蚊との戦いは、まるでアメリカ軍にとってのベトナム戦争やイラクでの対テロ戦争みたいなものだ、ということである。力づくで強引に相手を屈服させようとしても、しぶとい相手から手痛い反撃を食らい、極めて不毛な戦いとなるという点に共通するものを感じる。そもそも、ある地域から病気を媒介する蚊を絶滅させようなんて戦略は、如何にも無理がありそうだ。例えば、日本でマラリアや日本脳炎を征服できたように、そして過去のアメリカやヨーロッパ、あるいはパナマ運河などで、人類が蚊との戦いに勝利してきた事実が示すように、適切な殺虫剤の使用の他にも、抗マラリア薬、蚊の発生源対策、さらには家屋への侵入対策など含めた、総合的な対策を地道に展開していくことが必要という認識が重要のようだ。

マラリアはホットなトピックのようで、今月の NATIONAL GEOGRAPHIC日本版の特集でも、世界で大流行 マラリアの脅威という読み応えのある記事が読める。本書でも、この記事でも、結局マラリアとの戦いで一番重要なことは、遠回りなようだけど、貧困からの脱出であるということが指摘されているし、実際の対策は、DDTの使用も含め、総合的な観点から進められているようだ。

ここのところ、環境ホルモンやダイオキシンなどに代表される化学物質が、実態以上に悪者扱いされてきたことへの反動もあり、「マラリアが再流行しているのは(環境汚染物質として濡れ衣を着せられた)DDTを禁止したことが原因である」という主張は、何となく素直に流布しやすい傾向があるように思える。もちろん、DDTの環境や人体への影響を正しく見積もることは重要であり、それによって濡れ衣の部分は正していかなくてはならないのだけれど(参考:有機化学美術館)、逆にマラリア対策としてDDTの有効性を無邪気に信じてしまうのもまた非科学的であるということを肝に銘じなくてはならない。

その意味で、本書はとても大切なことを教えてくれたと思うし、この本を薦めてくれた中澤さんにも感謝したい。本書を読むと、これからの季節、蚊に刺されることがとっても怖くなるかもしれないけど、皆さんにも是非一読をお薦めしたい。

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2007/06/13

「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」

ついこの前まで、国際捕鯨委員会(IWC)が開催され、かなり激しい論戦が戦わされたようだけど、意外と日本では報道されなかった印象がある。いつもネタ元として見ているThe top science news articles from Yahoo! Newsでも、IWCの前後は日本の捕鯨に対する姿勢を批判的に取り上げたニュースが毎日のように掲載されていたのだが、それに比べると日本の報道の静けさは何とも不思議な感じがする。

本書は、随分と直接的なタイトルだが、現役のグリンピース・ジャパンの事務局長が書いた本であり、当然のことながら反捕鯨の立場で書かれている。それでも、本家グリーンピースとは一線を画し、従来の過激な反捕鯨運動の流れよりは冷静に、できるだけ客観的に捕鯨の置かれた位置付けを明らかにしようとしたものらしい。帯には「好きなのは野生生物としてのクジラ? それとも鯨肉ですか?」というキャッチコピーが書かれているが、あまりセンス良くないような。。

幻冬舎新書 032
 日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか
 星川 淳 著 bk1amazon

日本人のクジラに対する思いは、世代によってかなり異なるのだろうと思う。僕の場合には、家でも学校の給食でも鯨肉は結構出てきたし、大和煮の缶詰とかもなつかしく感じる方だ。それでも、鯨は日本人の食卓に欠かせない食文化である、と言われると「?」と思ってしまう。

本書では、クジラの入門知識、歴史的な流れ、捕鯨が禁止されるようになったいきさつ、そして最近の状況について、一応バランス良く(?)説明がなされており、クジラや捕鯨に関する素人にとっての入門書として、目を通す価値があるだろうと思う。もちろん、バリバリの反捕鯨論者の書であるということを念頭に置いておく必要はあるし、例えば amazon のレビューなどでは、本書への批判的な主張も読めるので、参考にすると良いだろう。

捕鯨の場合、水産庁の管轄でもあり、通常は「出漁」とか「密漁」という用語を使用するらしいのだが、本書ではクジラはあくまでも哺乳動物であるとして、敢えて「出猟」とか「密猟」という字を当てている点にも、著者の考えが徹底している。

実は、現在の捕鯨問題の本質は、本書の冒頭に出てくる次の指摘がほぼ全てといって良いのではないだろうか? すなわち、国際的には既にクジラは陸に住む普通の野生生物の一種と捉えており、当然のように保護すべき対象と考えられているのだが、日本は従来どおりの水産資源という位置付けで捉えているから、どうやっても議論はまとまらないということのようだ。

もっとも、じゃあなぜクジラは保護すべき対象で、他の魚類はたとえ野生のものでも捕って食べて良いのだろうか? 結局のところ、哺乳類だからということになるのかな? 現実問題として、先進国では野生の哺乳類を商業的に捕って食べるというのは無理な時代になっているように思うけど、それを言い出すと、海には公海という都合のよいものがあるので話は違うわけで、ややこしくなるわけだが。。 ともかくもこの辺の出発点を共有できるかどうかが重要なのは間違いないだろう。 ウィキペディアの捕鯨問題は、その複雑な状況を比較的よくまとめていると思う。

ところが、実は日本でも捕鯨を推進しようとしているのはほんの少数の人たちだけで、大部分の人たちは、それほど鯨肉を食べることを積極的に望んでいるわけではないのだ、と述べており、、これは恐らく正しい認識なのだろうと思う。

では、なぜ日本だけが世界中から孤立する道を選んでまで、依怙地になってクジラを捕ろうとしているのか? 本書を読むと、水産庁捕鯨班という小さな組織とそれを取り巻く一部の利権集団(?)の既得権を守る戦いというような印象を持つのだが、本当にそんなことでわざわざ国際的にこれだけ非難を浴びるような立場を採り続けるものだろうか? 結局のところ、どうもその辺に説得力がないので、本書のタイトルである「日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」に対する答えは明確には見えてこない。

この前のIWCを巡る日本の報道を見ても、ゴシップや官僚の利権などが大好きなマスコミが何故か捕鯨に関してはやけに及び腰なのが気になるのだが、実は何か裏にあるのではないかと勘繰りたくなる。もはや捕鯨を推進したい大手スポンサーなどもいないだろうに。。 このまま毎年IWCの度に日本が国際的な非難を浴び、日本の主張が受け入れられない事態を見続けるのも、同じ日本人として何だか悲しいものがあるし、海外の人とこの話題になるのはできれば避けたいところだが、もうそろそろ表舞台で議論して、すっきりすべきだろうと思う。

ともかくも本書を読むと、調査をしたいなら調査捕鯨の名の下にかなりの数のクジラを殺したりすることなく、無傷で調査する方法を考えろよ、という主張はもっともだけど、それ以前に、そもそも調査捕鯨が科学的であるかどうか、なんてことが論点になっているわけではなく、もっとプリミティブな部分でのスタンスの違いが問題なのだと痛感させられる。

この著者の主張を全面的に受け入れるつもりはないのだが、それなりに良くまとまった本であるし、本書は議論の出発点としても意味のあるように思える。本書を読んで、なるほどクジラは保護すべき野生生物で、なにも国際的な非難を浴びてまで無理に食べることないよなあ、と思った人を相手に、捕鯨推進派が説得力のある反論を展開することができるのだろうか? 

なお、本書の中にクジラ類の有害化学物質による汚染の話なども出てくるが、実は問題となったマグロやイルカなどの水銀は人的というよりは天然由来の水銀であると考えてよいはずである。(参考:Q&A No.16) この他にも、読んでいると、ああ著者はやっぱりグリーンピースだな、と感じられる部分もあったことを付け加えておく。

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2007/05/11

「ヒューマンエラーを防ぐ知恵」

化学同人が最近刊行し始めたDOJIN選書だが、前に紹介した「なぜ人は宝くじを買うのだろう」が、内容が中途半端で何だかなぁってだけでなく、著者の勘違い?で発売早々に大幅改訂されるというトホホな本だった。それに懲りずに、タイトルに惹かれて本書を買ったのだが、帯には「事故への道を知り、事故を避ける。すぐに役立つ、ヒューマンエラー防止のノウハウ。」とあり、実に実践的な内容のようだ。まえがきには、

本書は、安全に携わる人びとの役に立つことを第一の目標とし、ヒューマンエラーによる事故を防ぐ方法を提供することに力点を置いています。本のテーマとしてヒューマンエラーを選ぶと、それだけを論じる形となり、事故を防ぐための方法論は閑却してしまいがちです。もちろん、学術的にはヒューマンエラーの正体について考察を深めることも有意義でしょう。しかし、「ヒューマンエラーの真相はよくわからないが、こうすれば防げる」というノウハウの方が必要なのではないでしょうか。また、ノウハウを現場で適用するためのコツを示して、読者がすぐに実践できるよう配慮しました。
とあり、いわゆる実用的で役に立つ本を目指したもののようだ。

DOJIN SENSHO 4
 ヒューマンエラーを防ぐ知恵  ミスはなくなるか
 中田 亨 著 bk1amazon

本書は、
    第1章 ヒューマンエラーとは何か
    第2章 なぜ事故は起こるのか
    第3章 ヒューマンエラー解決法
    第4章 事故が起こる前に……ヒューマンエラー防止法
    第5章 実践 ヒューマンエラー防止活動
    第6章 あなただったらどう考えますか
    第7章 学びとヒューマンエラー

という章立てで、前半はヒューマンエラーとはどんなもので、どんな状況で、どのように起こるのかといったことを実例を交えながら解説し、後半で数多くの事例についての具体的な対策を一緒に考えるような構成となっている。

著者は産総研のデジタルヒューマン研究センターの研究員ということだが、「ヒューマンエラー研究家」という看板を持っているとのことで、かなり広い分野の多くの例を実際に見聞きして、その対策を考えてこられたようだ。ということで、本書はそれほど系統だっているわけではないのだが、とてもバラエティに富んだ事例がたくさん登場してくるので、かなり面白い。

企業などで実際に安全関係の仕事に関わった経験のある人は多いと思うのだが、どうしても自分の属する業界の、その中でも非常に狭い領域の安全のことだけに特化している傾向があるのではなかろうか? 本書には、一つひとつはさほど高度なノウハウでもないように思えるのだが、自分の良く知らない他の業界の事例がたくさん出てくるためなのか、ちょっと新鮮な物の見方や、少し意外な解決法が見つかったりする。

ということで、確かに著者の狙い通り、とても実践的で、実務者にとって参考になる本だろうと思う。もちろん、仕事上では安全とは直接関係のない方でも、本書を読むと普段の仕事などに参考になる点もあると思うし、単なる頭の体操として捉えても結構面白い発見があるのではないだろうか。

面白かった例をひとつだけ紹介する。これは、医師が書いたメモが悪筆だったため、部下の看護師がこれを読めず、しかも気が弱かったので医師に確認することができず、勘に頼って行動したために機器の操作を間違ったという事例。本書で紹介されている対策例の中で意外だったのが、上司の間違いを正す体験や、部下に間違いを正される体験をする模擬演習を行うというもの。

どうだろう? 僕も今まで会社などで実にさまざまな研修を受けてきたけど、こういう研修や演習は経験がない。この研修はヒューマンエラー対策だけでなく、職場などでのコミュニケーションを活性化したり、部下が言いたいことが言えずにフラストレーションが溜まってしまうような環境を変えたり、といった目的にも役立ちそうだ。何よりも、部下からの指摘をまともに受け止めることのできない上司が、こんな研修を通じて少しでも変わってくれるとすると、これは多くの人にとって非常に魅力的ではないだろうか?

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2007/04/25

「メディア・バイアス」

著者の松永さんの本としては、以前「食卓の安全学」を紹介しているが、松永さん自身が以前毎日新聞の記者であったという経歴を生かして、現在のマスコミによる科学報道が抱えている様々な問題点や、それに対する対応策などをバランス良く、わかりやすく書いた本。帯には「センセーショナリズム、記者の思い込み、捏造 - トンデモ科学報道を見破る!」とあり、副題の健康情報とニセ科学というキーワードを合わせると、本書がどういう立場で何を伝えようとしているかが想像できるだろう。

光文社新書 298
 メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学
 松永 和紀 著 bk1amazon

たまたま「発掘!あるある大事典2」の捏造問題が大騒ぎされたタイミングに出版されたけど、本書はもっと深いレベルでこの問題を取り扱っている。本書では、捏造自体はもちろん論外としているのだが、たとえ捏造がなかったとしても、あのような番組(何かを食べると健康に良いとか、ダイエットできるとかを安易な実験で証明したかのように伝える番組など)は、その番組コンセプトの根本部分で既に間違っていることを明確に指摘している点が高く評価できる。

あるあるの捏造問題を、他のTV局が喜んで報道したが、結局彼らには捏造レベルの問題点しか理解できていないのか、はたまた捏造レベルの問題として処理してしまいたいということが明らかとなってしまったわけだ。本書では、この手の番組に潜んでいる問題点を、単に視聴率がどうのこうのということではなく、白黒をはっきりさせる結論を欲しがる傾向、先に結論ありきの番組作り、何故かそれを補強するコメントをする研究者の存在などの点から、具体例を元に検証している。

また、そんなTVのバラエティ(教養?)番組の問題点とは別に、大手新聞社の通常の科学報道の問題点も遠慮なく指摘している。中国産野菜の残留農薬問題、マラリア対策としてのDDT使用について、PCB処理設備のリスク、環境ホルモン、化学物質過敏症、マイナスイオン、遺伝子組み換え大豆、バイオ燃料などなど多くの報道について、これもまた、具体的な報道とその裏側に潜む真実を対比させる形で検証している。これを読むとマスコミの方々はどう感じるのだろう? 反論があるのであれば、是非ともどこかに出してもらい、議論の対象としてみたいものだ。

そして、最後には科学報道を見破る十カ条として、一般読者がどのような点に気を付けて報道を受け取るべきなのかを提案している。まあ、今までもどこかで似たような教えを見た気がするが、よくまとまっているので、前半5カ条をここに掲載しておく。後半5カ条は是非本書で確認されたい。

 1.懐疑主義を貫き、多様な情報を収集して自分自身で判断する
 2.「○○を食べれば……」というような単純な情報は排除する
 3.「危険」「効く」など極端な情報は、まず警戒する
 4.その情報がだれを利するか、考える
 5.体験談、感情的な訴えには冷静に対処する

松永さんの本のすごいところは、この程度の分量の新書の中に、これだけの論点をバランスよく、しかも難しすぎず、適度な専門性を加えて、かなり正確に書こうとしているということ。また、批判すべき相手に対しては、ほぼ実名で批判を加えている点もすごい。本書にも、化学物質過敏症に関する記事を書いたことで非難されたことが出てくるが、ニセ科学やトンデモな論理は、多くのケースで被害者側の立場に立ったり、好ましく思える結論を安易に支持するものだったりするため、その論理の矛盾や科学的な根拠の問題点を指摘することは、時として一般大衆や市民団体を敵に回すことになりやすいようだ。

それでも、科学的な間違いを容認することは、最終的には自分たちの首を絞めることになるわけで、こうしてジャーナリストや科学者が勇気を持って声を上げてくれていることを尊敬すると共に、心から応援していきたい。

本書に出てくる事柄の多くはこのブログでも取り扱ったものだし、特に驚かされるものがあったわけではないのだが、その裏に潜むマスコミの問題点などの著者の考察を加えた形で本書を読み終えてみると、日本のマスコミのレベル、特に大手新聞社の抱える問題点に愕然とすると共に、先行きを思うと暗澹とした気分になってしまう。

松永さん自身が、今も毎日新聞にいたとしたら、このような視点を持ち得なかったというようなことを書いているが、要するに新聞記者というのが忙しすぎて、勉強したりじっくりと調べたりする時間がないという問題や、現実には一つ一つの記事をしっかりと調べて書くような状況にない現状というような問題があるようだ。まあ、理系白書ブログを見ていても何となくわかるけど。。

何にしても、こうして前回紹介した「水はなんにも知らないよ」に続いて、このような良書が手に入りやすくて目立ちやすい新書としてラインナップされ始めたことは歓迎したい。

ところで、松永さん自身のウエブサイトであるWAKILABは更新が滞っていたようだが、最近デザインも一新して再構築中のようで、本書の参考文献なども掲載されている。一方、とても良質のコンテンツが読めるFoodScience 松永和紀のアグリ話は有料となってしまい、気軽に読めなくなってしまったのがとても残念。毎月500円という会費は決して高くはないのだろうけど、FoodScienceの連載記事全部を読める権利は不要だが、松永さんの記事だけは読みたいという人向けに、100円/月とか、10円/記事などの選択肢もあっていいと思うけどなあ。。

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2007/04/06

「水はなんにも知らないよ」

最近ニセ科学批判がようやく大手マスコミにも取り上げられ始めた(例:理系白書:科学と非科学)ことは、極めて喜ばしいことである。これも、安井さん、菊池さん、天羽さん、小波さん、田崎さんや、この本の著者である左巻さんなど、一部の先生方が、必ずしも本業の実績にはならないにもかかわらず、地道に努力を続けてこられたことが、実を結び始めた結果だろうと思う。

この本は、株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンというあまり聞いたことのない出版社が、今回新たに刊行したディスカヴァー携書というシリーズの第1巻として出版されたもの。ニセ科学批判本としては、と学会の一連の書籍があるものの、あれはトンデモを笑って楽しもうという主旨のものであり、ニセ科学を正面から科学的に批判する本は意外と少ないように思う。

本書の内容は、僕やこのブログをいつも見てくれている方にとっては、敢えて買って読むまでもない、常識的なものかもしれない。しかし、左巻さんの反ニセ科学運動への感謝と応援の気持ちと、本書がたくさん売れることが、世の中が少しでも正しい方向に進むためのきっかけとなることを願って購入した。

ディスカヴァー携書 001
 水はなんにもしらないよ
 左巻 健男 著 bk1amazon


いうまでもなく、本書のタイトルは、例の「水からの伝言」(水伝)で有名な江本氏の「水は答えを知っている」という本への反論となっているのだが、帯に「徹底検証 まん延するニセ科学にダマされるな!」と書いてあるように、内容は水伝への批判だけでなく、πウォーターを始めとした怪しい水ビジネス批判や、水と健康にまつわる正しい知識がたっぷりと詰まっている。

おちょくったタイトルであるものの、内容は実に真面目である。水の結晶化の話や、波動の話、クラスター説、活性酸素や活性水素などなど健康系の水商売で使われるキーワードに対して、一つずつ丁寧に科学的な説明をしており、大抵の怪しい水に対する批判はこの本1冊で済んでしまうだろう。

難点としては、図表があまりにも少なく文字ばかりが連綿と続くことだろうか。本書を本当に読んで欲しい読者層にとっては、退屈な理科の教科書を読むようなもので、きちんと読みこなすのが難しいのではないだろうか? amazonのカスタマーレビューも、本書を読んで初めて問題に気付いたというものよりも、待望の批判書を歓迎するといったスタンスが多いことからも、その辺の事情が窺えるような気がする。

怪しい水商売を展開する側は、ともかく単純なわかりやすいデタラメな図を使い、間違っているけどわかりやすい説明をしているわけだが、これを批判する側は、丁寧に説明しようとすればするほど、読者から敬遠されてしまうということになっているように見える。それがニセ科学批判の抱える問題点の一つかもしれないが、せめてイラストや写真を豊富に使うなどして、科学の素養のない人達への配慮があると良かったのではないだろうか。

まあ本書の場合には、タイトルがなかなかキャッチーなので、書店で手にとってもらうという第1段階はクリアしていると思うのだが、パラパラと本書をめくってみて買う気にさせるかどうかという第2段階で苦戦しそうだ。。 それでも、まずは反ニセ科学のサポーターが本書を買うことで、このあまり知られていない出版社のとてもまじめな科学啓蒙書が予想以上に売れてくれれば、今後これに続く類書が出始め、さらに相乗効果が働くことも期待できるかな?

なお、「水からの伝言」の問題点についてご存知ない方は、田崎さんの「水からの伝言」を信じないでくださいを是非とも読んで欲しい。とてもよくまとまってる素晴らしいコンテンツだと思う。

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2007/03/29

「生命のセントラルドグマ」

久々にブルーバックス。書店店頭では、緑色の帯に大きく「ノーベル賞W受賞」と書かれている。確かに昨年2006年のノーベル生理学・医学賞は「RNA干渉の発見」、ノーベル化学賞は「真核生物における転写の研究」に与えられており、共にRNAやセントラルドグマに関連する研究である。また、このブログでは2005年に理研のRNA新大陸の発見という話題を取り上げている。

しかし、さすがに分子生物学の最先端領域での研究成果ということで、なかなか内容の理解まで至らないのが実情だった。この本は裏表紙にも、『「遺伝子からタンパク質が作られる」という中心教義の深奥にせまる!』、「多彩なしくみでなりたつセントラルドグマの世界を、RNAを中心にわかりやすく解説する。」とあり、パラパラっと中を見たら、図は多いものの、かなり難しそうに見えたのだけど、進歩の速いこの分野の先端領域を垣間見るのを楽しみに読んでみた。

ブルーバックス B-1544
 生命のセントラルドグマ RNAがおりなす分子生物学の中心教義
 武村 政春 著 bk1amazon

読み始めは、いきなりRNAポリメラーゼの構造の話などが出てきて、先行きが不安になったのだが、読み進めるにつれてどんどん面白くなり、後半はワクワク感を味わいながら、楽しく読み終えることができた。このレベルの内容をこのように伝えられる著者の力量は相当なものではなかろうか? 

確かに内容は高度で難解だから、一度読んだだけでは到底全貌を理解したとは言えないし、所詮ブルーバックスレベルだから、最先端の片鱗を垣間見たという程度だとは思う。それでも、従来の「DNAからRNAに遺伝情報を転写して、これを元にタンパク質が作られる」という程度の大まかな理解とは一味違う、セントラルドグマの精緻で複雑な世界の存在やその仕組みの一部を知ることができただけでも大満足である。

DNAは遺伝暗号というある意味で静的な書物のようなものであり、解読作業が重要となる。それに対し、RNAはその遺伝暗号から必要なタンパク質の合成を行うまでの様々な仕事をこなすダイナミックなものであるため、その一つ一つの働きのメカニズムの解明が重要であり、その応用範囲は果てしなく広がっているようだ。どちらが重要ということではないが、RNAについては、まだまだ未知の部分が多いのと、実に複雑な仕組みをたくさん持っていることが研究者を惹き付けるのだろう、という気がする。

例えば、DNAからm-RNAに遺伝情報を転写するという作業に関しても、どうやって遺伝情報を見つけ、しかもその中から不要な(?)イントロン部分を取り除き、エクソン部分だけを取り出すスプライシング作業を行うのか? あるいは、リボゾームにて、m-RNAとt-RNAからどうやってタンパク質が作られていくのか? こんなことは今まであまり考えてみたことがなかったが、本書では、この辺のメカニズムがかなり丁寧に、しかも非常にわかりやすく説明されている。

この辺のメカニズムは、大雑把に捉えていると、何となくそんなものか、という印象を持ってしまうけど、こうして細かな仕組みを一つずつ追いかけていくと、あらためて生命は何て複雑で精密にできているのだろう! という驚きが湧き出てくる。

最終的には、ノーベル賞を受賞したRNA干渉や、理研のRNA新大陸の話の周辺、例えば二本鎖RNAだとか、RNAキャッシュなどにも話は及ぶ。ただ、時期的にちょっとタイミングが合わなかった点があったのか、あるいはさすがに最先端すぎてわかりやすく説明するのが難しかったのか、(多分こちらの理解が及ばなかったというのが正しいのだろうけど)、説明も他の部分と比べるとわかりにくかった。いずれにしても進歩の速い分野なので、著者には是非とも数年後にでも続編を期待したい。

うーむ。。 とても面白かったし勉強にもなったのだけど、日常生活ではなかなかこのレベルの知識は使うこともないし、多分少し経つと忘れちゃいそうだ。一度読んだだけでは、十分に理解しきれていない点もあることだし、少し時間を置いてから、もう一度じっくりと読み返してみたい本だ。

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