2008/01/29

「生命科学の冒険」

ちくまプリマー新書は初めて。中高生を主たる読者として想定している割には、「環境問題のウソ」とか『「科学的」って何だ!』などを書店で見てみると、読みやすそうだけど、内容が冒険的というか、定説とか基本を抑えていないような点が気になるし、どうだろう? と評価していた。しかし、この本はちょっと面白そうだったので、読んでみることに。帯には

「最先端」でも「ちょっと待てよ」
科学の進歩と倫理の問題を考える
とある。著者は毎日新聞の論説委員で、出身は東京大学の薬学部とのこと。

ちくまプリマー新書 073
 生命科学の冒険  生殖・クローン・遺伝子・脳
 青野 由利 著 bk1amazon

さらさらと簡単に読めて、非常に読みやすいけど、内容は非常に充実している。これは、中高生向けの本と位置づけるのはもったいない。これからの時代を生きていく人たちが身に付けておくことが望ましい、生命科学分野の最新の基礎知識や、今後ますます真剣に考える必要が出てくるであろう生命倫理問題が実にコンパクトに要領よくまとまっている。文句なしに多くの大人たちに勧めたい。

第1章は生殖がテーマ。体外受精、非配偶者間人工授精、受精卵養子(胚の提供)、代理出産(サロゲート・マザーとホスト・マザー)、死後受精などが取り扱われている。

第2章はクローンと再生医療がテーマ。クローン羊ドリー、体細胞クローンと受精卵クローン、人への臓器移植のためのクローン豚、クローンペット、治療薬を製造する動物工場、絶滅動物の再生、クローン人間、クローン技術規制法案、ヒトES細胞、ヒトクローン胚、卵子の提供問題、ソウル大学の捏造問題、山中教授の万能細胞、卵子の老化、ミトコンドリア操作など。

第3章は遺伝子がテーマ。遺伝子、DNA、ヒトゲノム、遺伝子診断、遺伝子病、オーダーメイド医療、遺伝子差別、遺伝子情報の保護、遺伝子情報を知る権利と知らないでいる権利、遺伝子診断での受精卵の選択、着床前診断、遺伝子治療、遺伝子ドーピングとエンハンスメント、遺伝子格差など。

第4章は脳科学がテーマ。脳と機械の接続、脳画像の読み取りとプライバシー、ニューロマーケティング、機械が脳を変える、ロボットスーツ、記憶力増強剤、ハッピードラッグ、攻撃的な脳、脳決定論、意識とは、ニューロエシックスなど。

どうだろう、ここに列挙した用語のうち、どの程度の内容を理解できているだろう? 個々の用語の意味やその詳細を知るにはさすがにこの本だけでは不足だろうと思うけど、まあ一般人としてはこの本に書かれている程度を知っていれば十分だろうと思う。

それよりも、これらの生命科学に関わる新たな技術の意義を考え、それを実際に社会に適用していくことの是非を考えていくのは、とてもいい頭の訓練になったような気がする。本書を読んで感じたのは、個別の技術の是非を考えるだけでは不十分で、これらの技術全体を頭に入れて、他の技術とのバランスも考えてみることがとても重要だろうということだ。本書を読み進めていくと、あれがいいならこっちもいいよねとか、これがいいならさっきのあれはどうなんだ、というような場面が何度も出てくる。

本書では、それぞれの問題はどうあるべきなのかについての著者の考えはほとんど提示されていない。逆に、読者がじっくりと考えることができるように、これら多くの複雑な問題点を上手にテーブルの上に並べてくれたという印象がある。本書はとても読みやすいことだし、高校や大学で本書を読んで、みんなで議論してみるなんて使い方も面白そうだ。あるいは、家庭で家族がこの本をテーマに話し合ってみるなんて使い道も面白いかもしれない。何しろ、自分や家族が近い将来これらの問題に直面する可能性は、自分で思っている以上に高いかもしれないし。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/22

「その数学が戦略を決める」

久々に、読んだ本の紹介をしてみたい。帯には、「兆単位のデータ計算が専門家にとってかわる」「政治家も、評論家も、医者も、裁判官も、映画プロデューサーもみんな真っ青!」とある。日経新聞の書評で見つけて、面白そうだったので買ってみた。ハードカバー、全340ページの本で、数学系?の話、しかも翻訳物ということで読むのに苦労するかと思ったが、内容はわかりやすいし、翻訳が山形浩生氏ということもあってか、さくさくと読めた。

その数学が戦略を決める Super Crunchers
 イアン・エアーズ 著 bk1amazon

原題は Super Crunchers、サブタイトルとして、Why thinking-by-numbers is the new way to be smart とある。crunchという単語はあまり聞かないが、コンピュータで計算するという意味があるようだ。この本を読み終わってみても、「その数学が戦略を決める」というタイトルが適切なものには思えない。しいていえば「大量計算が戦略を決める」だろうか。どうしても本書の内容を「数学」と呼ぶのは違和感がある。。

本書は、従来は専門家が行っていたような高度な判断を、いまや大量のデータを統計的に扱うことで、(専門的な知識は必ずしも使わなくても)計算によって行えるようになっている、という事例などを紹介している。その際に、計算機がどのような理論や手順に基づいて判断をしているか、などの数学的な中身が関わりそうな部分については全く触れられていない。その代わりに、いくつかの例を比較的詳しく紹介し、しかも計算機の判断の方が従来の専門家によるものよりも優れているケースが多いということや、逆にそこで懸念される問題点などを明らかにしている。

本書では、そのような大量のデータから答えを見つけ出すような計算のことを、絶対計算と呼んでいる。たぶん原文では super crunching なのだろうけど、適切な日本語はないのだろうか? 絶対計算という単語はもともと囲碁で使われている用語のようで、それ以外にネットで見つかる用例はほとんどが本書に関連しているようだが、今後この意味での用語として定着していくのだろうか?

本書に出てくる絶対計算だが、そこで実際に使われている手法は、回帰分析、多変量解析、主成分分析、ニューラルネットなど、従来からある手法そのもののようだ。しかし、その対象となるデータが膨大であり、しかもそれらが電子化されていて高速大容量の計算機で取り扱うことが可能となったことにより、非常に有用な結果を導き出すことができるようになったというわけだ。

以下、少し長くなるが本書の内容を紹介する。

--------------------------------------------------------------------------------

序章と第1章では、出荷前にその年の天候からワインの価格を予測したり、野球選手の有望性を判断するために統計的なデータを利用するなどの回帰分析の例が出てくる。他にも、車両盗難防止装置の普及率と実際の車両盗難件数との関係を解析し、適切な保険料を算出する話とか、カジノで遊ぶ顧客が許容する損失を予測し、限界直前で遊ぶのを止めさせるアイデアや、入社テスト時のアンケート調査からその求職者の適性を判断する例なども紹介されている。まあ、これらの話は現実に日本でもいろいろと応用されていそうな例だ。

第2章は、ランダムテストの例である。これは、例えばAとBのどちらが客に好まれるのかを知りたい時に、サービスを受ける顧客をランダムに二分し、一方にはAを、他方にはBを与えるテストを行い、その結果からどちらを本格的に採用するかを決めるような方法である。ここでは、クレジットカード会社がキャッシングの金利を多段階に変えて、顧客の反応を見たり、ウエブサイトのデザインをランダムに変えて、どのデザインが好まれるかを実際のクリック数で判断したり、といった例が出ている。

この方法のメリットは、ほぼ理想的な無作為抽出が可能なので、知りたい答えが比較的ストレートに出てくることで、従来の統計解析のように、多数のコントロールされていないデータから苦労して答えを見つけ出す必要がないということだ。 なるほど、こんな方法があったのか! と驚かされたけど、実はこの手のことは既に日本でもやられているのだろうか? 我々が知らないうちに、実はランダムテストの被験者になっている可能性もあるかもしれない。

第3章は、政府が行うランダムテストの話。少なくともアメリカでは政策の有効性を試すために、試験的に複数の措置を実施し、その結果から本格的な政策を決めるというようなことが行われているのだそうだ。また連邦制であるため、それぞれの州が独自に政策を競い、その結果を見て最良の政策にスライドしていくようなこともできる。また、メキシコでは貧困対策のランダムテストを行い、その結果を使って全国展開をしたなんて例があるようだ。なお、この章では、アメリカの裁判官の割り当てが完全にランダムなので、各裁判官の過去の判決データを解析することで、各裁判官の判決の傾向(量刑のランク)が予想できるなんて例も出ている。

第4章は根拠に基づく医療(EBM)の例。今では、過去の病例や最新の研究結果を網羅したデータベースを元に、患者の病歴や個別症状から病気の診断を行ってくれる「イザベル」というソフトウエアができているとのこと。もちろんこれだけで確定的な診断ができるわけではないので、可能性のある病名やさらに必要な検査項目をリストアップしてくれるものようだ。これにより、従来は見落としがちだった、非常に特殊なケースの可能性も検討できるとか、最新の研究結果を反映した診断が可能となるなど、患者はもちろん医者や病院にとっても相当大きなメリットが出てきそうだ。訳者あとがきによると、残念ながら日本では専門家の抵抗も大きく、このようなソフトが実用化される動きは今のところないらしい。

第5章は専門家と絶対計算の争い。とかく専門家は自分の判断に自信を持っていて、このような(比較的単純な少数の因子だけで結果が予測できるという)絶対計算の結果を過小評価しがちのようで、この章では、いくつかの実例を挙げて、実は絶対計算の方が優れているし、絶対計算結果を参考にして専門家が最終判断するケースでは、絶対計算よりも悪い結果しか得られなかった、という例を紹介している。まあ、そういうケースもあるだろうけど、逆に十分な予測精度を持つ絶対計算モデルがない場合もあるだろうし、一概に決められないだろうと思うけど。。 

第6章では、なぜいま絶対計算がこれだけ発展しているかということで、コンピュータの進歩、記憶容量の進歩、ネットによるデータ収集の容易化、データベースを統合する技術の進歩などを挙げている。まあ、ここはそうだろう。なお、この章で紹介されている例としては、ハリウッドの映画のヒット予測の例や、ヒットする本の題名のつけ方の例が出てくる。本書の原題、Super Crunchers も、この絶対計算によって選んだのだそうだ。ただし、邦題は編集者が(専門的知識に基づいて?)つけたものらしい。

第7章の最初に出てくるのは、アメリカのDI(ダイレクト・インストラクション)という教育法の話である。あの911の瞬間にブッシュ大統領が訪問していた小学校で行われていたのがこのDIらしい。極めてマニュアル化された教育方法のようで、少人数の子供たちを相手に、呼びかけと応答を繰り返す形で教えていく手法らしい。様々な教育論に基づく様々な教育方法があるけれど、実際のデータで見るかぎり、このDIが最も効果的であるということになっているらしい。本当だろうか? アメリカでも随分否定的な意見が多いのだそうだが、本書はこれも専門家がデータを否定する例だと主張している。

この章では絶対計算の先に待ち受ける多くの問題点も提示されている。従来は判断を下す立場にいた人たちの仕事が奪われる、様々な差別のきっかけとなる可能性、プライバシーの侵害は起こらないのか、あるいは間違った絶対計算により間違った判断が下されるような副作用など。

そして最後の第8章では、我々は普段からもっと統計的にものごとを理解する習慣を付ける必要があるという提言。それには、標準偏差(SD)を理解し、平均値±2SDの中に95%が含まれるという2SDルール、および事前確率に新たな条件を組み込んで事後確率を求めるベイズの理論を理解することが有効であるとしており、これらの概念の簡単な理解のしかたを紹介している。

---------------------------------------------------------------------------------

長々と本書の内容を紹介してきたが、なかなか面白かった。絶対計算をあまりにも万能であるかのように持ち上げすぎという気がするが、こういう動きが世の中で起こっていることはもっと広く知られるべきだろう。日本の現状はどうなのか、というのが気になるところだが、訳者のあとがきでは、日本の場合には専門家の抵抗はアメリカ以上のようだし、個人情報保護法のおかげ(?)もあって、今後の発展にもかなりの制約があるだろうと書かれている。

それでも日本でも、この分野は今後どんどん発展していくだろうし、確かに有益な面も多いけれど、倫理面を含めて憂慮すべき問題点もたくさんある。この分野の具体的な現状や将来像がもっと表に出てきて、いろいろな立場(推進する側や抑制する側)から議論される必要があるように思える。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2007/08/21

「チェルノブイリの森」

今年の夏休みに読んだ本。たまたま、チェルノブイリの原子力発電所の事故のことを少し調べていたので、書店で本書を見つけ、興味を持って読んでみた。帯には

人類、放射能、野生動植物。最後に残るのは何か

汚染地帯には、植生がもどり、希少種の動物が集まり始めた。ここでは放射能をも取り込んだ、新しい生態系が生まれようとしているのか。

というなかなか興味深いコピーが載っている。著者はウクライナ系のアメリカ人ジャーナリスト。チェルノブイリ事故の後、ウクライナ共和国のキエフに移住し、ロサンゼルスタイムズ紙のキエフ特派員として何度も現地を訪れ、そのレポートをまとめたものが本書ということらしい。

チェルノブイリの森 -事故後20年の自然誌-
 メアリー・マイシオ 著 bk1amazon

なかなか面白い内容だった。チェルノブイリ原子力発電所で起きた事故の内容や原因などについてはほとんど何も書かれていないし、本書の性質上、放射線に関連するさまざまな数値や単位がたくさん出てくるは仕方ないところなのだが、全体としてはとても読みやすい。

著者の原子力発電に対するスタンスは、「はっきり述べておくが、私は、かつては原子力の利用に断固として反対していたが、今では気持ちが揺れ動き、中途半端な支持者になった - 少なくとも、化石燃料への依存を減らす一定の猶予期間を設け、そのあいだに代わりのエネルギー源について研究を進めるという政策を支持している。」というもので、本書も単に原子力の恐怖を書き連ねたようなものではなく、非常に中立な視点で、淡々と事実をレポートしているといった感じを受ける。

チェルノブイリの原発事故が起きたのは1986年4月26日。本書の原著は2005年に発行されており、出てくる内容は事故後10年目くらいから2004年頃までの現地の様子である。現地は、現在も原子力発電所を中心として半径30kmが原則として立ち入り禁止となっており、「ゾーン」と呼ばれている。半径30kmがどの程度の大きさかというと、中心を東京駅に置くと、横浜・町田・国立・所沢・大宮・柏・八千代・千葉の当たりが大体30km圏内となる。要するに、東京都23区全域に周辺の市をいくつか加えたような広大な範囲がすべて立ち入り禁止となっているわけだ。

本書では、著者が許可を得て何度もゾーン内を訪れ、そこで見た植物、鳥、獣、魚、人々についてのレポートを中心として話が進む。どうやら事故後約20年が経過し、既にゾーンは地球上でも稀に見るような「自然の楽園」となっているようだ。放射線のレベルはまだ非常に高い所が多く、通常の安全基準から考えると、到底永住できるような場所ではないのだが、それでも植物、鳥、獣、魚が事故以前よりも明らかに増え、そして以前は住まなかったような希少種が新たに棲み付いているが見つかったりもしている。また、立ち入り禁止となった地域に元々住んでいた人のうち何人かが危険を承知で、ゾーン内の元の家に戻って暮らしているようだ。

事故当時は、今後何百年もの間、人類が住めないどころか、草木も生えない不毛の地になるとか、放射線の影響で巨大化したり、奇形化した生物が発生するというようなオドロオドロシイ噂話が伝わったようだが、自然はもっとはるかにしたたかであるとも言える。実際、白血病やその他の放射線に起因するがんなどの発生数は当初の予想をかなり下回っているようで、この分野に関しては今回の事例を解析することも重要な教訓となりそうだ。

さて、たとえ動植物が繁栄しているとしても、とんでもない放射線が飛び交っているような土地が本当に「自然の楽園」と呼べるのか?というのは、本書を通して流れる著者の疑問である。確かに、皮肉なことではあるが、人間の関与がないということが如何に動植物に取って有利に働くのか、ということを如実に示している事態ではある。

しかし実際には、かなり強い放射線が出ているわけで、土壌、水、植物、動物などもそれぞれに様々な放射性物質を多量に含んでおり、当然これらの放射線の影響を受けて、病気になったり、死んでしまった個体の数は相当な量に上るようだ。結局、現地で観察されるのは、そういった淘汰をくぐり抜けた、放射線に対して強い種や強い個体である考えられている。被害も大きかったけど、それにもかかわらず結果として(見かけの?)繁栄を得ることができたということらしい。

本書を読むと、事故直後に事故現場の後処理を行った人たちの決死の作業もすさまじかったのだろうな、と思わずにはいられない。驚かされるのは、本書を読むまで知らなかったのだが、チェルノブイリ原子力発電所の事故を起こした4号炉以外のいくつかの炉は、2001年に停止するまで運転を続けたということ。発電所の作業者がトータルで浴びた放射線は一体どれだけになるのだろう? 

そして、本書によると、現地では現在も廃炉のための作業や、事故のあった原子炉を覆う「石棺」をさらに新しい安全なシェルターで囲うための作業があり、多くの人々が働いているのだが、ゾーン内のほかのどの職業グループよりも高い放射線を浴びている石棺の作業員のほうが、それほど放射線量の高くないところで働いている人よりも健康状態がおおむね良好なのだそうだ。これは

現在シェルターで作業している人たちは、選別されています。体質の弱い人は亡くなったり、健康を害したりして、ゾーンではもう働けないのです。残っている人たちは、放射線に対する抵抗力が強いんです。(p.321)
ということのようだ。要するに、現在現地で元気に作業している人の背後には、健康を害して働けなくなった多くの人たちがいるということだ。動植物の場合なら、淘汰されたという解釈を、複雑な気持ちで受け入れることになるのだろうが、人に対しても同じような「選択」が起こったという事実は、今の日本などが要求する安全レベルとは桁が違いすぎて逆に現実感がない話に聞こえてしまう。

この事故の影響で放射線を浴びた人や動植物の健康状態を今後とも追跡することで、得られるものも多いだろうと思うし、今後、この地がどうなっていくのか、どんな形で何世代も先の未来にこの「遺産」を残していくのか、まだまだ目が離せないという印象だ。

なお、チェルノブイリ原子力発電所をグーグルマップで見るとこんな感じで、さらに高倍率で見るとかなり細部まで判別できる。事故当時の衛星写真配置図と比べてみると面白い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/07/10

「トランス・サイエンスの時代」

いわゆるSTS(Science and Technology Studies; Science, Technology and Society; 科学技術社会論)については、最近いろいろな本が出ており、ちょこちょこと目を通している。先日の理系白書で私の意見を述べている石黒武彦さんが書かれた、岩波科学ライブラリー 「科学の社会化シンドローム」(bk1amazon)は、アカデミックなサイエンスの抱える問題(ミスコンダクト、ピアレビュー、アウトリーチ、競争、人材)が中心で、科学技術と社会の関わりを考える上では、やや狙いの異なる内容だった。

一方、少し前に手に入れた本だが、藤垣裕子さんが編集されたSTSのテキスト「科学技術社会論の技法」(bk1amazon)は、多数の事例(水俣病、イタイイタイ病、もんじゅ訴訟、薬害エイズ問題、BSE問題、遺伝子組換え食品、医療廃棄物、地球温暖化、Winny事件)を題材に、それぞれの問題を文系・理系の専門家が担当して科学技術と社会との接点で起こる様々な問題をどう解釈し、今後の科学技術と社会との関係はどうあるべきか、を考える上でなかなか有用で読み応えのある本であった。

今回の「トランス・サイエンスの時代」の著者の小林傳司さんも「科学技術社会論の技法」で、もんじゅ訴訟に関する章を担当しており、その考え方や説明の仕方もわかりやすく、とても興味深かったこともあり、今回の本も大きな期待を持って読んでみた。

NTT出版 ライブラリー レゾナント 035
 トランス・サイエンスの時代 -科学技術と社会をつなぐ-
  小林 傳司 著 bk1amazon

期待にたがわず、非常に面白い本であった。本書のタイトルである「トランス・サイエンス」とは、「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題群からなる領域」と定義されているが、1970年代に物理学者のワインバーグが提唱した概念とのこと。本書では、例えば原子力発電所の安全装置がすべて同時に故障するような事態が起こる確率が非常に低いことは従来の科学で計算して示すことができるが、その施設を十分に安全であるとして受け入れて良いのかどうかという問いは、従来の科学だけでは答えの出せない問題であり、このようなものをトランス・サイエンスの問題としている。

本書で具体的に議論しているトランス・サイエンスの問題は、BSE問題、もんじゅ訴訟問題、遺伝子組換え植物問題などである。このうち、BSE問題と遺伝子組換え植物問題については、最近日本で行われた「コンセンサス会議」の実態を通して、科学技術と社会との関係についての実験的で先進的な試みを紹介し、この手の問題に今後どのように向き合っていくべきかを考察している。

著者は、一般社会(市民)がBSE問題や遺伝子組換え問題などで示す拒絶反応について、科学者(推進)側は一般市民の側の知識の欠如が問題であり、適切な教育と啓蒙により正しい理解が得られれば、必ずや誤解は解けて問題は解決するものと考えがちだが、トランス・サイエンスの問題では必ずしもそうではないと指摘する。つまり、市民は科学者が思っているほど無知ではないし、十分に状況を理解した上で、なおかつ遺伝子組換え食品を拒絶するような立場を取ることもあり得るとしている。

これは、市民が必ずしもゼロリスクのような理不尽な状態を求めているのではなく、遺伝子組換え食品とか生殖医療などの先端技術に対し、その技術そのものの持つプラス面およびマイナス面を理解した上で、科学技術がそこまで踏み込むことの是非などの、価値観や倫理感、あるいは人生観に関わるような判断を問題にしているのだ、と述べている。

実際、本書で紹介されているコンセンサス会議では、市民の側も想像以上にハイレベルで熱い議論を繰り広げているのだが、この会議の参加者は積極的に応募してきた意識の高い人たちなので、これが一般的な市民の代表的な姿とは思えない。また、それぞれの市民がこれらの先端技術の背景や詳細など、問題を理解するのに必要な知識を全て獲得できるわけではないだろうと思う。逆に、科学技術の専門家がみんな倫理感に欠け、歪んだ価値観を持っているわけでもなく、科学技術の専門家と一般市民が異なる結論に到達すると決まったものでもないだろうに、という疑問も感じる。

本書では、従来のサイエンス・コミュニケーションは科学者側から一般市民側への教育といった意味合いの強い、一方向のものが中心だったが、これからは相互に対話をし、学びあう双方向のコミュニケーションが大切であると主張している。まあ、そうなのだろうけど、対話の前提としての教育の重要性はもっと強調されても良いような気がする。何故、専門家と一般市民が異なる結論に到達するのかを考えてみると、決して立場や利害の差だけではなく、知識や理解の差にも原因があるのも確かだろうと思ってしまうのだが、やっぱり僕も「科学の共和国」の住民なのだろうか?

それでも、科学の専門家が「科学の共和国」の中だけで議論していても問題解決には不十分であり、より広い世界である「トランス・サイエンスの共和国」で一般市民と共に、より広い視点で議論することが大切だ、という主張は正しいだろう思う。もっとも、本書で紹介されているコンセンサス会議でも、結局利害や主張の対立は最後まで埋まらなかったわけで、「トランス・サイエンスの共和国」だからといって容易に問題解決ができるというわけではないのだが。。

本書の最後の部分がとても印象的なので、引用する。

われわれはいかに科学技術に投資をし、その研究を進めようとも、システムの巨大さに起因する不確実性からのがれることはできないであろう。世界は確率論的に描写され、「ゼロリスクはない」と専門家は言い続けるであろう。しかしこれは言い換えれば、いつでも災厄が起こり得るということである。

であるとすれば、奇妙な言い方ではあるが、「納得のいく」災厄であってほしい。トランス・サイエンス的状況における意思決定は、専門家の知の限界を見極め、トランス・サイエンスの共和国という拡大されたピアによって下す以外にない。もちろん、失敗は避けたい。しかし、究極のところ、われわれにできることは、合理的な失敗の方法の模索に尽きるかもしれないのである。失敗するとすれば、納得して失敗したいではないか。トランス・サイエンスの時代、科学技術を使いこなすにはこれくらいの覚悟がいるようである。

科学技術のあり方を議論してきて、最後は悟りの世界にたどり着いてしまうというのも、ため息ものなのだが、でも結局はそういうことだろうな、という妙な納得感もある。。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007/07/02

「蚊 ウイルスの運び屋」

中西準子さんの雑感に、先月、「こんなに悲しいグラフがあるんだ-DDTについて考える-」という記事が掲載された。かなり無理やり要約すると、現在も、アフリカなどの貧しい国々に暮らす非常に多くの人たちがマラリアに感染し、死んでいっているという悲しい現実があり、マラリア対策がうまく行っていない原因として、媒介蚊に対して絶大な殺虫効果を示すDDTが環境汚染物質として使用を禁止されたことが大きく、結果として環境汚染のリスクを恐れたがために、非常に多くの人の命が失われてしまったのではないか、という主旨である。

このような話は、以前から何度か目にしていた話(参考:ウィキペディア)だし、タイミングよく食品安全情報blogでも、同じ主旨の記事が紹介されたこともあり、確かに今後はマラリア対策としてDDTを効果的に使用していく方向へ向かうべきだなと納得していたところがある。

ところが、群馬大学の中澤港さんのサイトの6/5のメモ6/13のメモで、これに対する反論が展開されているのを目にした。中西さんが見積もった数値の正しさなどはともかくとして、DDTの有効性を考えるためには、まずはマラリアとはどんな病気で、過去にどのような経緯があったのか、少しきちんとレビューしておくことが重要だろうと考え、中澤さんが紹介してくれた本書を読んでみた。

ヴィレッジブックス ソニー・マガジンズ(文庫)
 蚊 ウイルスの運び屋 -蚊と感染症の恐怖-
 アンドリュー・スピールマン&マイケル・ド・アントニオ 共著 bk1amazon

本書は、海外の科学系の読み物を翻訳した時にありがちな読みにくさがなく、ストーリーもわかりやすい。黄熱病(これは野口英世との関わりで有名な病気だけど、蚊が媒介するものだとは知らなかった)、日本脳炎、デング熱、西ナイルウイルスなどの話も出てくるのだが、大半はマラリアに関する人間と蚊との戦いの物語である。これを読むと、かつてマラリアが世界中で猛威を奮い、人類の歴史に多大な影響を与えてきた病気であることが、実によくわかる。というか、マラリアがそれだけ怖い病気であり、大きな影響力があるということを知らずに暮らせている今の我々がいかに幸せなのか、という気にさせられる。

ちなみに、国立感染症研究所の栗原毅さんによる日本語版監修者あとがきによると、以前は日本でも毎年20万人ものマラリア患者がいたとのこと。驚いて調べてみると、日本におけるマラリアによると、数十万人の話は出てこないが、戦前および終戦直後には数万人規模で患者が存在しており、やがて1955年頃にほぼ消滅したものの、最近は海外旅行者の影響もありやや増加傾向であるようだ。

マラリアというと、先進国ではほぼ制圧できているせいもあってか、今ではきちんと薬を使えば比較的容易に対処できる病気なのではないかと思ってしまうが、本書を読んでみると、敵はとてつもなくしぶとくて、DDTさえ使えば簡単に制圧できるというような生易しい相手ではないようだ。

確かにDDTはマラリア対策の特効薬として機能するのだが、それにはかなりの限定条件が付くようだ。非常に効果的に蚊を殺し、しかも極めて安価であることは間違いないし、環境への影響も(適切に使用すれば)比較的限定的と見られるのだが、残念ながら、短期間(5年程度)でDDT耐性の蚊が発生し、以降はDDTの効果は期待できなくなるというのが最大の問題点のようだ。

よく例にあげられるスリランカでも、マラリアの撲滅に失敗したのは、DDT禁止のためというよりは、むしろDDT耐性の蚊の出現や、蚊を殲滅するための掃討作戦の不備などが原因であったと書かれている。悪いことに、人が獲得するマラリアに対する免疫は短期間に失われるため、マラリア対策が中途半端に終わると、その後の流行が以前より悲惨なことになるという問題もあるようだ。

本書も、DDTの有効性を否定しているわけではないし、環境汚染のリスクを理由にDDTを禁止すべきという主張をしているわけでもない。しかし、逆にDDTに頼るだけではマラリアや他の蚊が媒介する感染症を撲滅することは不可能であり、より多面的な対策が必要であることが様々な観点から述べられている。結局のところ、その多面的で総合的な対策のひとつとして、DDT耐性の蚊の出現に気を付けながら、DDTが有効な局面できちんと管理して使用するべきであるということになるようだ。

本書を読んで感じたのは、DDTだけに依存した蚊との戦いは、まるでアメリカ軍にとってのベトナム戦争やイラクでの対テロ戦争みたいなものだ、ということである。力づくで強引に相手を屈服させようとしても、しぶとい相手から手痛い反撃を食らい、極めて不毛な戦いとなるという点に共通するものを感じる。そもそも、ある地域から病気を媒介する蚊を絶滅させようなんて戦略は、如何にも無理がありそうだ。例えば、日本でマラリアや日本脳炎を征服できたように、そして過去のアメリカやヨーロッパ、あるいはパナマ運河などで、人類が蚊との戦いに勝利してきた事実が示すように、適切な殺虫剤の使用の他にも、抗マラリア薬、蚊の発生源対策、さらには家屋への侵入対策など含めた、総合的な対策を地道に展開していくことが必要という認識が重要のようだ。

マラリアはホットなトピックのようで、今月の NATIONAL GEOGRAPHIC日本版の特集でも、世界で大流行 マラリアの脅威という読み応えのある記事が読める。本書でも、この記事でも、結局マラリアとの戦いで一番重要なことは、遠回りなようだけど、貧困からの脱出であるということが指摘されているし、実際の対策は、DDTの使用も含め、総合的な観点から進められているようだ。

ここのところ、環境ホルモンやダイオキシンなどに代表される化学物質が、実態以上に悪者扱いされてきたことへの反動もあり、「マラリアが再流行しているのは(環境汚染物質として濡れ衣を着せられた)DDTを禁止したことが原因である」という主張は、何となく素直に流布しやすい傾向があるように思える。もちろん、DDTの環境や人体への影響を正しく見積もることは重要であり、それによって濡れ衣の部分は正していかなくてはならないのだけれど(参考:有機化学美術館)、逆にマラリア対策としてDDTの有効性を無邪気に信じてしまうのもまた非科学的であるということを肝に銘じなくてはならない。

その意味で、本書はとても大切なことを教えてくれたと思うし、この本を薦めてくれた中澤さんにも感謝したい。本書を読むと、これからの季節、蚊に刺されることがとっても怖くなるかもしれないけど、皆さんにも是非一読をお薦めしたい。

| | コメント (7) | トラックバック (3)

2007/06/13

「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」

ついこの前まで、国際捕鯨委員会(IWC)が開催され、かなり激しい論戦が戦わされたようだけど、意外と日本では報道されなかった印象がある。いつもネタ元として見ているThe top science news articles from Yahoo! Newsでも、IWCの前後は日本の捕鯨に対する姿勢を批判的に取り上げたニュースが毎日のように掲載されていたのだが、それに比べると日本の報道の静けさは何とも不思議な感じがする。

本書は、随分と直接的なタイトルだが、現役のグリンピース・ジャパンの事務局長が書いた本であり、当然のことながら反捕鯨の立場で書かれている。それでも、本家グリーンピースとは一線を画し、従来の過激な反捕鯨運動の流れよりは冷静に、できるだけ客観的に捕鯨の置かれた位置付けを明らかにしようとしたものらしい。帯には「好きなのは野生生物としてのクジラ? それとも鯨肉ですか?」というキャッチコピーが書かれているが、あまりセンス良くないような。。

幻冬舎新書 032
 日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか
 星川 淳 著 bk1amazon

日本人のクジラに対する思いは、世代によってかなり異なるのだろうと思う。僕の場合には、家でも学校の給食でも鯨肉は結構出てきたし、大和煮の缶詰とかもなつかしく感じる方だ。それでも、鯨は日本人の食卓に欠かせない食文化である、と言われると「?」と思ってしまう。

本書では、クジラの入門知識、歴史的な流れ、捕鯨が禁止されるようになったいきさつ、そして最近の状況について、一応バランス良く(?)説明がなされており、クジラや捕鯨に関する素人にとっての入門書として、目を通す価値があるだろうと思う。もちろん、バリバリの反捕鯨論者の書であるということを念頭に置いておく必要はあるし、例えば amazon のレビューなどでは、本書への批判的な主張も読めるので、参考にすると良いだろう。

捕鯨の場合、水産庁の管轄でもあり、通常は「出漁」とか「密漁」という用語を使用するらしいのだが、本書ではクジラはあくまでも哺乳動物であるとして、敢えて「出猟」とか「密猟」という字を当てている点にも、著者の考えが徹底している。

実は、現在の捕鯨問題の本質は、本書の冒頭に出てくる次の指摘がほぼ全てといって良いのではないだろうか? すなわち、国際的には既にクジラは陸に住む普通の野生生物の一種と捉えており、当然のように保護すべき対象と考えられているのだが、日本は従来どおりの水産資源という位置付けで捉えているから、どうやっても議論はまとまらないということのようだ。

もっとも、じゃあなぜクジラは保護すべき対象で、他の魚類はたとえ野生のものでも捕って食べて良いのだろうか? 結局のところ、哺乳類だからということになるのかな? 現実問題として、先進国では野生の哺乳類を商業的に捕って食べるというのは無理な時代になっているように思うけど、それを言い出すと、海には公海という都合のよいものがあるので話は違うわけで、ややこしくなるわけだが。。 ともかくもこの辺の出発点を共有できるかどうかが重要なのは間違いないだろう。 ウィキペディアの捕鯨問題は、その複雑な状況を比較的よくまとめていると思う。

ところが、実は日本でも捕鯨を推進しようとしているのはほんの少数の人たちだけで、大部分の人たちは、それほど鯨肉を食べることを積極的に望んでいるわけではないのだ、と述べており、、これは恐らく正しい認識なのだろうと思う。

では、なぜ日本だけが世界中から孤立する道を選んでまで、依怙地になってクジラを捕ろうとしているのか? 本書を読むと、水産庁捕鯨班という小さな組織とそれを取り巻く一部の利権集団(?)の既得権を守る戦いというような印象を持つのだが、本当にそんなことでわざわざ国際的にこれだけ非難を浴びるような立場を採り続けるものだろうか? 結局のところ、どうもその辺に説得力がないので、本書のタイトルである「日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」に対する答えは明確には見えてこない。

この前のIWCを巡る日本の報道を見ても、ゴシップや官僚の利権などが大好きなマスコミが何故か捕鯨に関してはやけに及び腰なのが気になるのだが、実は何か裏にあるのではないかと勘繰りたくなる。もはや捕鯨を推進したい大手スポンサーなどもいないだろうに。。 このまま毎年IWCの度に日本が国際的な非難を浴び、日本の主張が受け入れられない事態を見続けるのも、同じ日本人として何だか悲しいものがあるし、海外の人とこの話題になるのはできれば避けたいところだが、もうそろそろ表舞台で議論して、すっきりすべきだろうと思う。

ともかくも本書を読むと、調査をしたいなら調査捕鯨の名の下にかなりの数のクジラを殺したりすることなく、無傷で調査する方法を考えろよ、という主張はもっともだけど、それ以前に、そもそも調査捕鯨が科学的であるかどうか、なんてことが論点になっているわけではなく、もっとプリミティブな部分でのスタンスの違いが問題なのだと痛感させられる。

この著者の主張を全面的に受け入れるつもりはないのだが、それなりに良くまとまった本であるし、本書は議論の出発点としても意味のあるように思える。本書を読んで、なるほどクジラは保護すべき野生生物で、なにも国際的な非難を浴びてまで無理に食べることないよなあ、と思った人を相手に、捕鯨推進派が説得力のある反論を展開することができるのだろうか? 

なお、本書の中にクジラ類の有害化学物質による汚染の話なども出てくるが、実は問題となったマグロやイルカなどの水銀は人的というよりは天然由来の水銀であると考えてよいはずである。(参考:Q&A No.16) この他にも、読んでいると、ああ著者はやっぱりグリーンピースだな、と感じられる部分もあったことを付け加えておく。

| | コメント (4) | トラックバック (4)

2007/05/11

「ヒューマンエラーを防ぐ知恵」

化学同人が最近刊行し始めたDOJIN選書だが、前に紹介した「なぜ人は宝くじを買うのだろう」が、内容が中途半端で何だかなぁってだけでなく、著者の勘違い?で発売早々に大幅改訂されるというトホホな本だった。それに懲りずに、タイトルに惹かれて本書を買ったのだが、帯には「事故への道を知り、事故を避ける。すぐに役立つ、ヒューマンエラー防止のノウハウ。」とあり、実に実践的な内容のようだ。まえがきには、

本書は、安全に携わる人びとの役に立つことを第一の目標とし、ヒューマンエラーによる事故を防ぐ方法を提供することに力点を置いています。本のテーマとしてヒューマンエラーを選ぶと、それだけを論じる形となり、事故を防ぐための方法論は閑却してしまいがちです。もちろん、学術的にはヒューマンエラーの正体について考察を深めることも有意義でしょう。しかし、「ヒューマンエラーの真相はよくわからないが、こうすれば防げる」というノウハウの方が必要なのではないでしょうか。また、ノウハウを現場で適用するためのコツを示して、読者がすぐに実践できるよう配慮しました。
とあり、いわゆる実用的で役に立つ本を目指したもののようだ。

DOJIN SENSHO 4
 ヒューマンエラーを防ぐ知恵  ミスはなくなるか
 中田 亨 著 bk1amazon

本書は、
    第1章 ヒューマンエラーとは何か
    第2章 なぜ事故は起こるのか
    第3章 ヒューマンエラー解決法
    第4章 事故が起こる前に……ヒューマンエラー防止法
    第5章 実践 ヒューマンエラー防止活動
    第6章 あなただったらどう考えますか
    第7章 学びとヒューマンエラー

という章立てで、前半はヒューマンエラーとはどんなもので、どんな状況で、どのように起こるのかといったことを実例を交えながら解説し、後半で数多くの事例についての具体的な対策を一緒に考えるような構成となっている。

著者は産総研のデジタルヒューマン研究センターの研究員ということだが、「ヒューマンエラー研究家」という看板を持っているとのことで、かなり広い分野の多くの例を実際に見聞きして、その対策を考えてこられたようだ。ということで、本書はそれほど系統だっているわけではないのだが、とてもバラエティに富んだ事例がたくさん登場してくるので、かなり面白い。

企業などで実際に安全関係の仕事に関わった経験のある人は多いと思うのだが、どうしても自分の属する業界の、その中でも非常に狭い領域の安全のことだけに特化している傾向があるのではなかろうか? 本書には、一つひとつはさほど高度なノウハウでもないように思えるのだが、自分の良く知らない他の業界の事例がたくさん出てくるためなのか、ちょっと新鮮な物の見方や、少し意外な解決法が見つかったりする。

ということで、確かに著者の狙い通り、とても実践的で、実務者にとって参考になる本だろうと思う。もちろん、仕事上では安全とは直接関係のない方でも、本書を読むと普段の仕事などに参考になる点もあると思うし、単なる頭の体操として捉えても結構面白い発見があるのではないだろうか。

面白かった例をひとつだけ紹介する。これは、医師が書いたメモが悪筆だったため、部下の看護師がこれを読めず、しかも気が弱かったので医師に確認することができず、勘に頼って行動したために機器の操作を間違ったという事例。本書で紹介されている対策例の中で意外だったのが、上司の間違いを正す体験や、部下に間違いを正される体験をする模擬演習を行うというもの。

どうだろう? 僕も今まで会社などで実にさまざまな研修を受けてきたけど、こういう研修や演習は経験がない。この研修はヒューマンエラー対策だけでなく、職場などでのコミュニケーションを活性化したり、部下が言いたいことが言えずにフラストレーションが溜まってしまうような環境を変えたり、といった目的にも役立ちそうだ。何よりも、部下からの指摘をまともに受け止めることのできない上司が、こんな研修を通じて少しでも変わってくれるとすると、これは多くの人にとって非常に魅力的ではないだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007/04/25

「メディア・バイアス」

著者の松永さんの本としては、以前「食卓の安全学」を紹介しているが、松永さん自身が以前毎日新聞の記者であったという経歴を生かして、現在のマスコミによる科学報道が抱えている様々な問題点や、それに対する対応策などをバランス良く、わかりやすく書いた本。帯には「センセーショナリズム、記者の思い込み、捏造 - トンデモ科学報道を見破る!」とあり、副題の健康情報とニセ科学というキーワードを合わせると、本書がどういう立場で何を伝えようとしているかが想像できるだろう。

光文社新書 298
 メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学
 松永 和紀 著 bk1amazon

たまたま「発掘!あるある大事典2」の捏造問題が大騒ぎされたタイミングに出版されたけど、本書はもっと深いレベルでこの問題を取り扱っている。本書では、捏造自体はもちろん論外としているのだが、たとえ捏造がなかったとしても、あのような番組(何かを食べると健康に良いとか、ダイエットできるとかを安易な実験で証明したかのように伝える番組など)は、その番組コンセプトの根本部分で既に間違っていることを明確に指摘している点が高く評価できる。

あるあるの捏造問題を、他のTV局が喜んで報道したが、結局彼らには捏造レベルの問題点しか理解できていないのか、はたまた捏造レベルの問題として処理してしまいたいということが明らかとなってしまったわけだ。本書では、この手の番組に潜んでいる問題点を、単に視聴率がどうのこうのということではなく、白黒をはっきりさせる結論を欲しがる傾向、先に結論ありきの番組作り、何故かそれを補強するコメントをする研究者の存在などの点から、具体例を元に検証している。

また、そんなTVのバラエティ(教養?)番組の問題点とは別に、大手新聞社の通常の科学報道の問題点も遠慮なく指摘している。中国産野菜の残留農薬問題、マラリア対策としてのDDT使用について、PCB処理設備のリスク、環境ホルモン、化学物質過敏症、マイナスイオン、遺伝子組み換え大豆、バイオ燃料などなど多くの報道について、これもまた、具体的な報道とその裏側に潜む真実を対比させる形で検証している。これを読むとマスコミの方々はどう感じるのだろう? 反論があるのであれば、是非ともどこかに出してもらい、議論の対象としてみたいものだ。

そして、最後には科学報道を見破る十カ条として、一般読者がどのような点に気を付けて報道を受け取るべきなのかを提案している。まあ、今までもどこかで似たような教えを見た気がするが、よくまとまっているので、前半5カ条をここに掲載しておく。後半5カ条は是非本書で確認されたい。

 1.懐疑主義を貫き、多様な情報を収集して自分自身で判断する
 2.「○○を食べれば……」というような単純な情報は排除する
 3.「危険」「効く」など極端な情報は、まず警戒する
 4.その情報がだれを利するか、考える
 5.体験談、感情的な訴えには冷静に対処する

松永さんの本のすごいところは、この程度の分量の新書の中に、これだけの論点をバランスよく、しかも難しすぎず、適度な専門性を加えて、かなり正確に書こうとしているということ。また、批判すべき相手に対しては、ほぼ実名で批判を加えている点もすごい。本書にも、化学物質過敏症に関する記事を書いたことで非難されたことが出てくるが、ニセ科学やトンデモな論理は、多くのケースで被害者側の立場に立ったり、好ましく思える結論を安易に支持するものだったりするため、その論理の矛盾や科学的な根拠の問題点を指摘することは、時として一般大衆や市民団体を敵に回すことになりやすいようだ。

それでも、科学的な間違いを容認することは、最終的には自分たちの首を絞めることになるわけで、こうしてジャーナリストや科学者が勇気を持って声を上げてくれていることを尊敬すると共に、心から応援していきたい。

本書に出てくる事柄の多くはこのブログでも取り扱ったものだし、特に驚かされるものがあったわけではないのだが、その裏に潜むマスコミの問題点などの著者の考察を加えた形で本書を読み終えてみると、日本のマスコミのレベル、特に大手新聞社の抱える問題点に愕然とすると共に、先行きを思うと暗澹とした気分になってしまう。

松永さん自身が、今も毎日新聞にいたとしたら、このような視点を持ち得なかったというようなことを書いているが、要するに新聞記者というのが忙しすぎて、勉強したりじっくりと調べたりする時間がないという問題や、現実には一つ一つの記事をしっかりと調べて書くような状況にない現状というような問題があるようだ。まあ、理系白書ブログを見ていても何となくわかるけど。。

何にしても、こうして前回紹介した「水はなんにも知らないよ」に続いて、このような良書が手に入りやすくて目立ちやすい新書としてラインナップされ始めたことは歓迎したい。

ところで、松永さん自身のウエブサイトであるWAKILABは更新が滞っていたようだが、最近デザインも一新して再構築中のようで、本書の参考文献なども掲載されている。一方、とても良質のコンテンツが読めるFoodScience 松永和紀のアグリ話は有料となってしまい、気軽に読めなくなってしまったのがとても残念。毎月500円という会費は決して高くはないのだろうけど、FoodScienceの連載記事全部を読める権利は不要だが、松永さんの記事だけは読みたいという人向けに、100円/月とか、10円/記事などの選択肢もあっていいと思うけどなあ。。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007/04/06

「水はなんにも知らないよ」

最近ニセ科学批判がようやく大手マスコミにも取り上げられ始めた(例:理系白書:科学と非科学)ことは、極めて喜ばしいことである。これも、安井さん、菊池さん、天羽さん、小波さん、田崎さんや、この本の著者である左巻さんなど、一部の先生方が、必ずしも本業の実績にはならないにもかかわらず、地道に努力を続けてこられたことが、実を結び始めた結果だろうと思う。

この本は、株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンというあまり聞いたことのない出版社が、今回新たに刊行したディスカヴァー携書というシリーズの第1巻として出版されたもの。ニセ科学批判本としては、と学会の一連の書籍があるものの、あれはトンデモを笑って楽しもうという主旨のものであり、ニセ科学を正面から科学的に批判する本は意外と少ないように思う。

本書の内容は、僕やこのブログをいつも見てくれている方にとっては、敢えて買って読むまでもない、常識的なものかもしれない。しかし、左巻さんの反ニセ科学運動への感謝と応援の気持ちと、本書がたくさん売れることが、世の中が少しでも正しい方向に進むためのきっかけとなることを願って購入した。

ディスカヴァー携書 001
 水はなんにもしらないよ
 左巻 健男 著 bk1amazon


いうまでもなく、本書のタイトルは、例の「水からの伝言」(水伝)で有名な江本氏の「水は答えを知っている」という本への反論となっているのだが、帯に「徹底検証 まん延するニセ科学にダマされるな!」と書いてあるように、内容は水伝への批判だけでなく、πウォーターを始めとした怪しい水ビジネス批判や、水と健康にまつわる正しい知識がたっぷりと詰まっている。

おちょくったタイトルであるものの、内容は実に真面目である。水の結晶化の話や、波動の話、クラスター説、活性酸素や活性水素などなど健康系の水商売で使われるキーワードに対して、一つずつ丁寧に科学的な説明をしており、大抵の怪しい水に対する批判はこの本1冊で済んでしまうだろう。

難点としては、図表があまりにも少なく文字ばかりが連綿と続くことだろうか。本書を本当に読んで欲しい読者層にとっては、退屈な理科の教科書を読むようなもので、きちんと読みこなすのが難しいのではないだろうか? amazonのカスタマーレビューも、本書を読んで初めて問題に気付いたというものよりも、待望の批判書を歓迎するといったスタンスが多いことからも、その辺の事情が窺えるような気がする。

怪しい水商売を展開する側は、ともかく単純なわかりやすいデタラメな図を使い、間違っているけどわかりやすい説明をしているわけだが、これを批判する側は、丁寧に説明しようとすればするほど、読者から敬遠されてしまうということになっているように見える。それがニセ科学批判の抱える問題点の一つかもしれないが、せめてイラストや写真を豊富に使うなどして、科学の素養のない人達への配慮があると良かったのではないだろうか。

まあ本書の場合には、タイトルがなかなかキャッチーなので、書店で手にとってもらうという第1段階はクリアしていると思うのだが、パラパラと本書をめくってみて買う気にさせるかどうかという第2段階で苦戦しそうだ。。 それでも、まずは反ニセ科学のサポーターが本書を買うことで、このあまり知られていない出版社のとてもまじめな科学啓蒙書が予想以上に売れてくれれば、今後これに続く類書が出始め、さらに相乗効果が働くことも期待できるかな?

なお、「水からの伝言」の問題点についてご存知ない方は、田崎さんの「水からの伝言」を信じないでくださいを是非とも読んで欲しい。とてもよくまとまってる素晴らしいコンテンツだと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/03/29

「生命のセントラルドグマ」

久々にブルーバックス。書店店頭では、緑色の帯に大きく「ノーベル賞W受賞」と書かれている。確かに昨年2006年のノーベル生理学・医学賞は「RNA干渉の発見」、ノーベル化学賞は「真核生物における転写の研究」に与えられており、共にRNAやセントラルドグマに関連する研究である。また、このブログでは2005年に理研のRNA新大陸の発見という話題を取り上げている。

しかし、さすがに分子生物学の最先端領域での研究成果ということで、なかなか内容の理解まで至らないのが実情だった。この本は裏表紙にも、『「遺伝子からタンパク質が作られる」という中心教義の深奥にせまる!』、「多彩なしくみでなりたつセントラルドグマの世界を、RNAを中心にわかりやすく解説する。」とあり、パラパラっと中を見たら、図は多いものの、かなり難しそうに見えたのだけど、進歩の速いこの分野の先端領域を垣間見るのを楽しみに読んでみた。

ブルーバックス B-1544
 生命のセントラルドグマ RNAがおりなす分子生物学の中心教義
 武村 政春 著 bk1amazon

読み始めは、いきなりRNAポリメラーゼの構造の話などが出てきて、先行きが不安になったのだが、読み進めるにつれてどんどん面白くなり、後半はワクワク感を味わいながら、楽しく読み終えることができた。このレベルの内容をこのように伝えられる著者の力量は相当なものではなかろうか? 

確かに内容は高度で難解だから、一度読んだだけでは到底全貌を理解したとは言えないし、所詮ブルーバックスレベルだから、最先端の片鱗を垣間見たという程度だとは思う。それでも、従来の「DNAからRNAに遺伝情報を転写して、これを元にタンパク質が作られる」という程度の大まかな理解とは一味違う、セントラルドグマの精緻で複雑な世界の存在やその仕組みの一部を知ることができただけでも大満足である。

DNAは遺伝暗号というある意味で静的な書物のようなものであり、解読作業が重要となる。それに対し、RNAはその遺伝暗号から必要なタンパク質の合成を行うまでの様々な仕事をこなすダイナミックなものであるため、その一つ一つの働きのメカニズムの解明が重要であり、その応用範囲は果てしなく広がっているようだ。どちらが重要ということではないが、RNAについては、まだまだ未知の部分が多いのと、実に複雑な仕組みをたくさん持っていることが研究者を惹き付けるのだろう、という気がする。

例えば、DNAからm-RNAに遺伝情報を転写するという作業に関しても、どうやって遺伝情報を見つけ、しかもその中から不要な(?)イントロン部分を取り除き、エクソン部分だけを取り出すスプライシング作業を行うのか? あるいは、リボゾームにて、m-RNAとt-RNAからどうやってタンパク質が作られていくのか? こんなことは今まであまり考えてみたことがなかったが、本書では、この辺のメカニズムがかなり丁寧に、しかも非常にわかりやすく説明されている。

この辺のメカニズムは、大雑把に捉えていると、何となくそんなものか、という印象を持ってしまうけど、こうして細かな仕組みを一つずつ追いかけていくと、あらためて生命は何て複雑で精密にできているのだろう! という驚きが湧き出てくる。

最終的には、ノーベル賞を受賞したRNA干渉や、理研のRNA新大陸の話の周辺、例えば二本鎖RNAだとか、RNAキャッシュなどにも話は及ぶ。ただ、時期的にちょっとタイミングが合わなかった点があったのか、あるいはさすがに最先端すぎてわかりやすく説明するのが難しかったのか、(多分こちらの理解が及ばなかったというのが正しいのだろうけど)、説明も他の部分と比べるとわかりにくかった。いずれにしても進歩の速い分野なので、著者には是非とも数年後にでも続編を期待したい。

うーむ。。 とても面白かったし勉強にもなったのだけど、日常生活ではなかなかこのレベルの知識は使うこともないし、多分少し経つと忘れちゃいそうだ。一度読んだだけでは、十分に理解しきれていない点もあることだし、少し時間を置いてから、もう一度じっくりと読み返してみたい本だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/03/16

「なぜ人は宝くじを買うのだろう」

化学同人から「知のナビゲータ」というキャッチフレーズで新たに刊行された DOJIN SENSHO の第1弾。 化学同人の本には今までいろいろとお世話になってきたし、それなりに信用できると思われたので、実物を見ずに bk1で購入。

DOJIN SENSHO
 なぜ人は宝くじを買うのだろう 確率にひそむロマン
 岸野 正剛 著 bk1amazon

本書は実に1700円(税抜き)もする高価な本である。しかも、化学同人という理系専門の出版社が、満を持して(?)出版開始したシリーズの第1弾、3番バッターである。ところが、何とも期待はずれ、久々に「金返せ~!」と言いたい内容。

本書では、宝くじ、競馬、賭博、甲子園出場、株などを確率という切り口で考えてみるという中々楽しそうなテーマである。他にも、確率の誕生にまつわるパスカルとサイコロ賭博師メレとのエピソードや、神は存在するかをパスカルが確率的に考察した話など、興味深い話題を扱っているのだが、いかんせんその内容に深みがないし、中途半端なのだ。

そもそも、タイトルにもある宝くじの話では、宝くじの期待値を計算して終わり(!)で、なぜ人は宝くじを買うのかという問いの答えらしきものはどこにも書かれていない。。 競馬の話でも単純な仮定の下での単勝・複勝・連勝複式などが当たる確率を計算しただけだし。。 この辺の話題に関しては、その深みという点で「ツキの法則」で行われている考察の足元にも及ばない。

甲子園優勝の確率計算では、優勝校の勝率は0.7~0.8だろうと根拠も無く仮定した上で、甲子園で6連勝する確率はその6乗ということで2割程度と推定しているのだが、何とも深みのない議論というか、中高生向けの演習問題か? そもそも、毎年全国で必ず1校は甲子園で優勝する学校が出ているわけだから、そういう視点(ある学校が優勝する確率は単純に見て数千分の一)と、個々の学校の勝ち負けの視点(勝率約5割と仮定して優勝まで11~12連勝する確率も数千分の一)を比較して考察したりすれば、少しは面白い話になりそうなのに。

なお、数十人のグループの中で、同じ誕生日の人が存在する確率の話は、ちょっと意外な話として過去にもどこかで聞いたことがあった。23人のグループだと、同じ誕生日を持つ人が少なくとも1組存在する確率が約50%となるということは知っておいて損はないだろう。(誕生日のパラドクスと言う有名な話らしい。)

さて、この書評を書こうと思って、化学同人のサイトを見てみると、何ともショッキング(笑)なお詫びが掲載されている。。

1月20日発売のDOJIN選書「なぜ人は宝くじを買うのだろう」の内容に著者の勘違いによるミスが発覚いたしました.ご購入いただきましたお客様におかれましては,多大なご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます.改訂版の出来上がりが3月10日頃の予定でございます.すでにご購入いただきましたお客様につきましては,お取り替えをさせていただきます
どうやら「金返せ~」と言おうと思ったら、逆に「本返して~」と言われてしまった状態のようだ。。 うーむ、どこが間違いなのかぐらいどこかに書いておいてもらわないと、困るんだけど。。 わざわざ送り返して正しい本を送ってもらっても、また全部読み直すほどの本とも思えない。とはいえ、間違った内容をそのまま覚えておくのも嫌だし、今さら間違い探しをするのも面倒だし。。 正誤表を送ってもらうだけで十分なんだけど、それでは収まらないくらいの大幅変更のようだし、書店で実物を見て違いを探してみるか。。 何と言っても、間違いに気付かなかったことが一番ショックだ。。。

それにしても、DOJIN SENSHO は大丈夫だろうか? そもそも、確率の専門家でも数学者でもない人に、「確率にひそむロマン」なんてテーマの本の執筆を依頼した時点で、どこか間違えているような気がするのだが。。

もっとも、同じ DOJIN SENSHO だけど、「だまされる視覚 錯視の楽しみ方」(bk1amazon)の方は、さすがに北岡明佳の錯視のページの先生だけあって、錯視を見て楽しむだけでなく、作り方だとか、学問的な面などに触れられるという点で、たぶん買う価値はあったけのだけど。(ただし、白黒印刷であるということと、絵が全般的に小さいということが影響しているようで、錯視の迫力はウエブページには遠く及ばなかったのが残念だ。)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007/03/06

「石油 最後の1バレル」

東京駅近くの大手書店で大々的に並べて売っていた。興味のあるタイトルだったので購入して読んでみたが、英治出版という、失礼ながらあまり聞いたことのない出版社の本であった。地元の書店ではあまり目立つところには置いていないので、局所的に相当頑張って売り出してたのだろうか。原題は " A THOUSAND BARRELS A SECOND - The Coming Oil Break Point and the Challenges Facing an Energy Dependent World -" ということで、どうみても原題の方が内容を忠実に表している。(現在、石油の生産量は毎秒1000バレルに近づいているらしい) とはいうものの、本文については特に翻訳がおかしいとか、読みにくいということはなかった。

 石油 最後の1バレル
 ピーター・ターツァキン 著 bk1amazon

本書については、既に安井先生が市民のための環境学ガイドで書評を書いているので、専門的な内容についてはそちらが参考になるだろう。

大部分が中世以降のエネルギーの変遷の歴史をたどったもので、我々が鯨油、石炭、石油、そして各種エネルギー源による電気といったエネルギー源にどのように乗り換えてきたのか、そして現状はどうなっているのか、といったことの記述に費やされている。意外と知らなかった石油メジャー(7シスターズ)の歴史などにも詳しく触れられており、現在のエネルギー事情を知るという点でもとても有意義な本だと思う。

どこかで読んだことがあったけど、改めてなるほどと思ったのは、油田の生産量というのは年とともにどんどん低下していくという事実。石油生産量の1年間の低下率の平均値は約5%にもなるので、現在の全世界の石油生産量は毎年イラクの生産量の2.5倍に相当する量ずつ減っていくとの指摘がある。つまり、毎年新規にイラクの2.5倍に相当する油田を見つけて生産を開始しなくては、現状の生産量を維持することもできないということになる。

また、本書で強調されているのは、たとえ世界の需要をまかなえるような新たなエネルギー源が将来現れるとしても、既存のエネルギーとの切り替えには、新エネルギー源の大規模実用化やインフラ整備など、相当長い年月が必要なはずであるということ。まあ、当然といえば当然なのだが、過度の楽観視はかえって有害であり、石油のブレークポイントが来たあとは、さまざまな技術開発を進めながら、同時にライフスタイルの変更も必要となると主張している。

本書の最後に、著者が描く2017年の世界というのが出てくる。2007年頃に石油のブレークポイントを迎えた後の10年間に何が起こり、どういう社会になるかという予想を述べたもので、なかなか興味深い。燃料価格の高騰で大型のSUVを手放したけど、小型のディーゼルカーやハイブリッドカーを運転し、天然ガスやバイオガス、風力や太陽電池などを組み合わせたエネルギー源とライフスタイルの変更で何とかやりくりしているうちに、どうやら核融合技術が間に合いそうだ、というとてもバラ色の未来である。

でも、この予想には数値的な裏づけは何もなく、単なる空想レベルと言わざるを得ない。ただし、ここに描かれている世界が現実のものになるためには、いつごろまでにどんな技術が実用化され、どんな社会制度やライフスタイルの確立が必要なのか、なんてことを考える叩き台としては意味のあるものかもしれない。

過去、貴重なエネルギー源だった鯨が絶滅しそうになった時期に、たまたま石炭利用が可能になったし、石炭利用の弊害が問題になってきたときに、タイミング良く石油が実用化されたのかもしれないが、石油が足りなくなったときに、そんなに都合よく次のエネルギーが利用可能となるとは限らない。少なくとも今後数十年で核融合が実用化されるかというと、ちょっと無理だろう。では、ここ数十年で技術的にどんな進歩が期待できるのだろう? いろんなアイデアはあるけれど、それらがどう実現してどんな社会が到来するかは余りに不透明だ。

エネルギー分野は動くお金が余りに莫大で、魑魅魍魎の跋扈する世界のようだけど、技術屋も単に夢を語るだけでなく、近未来の技術の実現性などについて具体的な道筋をいくつか示し、それを基にした社会システム設計への参画なんてことを積極的にしていかないと、将来の読みを間違えた政策によって、とんでもないハードランディングを迎えることになるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/13

「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」

久々のハードカバー。たまたまどこかで本書のタイトルを目にし、amazonなどのレビューで比較的高評価だったのでネットで購入。扉には「50あまりのケースを紹介しつつ、巨大事故のメカニズムと人的・組織的原因に迫る。」とあり、裏表紙にはそのうちの23件のケースのリストが載っている。ともかく非常に多数の事故を扱っている本と言えよう。

 最悪の事故が起こるまで人は何をしたいたのか
 ジェームス・R・チャイルズ 著 bk1amazon

非常に多くの事故、それもほとんどが欧米で起きた事故で、あまり我々にはなじみのない事故がたくさん出てくるので、ただでさえ頭の中が混乱してしまう。本書は序章を加えて全13章で、それぞれの章は1~3件の事故を中心として話が進むのだが、その途中で類似の別の事故のエピソードの紹介が複雑に割り込んだような形式で、とてもストーリーが入り組んでいる。

おまけに、各事故の詳細やその原因の説明がわかりにくい。この手の本では必須となるはずの図面やタイムチャートのようなものが非常に少なく、その図表が不適切なものだったり、使用されている用語が本文と異なっていて、さっぱり要領を得なかったり。結局、必要に応じて、ネットから該当事故の詳細を調べながら読むという方法を取ることになってしまった。

もう1つ、改善希望点を挙げておくと、この本に掲載されている50件以上のケース(中には事故を未然に防いだケースも含まれている)は、目次を見ても全部が載っているわけではないのだが、残念なことに本書には索引もない。中には、いくつかの章で参照されている事故もあるし、後で本書を参照しようとする人のために、是非とも索引だけは欲しいところだ。実際、今この文章を書こうとしてどんなケースがあったかを振り返ってみようと思っても、非常に見通しが悪い。。

以上のように気になる点も多いのだが、本書はかなり読み応えがある。知らない事故も多く出てくるのだが、逆に事故のことは知っていたけど、原因は良く知らないという事故も結構あった(日本のマスコミは事故のことは報じるけど、その後の原因究明などは大きく報道されることはまれだし)。アポロ13号のあの有名な事故も、奇跡の生還ばかりが有名だけど、そもそもの事故原因は何だったのかという話は非常に興味深かった。実は、未然に防ぐチャンスは十分にあったし、本来は防ぐことのできた事故だったようだ。

本書の最大の特徴は、タイトルにもあるように(原著タイトルは "Inviting Disaster" だが)、事故の起きた現場での関係者の行動に焦点を当てていることだろう。通常、日本でこのような事故を紹介する本の場合、事故の背景、経緯、原因、対策などが比較的淡々と説明されているし、大抵の場合、関係者は匿名でしか出てこないだろう。本書の場合には、ドキュメンタリータッチというか、事故の関係者の目線でストーリーが展開する中で、登場人物は全部実名で出ている(らしい)。逆に、外人さんの名前がたくさん出てくるので、誰が誰だかわからなくなってしまうという欠点もあるのだが。。

確かに、本書で扱っているいくつかの事故ではこの人間の目線からのドキュメンタリー手法が功を奏しており、無機的な事故報告書とは異なり、自分がこの事故の関係者だったらどうするだろう、という臨場感のある立場で考えられるという利点がある。実名でこういう本が書けてしまうというところには日米の大きな違いを感じさせられる。

なお、各章は「信じがたいほどの不具合の連鎖」、「『早くしろ』という圧力に屈する」、「テストなしで本番にのぞむ」、「最悪の事故から生還する能力」などのタイトルで、著者なりに事故を分類して話を展開していくのだが、僕にはこの分類方法はあまりわかりやすいとは思えなかった。さまざまな事故をどのように分類するのが良いかは、目的によっても変わるし、人それぞれかもしれない。とはいえ、ほとんど知らないような欧米の事故を次から次に読み進めると、日本であった類似の事故や、自分が関わってきた場面を思い浮かべながら、いろいろと得るものが多かったのは確かだ。

読みにくかったり、わかりにくかったりという欠点はあるものの、人間ドラマとしても読み応えがあるし、海外の事故事例が豊富に収録されているという点だけでも、企業などで安全に関係する立場にある人には一読の価値がある本だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/12

「はやぶさ」

幻冬舎から出た新しい新書の第1弾として出版された中の1冊。はやぶさがイトカワにタッチダウンして、試料を採取したんだかしないんだかよくわからないままに、大トラブルが発生したのが2005年の秋から冬にかけて。2005年の末には、このブログでもはやぶさ、帰って来い…なんて記事を書いたのだが、丁度それから1年経って、はやぶさのことも忘れかけていた頃に出たのが本書である。本書を読み始めてたら、たまたま紅白歌合戦で、さだまさしが「案山子」を歌うってことで、あの「はやぶさたん」のことも思い出してみたり。。

幻冬舎新書 016
 はやぶさ 不死身の探査機と宇宙研の物語
 吉田 武 著 bk1amazon

本書はめずらしく横書きである。読んでいて全く違和感はなかったけど、横書きの本なんか滅多に読むことのない普通の人たちにはどのように受け入れられるのだろう?

まだ、はやぶさの今回の仕事の出来や今後の見通しについて不明な点も多いので、この時点でこのような本を出すのはなかなか微妙だったとも思える。もっとも、地球への帰還予定は2010年だから、それまで待っているわけにもいかず、ここまでの成果と苦闘の道のりを一般向けの新書としてわかりやすく示そう、というのはとても良い試みだと思う。

本書は、はやぶさのイトカワへのタッチダウンの場面と、はやぶさの簡単な説明で始まる。続いて「大地の詩」と名付けられた第1部は、糸川英夫さんの人生をたっぷりと紹介したのち、ペンシルロケットから始まる東大宇宙研のロケット開発の流れをたどる。第2部の「天空の誌」では、日本最初の人工衛星おおすみの誕生からはやぶさまでの宇宙研のロケット開発の流れを紹介し、はやぶさ計画の始まりから、イトカワへの接近までの道のりをたどる。そして、第3部の「人間の詩」では、はやぶさのイトカワ離着陸とその後の状況についてわかっている範囲の解説をしたのち、最後に2010年にイトカワの試料を入れたコンテナが無事にオーストラリアの砂漠に降りてくる場面を想像して本書は終わる。

本書は、はやぶさの困難に満ちた探査の様子やそこからいかにリカバリーしたか、といったエピソードを中心にしたというよりは、はやぶさを東大宇宙研の宇宙開発の集大成ととらえ、ペンシルロケットからはやぶさに至る流れをたどることに半分以上のスペースを使っている。

今はJAXAに統合されてしまったので、ますますわかりにくくなったけど、日本の宇宙開発の歴史は、東大宇宙研による固体ロケットの流れと、昔の科学技術庁の流れを汲むNASDAによる液体燃料ロケットの流れの2本立てになっていることは、普通の人にとってはほとんど知られていないことだろうと思う。こんなブログを書いている僕にしても、ロケットや宇宙とは縁もゆかりもないので、2本の流れがあることは何となく知っていたけど、その中身がどうなっているのかについては全くといっていいほど知らなかった。

本書は、完全に東大宇宙研の立場で書かれた本なので、NASDAは何となく悪者のような姿で書かれているのだが、それでもともかく日本の宇宙開発は異なる2つの組織により、全く独立した技術で行われてきたことがよくわかるのは確かだ。著者は、東大宇宙研や糸川さんに相当に強い思い入れがあるようで、ちょっと鼻に付くところもあるのだが、まあ立場をはっきりとさせた上で書いているのでこれはこれで許せるだろう。

もっと、はやぶさの苦闘を脚色したり擬人化して面白おかしく伝える方法もあったと思うし、インターネットで広がったはやぶさを応援する大きな流れにも触れて欲しかったという印象もある。その点で、ワクワクドキドキの臨場感にはやや乏しいのだが、とても読みやすく、かつ読み応えのある物語として仕上がっている。特に、日本の宇宙開発のことをあまり知らない人や中高生などが読むと、日本の宇宙開発もまんざらでもないじゃないか、という印象を持つのは間違いないだろう。

今、松浦晋也のL/Dなどで、はやぶさ2を巡る議論が盛んだが、はやぶさのような宇宙探査を日本が行うことの意味を考える意味でも、本書は参考になるだろう。僕自身は、はやぶさの意義はとても高く評価するけど、だからと言って、日本がこの分野の最先端を走り続けることがどうしても必要であるかと言えば、日本にとっての宇宙開発の意義や全体計画を十分に議論し、もっとコンセンサスを得た上で決めることだろうと思っているのだが。。

なお、はやぶさについては はやぶさまとめ が詳しい。現時点での公式サイトの最新ニュースは小惑星イトカワ、約2年ぶりに地上の望遠鏡での観測成功!だが、来月にも地球帰還に向けてイオンエンジンの起動を開始する予定とのこと。何とか傷だらけでもいいから地球に戻ってきて欲しいものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/12/22

「タバコ有害論に異議あり!」

書店の新書コーナーに平積みになっている本書が目に付いて購入。個人的には一日40本以上をコンスタントに吸っていたヘビースモーカーだったのだが、ある日スパッとタバコを辞めてから3.5年。その後、各種のリスクを定量的に扱う本などを何冊も読んだ身としては、今さらタバコ有害論に異議あり!って言われてもなあ。。 一体どんなアクロバティックな議論をしているんだろう? という興味だったのだが、果たして? 帯には

胸を張ってタバコを吸おう!
喫煙で肺が真っ黒になる、肺ガン説、受動喫煙被害 -どれも科学的根拠なんてない!
とあり、さらに扉には
タバコ有害論の根拠となっている疫学統計は「有害である」という結論が先にありきの、悪質な操作に満ちたものだったことを徹底追求!
と中々勇ましい文句が並んでいる。

洋泉社新書 166
 タバコ有害論に異議あり!
 名取 春彦・上杉 正幸 著 bk1amazon

本書は前半が名取さんによる「つくられたタバコ有害論」、後半が上杉さんによる「タバコを“悪”とみなす「健康社会」の矛盾」という2章立て。ちなみに、名取さんは獨協医科大学に勤める医学博士、上杉さんは香川大学教育学部の教授である。

まあ、既にタバコを辞めちゃった身として読むせいもあるのかもしれないけど、本書を読み進むと何故か著者がだんだん哀れに思えてくる。端的に言えば、本書の前半のタバコ有害論に対する反論の根拠は、タバコ有害論でよく引用されるらしい平山雄さんという方の疫学研究に対する反論である。僕は、ここで展開されている議論そのものを詳しく理解しているわけではないのだが、少なくともはっきり言えることは、平山さんの論文の欠点を指摘して、鬼の首を取ったかのように勝ち誇っても、禁煙喫煙有害論サイドにとっては痛くも痒くもないだろうということだ。今、世界中でこれだけ大きな禁煙への大きな流れが起きているのに、その根拠がたった一つの日本の論文にあると考える方がどうかしているだろう。それに、今まで世界中の多くの研究者が、この本で指摘される程度の点に誰も気付いてなかったわけがない。

一方でタバコの利点として挙げているのが、眠気が醒める、リラックスできる、発想の転換を促す、気付け作用がある、痴呆症の予防になるかもしれない、喫煙所のコミュニケーションが有益である、といった程度のものであり、子供だましレベルの典型的な言い訳のオンパレードである。タバコを吸っている時には、確かにこんな論理でも説得力がありそうな気がするのだろうが、タバコを吸わずに普通に生活している多くの人の生活や、タバコを吸い始める前の自分に対する想像力の欠如と言っていいのではなかろうか?

一方、後半の健康社会の矛盾に関する指摘は、今の世の中は行き過ぎた健康志向であり、世の中から多少とも有害の可能性のあるものを全て排除しようとすると、生きていくことが困難になってしまうという主旨で話が進む。この部分には確かに大筋で同意できるのだが、何故かその後で論理が怪しくなってしまう。

まず、感染症などのように因果関係がストレートなものと比べると、タバコの人体への有害性は複雑で、その大きさは不確実であると述べた後、だからこそ、不確実なリスクを気にして生活するのは不幸な生き方であると展開してしまうのだ。どうやらタバコの害はそれ程大きくないのに、有害か無害かの2元論で有害と判断してしまうのはおかしいと言いたいらしい。確かに、不確実なリスクを全て1か0かで判断してしまってはおかしくなるだろうけど、今や我々は不確実なリスクを定量的に比較する方法を種々手にしているのだ。もちろん、その大きさは新たなデータや知見が出ることで変動するのだろうけど、徐々に真の値に近づいていくと信じて構わないだろう。

タイトルや帯は随分と強気だし、著者もそれぞれ自信を持って自説を述べているのだろうけど、少なくとも僕は読み進むにつれて、説得力の貧弱さや論理の綻びが目に付いて、やっぱりタバコ有害論への反論はこの程度のものなんだ、と妙に納得した次第。まあ、週刊誌なんかの短い文章ならともかくも、本書程度の分量を反論で埋めようとすると、長くなればなるほど粗が目立つということかもしれない。

むしろ、一見タバコを擁護するふりをしているけど、この本は実はタバコ有害論側からの手の込んだ切り崩し工作なのではないか?と疑いたくなったくらいだ。。 少なくとも、僕はタバコをやめなきゃ良かったとは全然思わなかったし、もしも今もタバコを吸っていたとしても、こんなにみっともない屁理屈を言う人と一緒はごめんだと思ったことだろう。

ちなみに、疫学をベースとしたタバコ有害論については、まずは川端裕人さんのブログ「リヴァイアサン、日々のわざ」の喫煙、疫学関係のエントリに目を通すのがお勧めだと思う。本書の著者もここでの議論を読んでから出直して欲しいところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (8)

2006/12/08

「相対論がプラチナを触媒にする」

前回の「地球・環境・人間」に引き続いて、岩波科学ライブラリーの新刊。ちょっと意外性のあるタイトルである。帯には

燃料電池、自動車の排気ガス浄化で触媒として大活躍するプラチナ。
なぜプラチナだけに、そんな魔力が宿っているのか?
その秘密は、意外にも相対性理論が知っていた。
とある。実は一応触媒が専門領域だが、触媒と相対論というのは確かに新鮮な組合せだ。

岩波科学ライブラリー 125
 相対論がプラチナを触媒にする
 村田 好正 著 bk1amazon

100ページちょっとで、図表もそれなりに出てくるので、字数はかなり少ないのだが、「地球・環境・人間」が平易な文章であっと言う間に読み終えられたのに比べると、かなり内容の理解に苦労する。森山さんがK.Moriyama's diaryで「教科書じゃないんだから。」と実に適切な評価をしているが、一体誰を読者として想定したのかよくわからない不思議なテーストの本である。。 「はじめに」には、高校生を対象とした講演を基にして本書を書いたとあるので、多分高校生を意識した本なのだろうけど。。

本書では、周期表の10族に縦に並ぶ Ni(ニッケル)、Pd(パラジウム)、Pt(白金)を比較して、化学的性質が似ているはずの同族元素なのに、何故ニッケルと比べて白金は幅広い反応の触媒として有用なのかということを理論的に説明している。まず、この説明を理解するのに必要な基礎的な知識である、結晶学、量子論、相対論などの基礎を初心者向けに解説し、最終的にはニッケルと白金の金属表面原子の再配置やガス吸着現象の違いを相対論的効果が働いているためであると説明している。

さらさらっと読むと「ふーんそうなのか」という感じだけど、ひとつひとつの項目は実は難解な話なので、よくよく考えてみると「あれ、どうして?」というような疑問も多々出てくる。何となく中途半端なんだよね、きっと。例えば結晶面は、(100)や(110)とか(111)とかミラー指数を使って表現するのが普通だが、本書では初心者向けに配慮したとかで、それぞれ正方表面、長方表面、三角表面と呼んでいて、逆にわかりにくかったり。。 一方で、相対論や量子論の解説部分は、本書の中心となる部分のはずだが、どうみても初心者が直感的に理解できるような配慮がされているとは思えない。本当はこの部分にこそもっと多くの力を注ぎ、読者の理解を助ける工夫をすべきだろう。

結局のところ、本書のキーとなる相対論の効果とは以下のようなメカニズムである(らしい)。ドゥ・ブロイの式から求められる電子の速度は原子番号に比例し、これがニッケルの場合は光速の20%であるのに対し、白金は57%になる。これにより白金の場合には相対論の効果が無視できなくなり、最も内側の電子の結合エネルギーが増加し、結果として原子間結合が強まることになる。ニッケルに比べて白金の比重が高いことも、このことから説明できるようだ。そして、この結合力の違いが金属表面原子の安定性に影響を与え、表面原子の再配列の仕方に影響し、さらにガスの吸着しやすさや吸着の仕方に違いが出てくることによって、触媒としての働きが変わってくるというもの。

実際にガスを吸着させた際の表面原子の配置の変化の様子をダイナミックに追った実験などはなかなか面白く、特に白金表面での一酸化炭素の酸化反応の様子を光電子顕微鏡で追跡した像はイリュージョンのようで実に興味深い。この時に実際に観察される摩訶不思議な現象を、理論的にきっちりと説明できるのもとても小気味いい。

だけど、読み終えて何となくすっきりしないのは何故なのだろう? 結局、白金とニッケルの違いは説明できたかもしれないけど、パラジウムはどうなの? とか じゃあ金は何で触媒としてあまり有用ではないの?というような疑問に答えてないからかもしれない。それに、ニッケルにはニッケルにしかできない役目がちゃんとあって、水素化触媒なんかではなくてはならない元素だし、何だか白金だけが特別扱いされているみたいで、ちょっと哀しいのかも。。

ところで、本書はタイトルから本文まですべて「プラチナ」と表記しているのだが、どうして白金にしなかったのだろう? 裏表紙には「プラチナ、またの名は白金」と書いてあるけど、これってどうかねえ? 一方、最初のページには「プラチナの学術名は白金である」と書いてある。本書はどちらかというと学術的な本なのだから、やっぱり白金と書くべきだと思うけどなあ。。 それと、本書には周期律表という言葉も何度も出てくるのが気になる。以前は確かに周期律表と呼んでいたけど、今は周期表と呼ぶのが正しいらしいので、直しておいた方が良いと思うけど。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/11/22

「地球・環境・人間」

帯には「環境問題と聞かれて具体的に何が語れるだろうか この本にはあらゆるヒントが満載だ 環境をめぐる<私>の想像力を存分に刺激する」とある。岩波書店の月刊誌「科学」の連載コラムに掲載されたものをまとめたものとのこと。

岩波科学ライブラリー 124
 地球・環境・人間
 石 弘之 著 bk1amazon

全110ページほどで字数も少ないし、文章も平易で読みやすく理解しやすいこともあり、あっという間に読み終える。本は読んでナンボのものだから、難解でギブアップしてしまうような本などよりもよっぽど実利的には有意義なのだが、1200円(本体)という価格はちょっと割高という印象もしないでもない。。

本書は全部で19の独立した文章からなり、地球温暖化、生態系の危機、エイズ、人口問題、宇宙のゴミ問題、武器取引、消えゆく言語、アメリカの脱ダム問題などなど、いわゆる環境問題の枠を越えて、非常に幅広い分野の話が展開している。

全体を通して、冷静でちょっと独特のテイストの文章となっており、各種データや取材結果が淡々と紹介されている。著者の意見だとか、それぞれの問題への対策だとか、あるいは全体を通しての何らかのポリシーのようなものなどは敢えて何も出てこない。そのため、危機をただ煽るだけのありがちな恐怖本じゃないか?とか、著者は一体どう考えているんだ?とか、最初は読んでいてイライラしたのだが、途中からはこのドライな雰囲気がかえって心地良くなったような気もするから不思議だ。。 実際には、月刊誌への連載原稿として書かれたものなので、1つずつを読むと普通なのだと思うのだが、それを19本も続けて読んだので、独特の雰囲気が醸し出されたということかもしれない。

多分、大学のゼミなんかで環境問題を考えるための問題提起なんかに使えるかもしれない。下手に著者の思いが加わっていない点で使いやすいような気がする。ただ、問題がとても大きくて多面的であることがこうして見せつけられるので、諦めだとか無力感とかに包まれてしまうという副作用もありそうだ。

本書を読んで特に勉強になったのは、アフリカ人を対象とした人体実験もどきの医薬品の臨床試験の話と国際的な武器取引の話。特に武器取引については、

 こうした貧しい国々に、武器を供与し売りつけているのは大国である。世界の武力紛争の監視や武器の管理においてもっとも重い責任を負うはずの国連常任理事国が、最大の武器の供給国である。現代の最大の皮肉であろう。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によると、常任理事国5カ国で、2004年の通常兵器輸出総額の88%を占めた。ロシア(1位)、米国(2位)、フランス(3位)、英国(5位)、中国(8位)である。

 軍事費が有効に再配分されれば、貧困や飢餓が大幅に削減される可能性がある。ミレニアム報告書によれば、今後10年間の世界の軍事支出のわずか7.5%(7600億ドル)を回すだけで、2015年までに乳児死亡率を3分の2減少させ、さらに世界中の人々が安全な水を手に入れ初等教育を受けられるようになる。アフリカ、アジア、中東、中南米の国々が武器購入予算の半分にあたる110億ドルを使えば、これらの地域に住むすべての子どもたちが小学校に通えるようになる。(p.63~64)

とある。最近核兵器の話が話題に上るようだが、現在核兵器保有が認められている国々は、実はそのまま通常の武器の輸出大国でもあったようだ。。 これらの国々が常任理事国メンバーを務めているということは、今の国連の枠組が根源的に限界を持っているということだろう。。 地球規模での環境問題を多面的に考え出すと、別にグリーンピースの主張にそのまま同意するわけではないけれど、どうしても戦争は最大の環境破壊というような話に突き当たってしまうのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006/11/09

「渋滞学」

帯には「渋滞が嫌いな人も、行列が欲しい人も。車や人から、飛行機、インターネットまで。最新の研究が、さまざまな渋滞の謎を解明する。」とある。以前から、高速道路の渋滞の名所などで自然渋滞に巻き込まれると「何故いつもここで渋滞が起きるんだろう?」なんてことを考えて時間をつぶしていたので、さまざまな渋滞現象に科学的に取り組んだ本書は正にツボにはまったという感じで、とても楽しく読めた。

新潮選書
 渋滞学
 西成 活裕 著 bk1amazon

本書では、主としてセルオートマトンの1種であるASEP(Asymmetric Simple Exclusion Process)というモデルを使って、車、人、アリ、インターネット、電車やバス、飛行機などの渋滞現象や、さらには森林火災の延焼防止におけるパーコレーション、リボゾームでのタンパク質合成、神経細胞における分子モーター(キネシン)の運動などを解析していく様子を非常に平易な文章で説明してくれる。後半に行くほど段々難しくなっていくのだが、とてもシンプルなモデルと直感的に理解しやすい例から順を追って丁寧に話が進んでいくためか、わかりやすい。

本書のエッセンスの部分は、著者のホームページ西成総研に専門家向けの資料として掲載されているようだが、できれば素人が遊べるような簡単なASEPモデルがあったらなあと思う。もっとも、このモデルは完全に離散的で、有限個数の粒子(自己駆動粒子)の挙動を表現する簡単なルールを設定するだけで実現できるので、単純なものであればエクセルなどですぐに作れそうだ。

それにしても、アリの渋滞とバスの団子運転が同じルール(フェロモン効果)で表現できたり、人が密集した状況での人の動きは粉体の挙動と通じるものがあったりと、渋滞学というのは実に間口が広い。著者が最後の章で強調するように、現在の蛸壺型の専門に特化した学問の状況下で、このような分野横断的な研究を進めるのは確かに大変だろうと思う。全く専門の異なる研究者が同じ切り口で議論を進めるというのはとても刺激的で魅力的だとは思うが、実際にやるとなると解決すべき問題が山積しているのであろう。

交通渋滞関連は、起こっている現象が実感として理解しやすいこともあり、渋滞が起きる車間距離は約40mであることだとか、渋滞に陥る手前では不安定だけど特異的に高速走行可能なメタ安定現象が起こることがあるとか、興味深い話が多かった。また、今後交通制御システムやカーナビが進歩して、渋滞回避の最適解を求めることが可能となったとしても、各車がそれぞれ最適解に従って動くと、それがまた新たな混雑を生み出すような複雑な状況も考える必要があるという指摘なども奥が深い。こうなると、ゲーム理論なども織り込む必要になってくるわけで、面白そうだけど、大変そうだ。

本書は高校生でも十分に楽しめるような内容だけれど、複雑な現象を単純なモデルで説明する楽しさだとか、それによって自然現象の中に潜む原理を見出す喜びのようなものも味わえるし、一方で全然別の分野の専門家が見ても、問題解決のヒントになるような視点を提供してくれる可能性もありそうで、とっても中身の濃い本だと思う。

あと、本書で紹介されているのを見るまで知らなかったが「パイこね変換」(*)という計算操作が面白かった。10進数の演算を2進数に変換して行うことで、避けることのできない誤差が出るというありがちな話なのだが、エクセルで実際に計算してみると確かに衝撃的な結果を見ることになる。

(*)本書に出てくる「パイこね変換」の例
 (1) まず0から1までの範囲の数xを決める
 (2) xが0.5よりも小さければ y=2xとし、そうでなければ y=2-2xとする
 (3) 求めたyをxに代入し、(2)に戻って計算を繰り返す
 例えば最初に x=0.1とすると、本来は0.4と0.8でずっと振動するはずが、数十回の計算で0になってしまう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/10/23

「データの罠」

今朝の日本経済新聞のコラム春秋には、「数字はウソをつかないがウソつきは数字を使う。」という中々蘊蓄のあることわざ(?)を元にデータに振り回されることの危険性と共に、データを提示する側への苦言を呈している。ここで紹介する本は、まさにこのことを実例を交えて説明した本であり、さまざまな意思決定の基となるような各種統計に関し、主としてデータの取り方や取りまとめ方が不適切なケースを具体的に実例をあげて説明している。

帯には、『「視聴率」「内閣支持率」「経済波及効果」「都道府県ランキング」、知らないうちにあなたの意見も操作されている!!』と書かれている。著者は、自治省、香川県企画調整室長、三重県財政課長を経て、現在は新潟大学大学院実務法学研究科助教授ということで、統計学の専門家ではなく、集計された各種統計を使う側で多くのデータを取り扱ってこられた方のようである。

集英社新書 0360B
 データの罠 世論はこうしてつくられる
 田村 秀 著 bk1amazon

第1章では、新聞の世論調査で質問文や選択肢が恣意的な例、信頼性のある結論を得るために必要なサンプリング数はどの程度か、有効回答率が非常に重要なこと、真の無作為抽出は意外と難しいこと、調査方法によって結果は全く逆になることもあり、特にインターネット調査やテレゴングは当てにならないこと、回収率を高く見せるためのデータ捏造もされていること、などが具体的に議論されている。

中でも著者は有効回答率を重視しており、回答率を上げるためにインセンティブを使うことも考えるべきで、少なくとも有効回答率が50%以下の調査は信憑性が極めて低いと指摘する。もっとも、下手にインセンティブを付けると回答率は上がるだろうけど、果たしてその回答は信頼性があるものかどうかは疑わしい気もする。

第2章では、○○日本一などのデータの元となる家計調査の危うさ、テレビの視聴率の精度、選挙の出口調査競争、各種の都道府県/都市/国のランキングなどが具体的に議論されている。テレビの視聴率は、業界では小数点以下の細かな数字の大小までを競っているようだが、実際には30%のときにプラスマイナス3.7%の範囲に95%の信頼性で入る程度の精度しかないと指摘している。また、選挙の際の出口調査に関して、今後各社がますます精度を上げる努力を続けると、番組の冒頭で発表する予想の数字がほぼ最終結果を反映することになり、開票番組の視聴率が下がってしまうというジレンマに陥るのではないか、という指摘がなされており、面白い。

第3章では、日本人の英語力はそんなに低いのか、在日米軍の事件・事故は本当に少ないのか、税理士の収入はそんなに高額なのか、など具体的ないくつかの統計調査結果について正しい見方を示している。日本人の英語力については、TOEFLやTOEICのテスト結果の国際比較をすると日本は世界最下位レベルであるというデータに基づいた議論なのだが、実はこれらの試験を受ける母集団が各国で大きく異なっているというのがポイント。日本は学校や会社ぐるみで全員が半ば強制的に受けるケースが多いのに対し、他国では米国留学希望者だけが受けたりしているので、単純に比較できないというわけ。

第4章は恐らく著者の専門分野で、「官から民へ」を検証するということで、中央省庁のスリム化の実態、地方公務員給与の実態、道路や下水道などのインフラ整備、公認会計士や税理士制度の問題、郵政などの民営化問題などを取り扱っているが、ちょっと本書全体の中ではつながりが悪い印象。まあ、著者が自説を述べたかったということだろうか。

冒頭に紹介した日経新聞のコラムでは、データを提供する側、統計を扱う側がもっときちんとしなさい、と指摘しているのだが、本書は統計を見る側の心得として、いくつかのだまされないためのチェックポイントを提示してくれている。だます奴も悪いが受け取る方もだまされないように注意する必要があるということだ。その意味ではマスコミの役割も非常に重要だろうと思う。マスコミ自らが安易な調査を行っているケースや、官民による各種調査結果を正しく解釈できていないケースが多々あるわけで、是非もっともっと勉強して欲しいものだ。

なお、同様のテーマを扱った『「社会調査」のウソ』もおすすめである。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006/09/28

「気象病 天候が健康を脅かす」

著者はNHKニュースで天気予報を担当しているベテランの気象予報士。気象の変化と病気の関係を春夏秋冬の季節ごとに整理して、さまざまなデータを使いながら解説したもの。

NHK出版 生活人新書 189
 気象病 天候が健康を脅かす
 村山 貢司 著 bk1amazon

著者は気象予報士であって医者ではないから仕方ないのかもしれないけど、何だかなあ、という内容。気温、湿度や気圧などの変化と病状の変化との相関がいろいろ出てくるんだけど、ちょっと表面的な見方が過ぎるのではないか? という印象もある。

例えば、気温の急激な変化は健康に悪影響を与えたり、病状を悪化させたりすることが多いのだけど、気圧の変化は巷で言われているほどには影響はないようだ、という指摘。その具体例として、台風が通過する前後数日間の、気圧や風速などとぜんそくの発作で病院に搬送される病人の数の関係を調べているんだけど、台風の真っ只中にいたら、たとえ病状が少々悪化しても病院に行けない人もいるだろうし、これで本当に意味のあるデータとなるのだろうか、などの疑問が残る。。

本筋とは関係ないんだけど、気になったのがマイナスイオンについてのコラム。

 最近の健康ブームで注目されているのがマイナスイオンです。エアコンの中にはマイナスイオン発生をセールスポイントにしているものまであります。空気中には目には見えませんが様々な微粒子が浮いており、その中の帯電している微粒子をイオンといいます。マイナスがあるわけですから当然プラスイオンもあります。プラスイオンは人間の交感神経を刺激し、心臓の活動を活発にし、血管を収縮させる働きがあり、いわば人間を興奮状態にするものです。これに対してマイナスイオンは人間の副交感神経に作用します。プラスイオンとは逆に心臓の働きを鎮め、血管を拡大させる働きがあります。こちらは人間をリラックスさせることになります。マイナスイオンがたくさんある場所にいるとリラックスし、ストレスが減少するといわれています。

 自然界でマイナスイオンがたくさんあるのは水しぶきの上がる場所で、滝の近く、渓流、海岸、高原の水辺などになります。これらの多くは夏の保養地になっているところであり、特に水辺の散策はマイナスイオンをたくさん浴びることができます。

 雨も水しぶきの一種ですから、雨上がりの空にはマイナスイオンがたくさん含まれています。雨上がりの空が気持ちよいのは、空気が澄んでいるだけでなく、マイナスイオンが増加したことも加わっています。普段の生活の中ではシャワーを浴びるときにたくさんのマイナスイオンが発生しています。浴槽の中でリラックスし、さらに上がるときにシャワーを浴びることでより気持ちが落ち着くことでしょう。

この本の発行は2006年8月であり、さすがに今もマイナスイオンのお話を素直に信じ込んでいるとすると、大手マスコミの現役のキャスターでもある気象予報士の文章としては、あまりに無邪気というか、勉強不足というか、心配したくなる。(参考) まあ、この本の内容は、そういうセンスの人の文章だということを念頭に置いて、思いっきり眉にツバを付けて読むことになるな。

気象病グラフ
もう1点、読んでいて気になったのがグラフ。恐らくパソコンの表計算ソフトで「折れ線グラフ」を選んで描いているんだろうけど、こんなグラフがいくつか出てくる。これを見て、特に気にならない人もいるだろうけど、普通(少なくとも理系の教育を受けた人)はかなり違和感を感じるんじゃなかろうか?

ということで、気象予報士という資格は結構難しいと聞いているけど、こういうセンスの人も合格しているってことで、やっぱり、何だかなあ、という感想だ。。。 

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2006/09/20

「リスクのモノサシ」

五月兎の赤目雑感で紹介されているのを見て、読んでみた。リスク関係の本はいくつか読んでいるが、本書は心理学者から見たリスクの話であるということで、何か新たな視点や知見が得られることを期待したのだが、期待以上に大変面白く読めた。文句なしにお勧めの本である。なお、著者の専門はリスク心理学とのことだが、そんな分野があるとは知らなかった。

NHKブックス 1063
 リスクのモノサシ 安全・安心生活はありうるか
 中谷内 一也 著 bk1amazon

タイトルは「リスクのモノサシ」とあるが、実はこのタイトルは本書の盛りだくさんな内容のほんの一部しか表していない。各章がそれぞれ独立した本として成立するような興味深い内容を扱っており、本書はそれらの入門編といったところだろうか。

序章ではダイオキシン、環境ホルモン、SARS、BSEなどの問題は実は人的被害はほとんどなく、騒ぎだけが大きかったことを指摘している。本書の主要なテーマは、リスクは小さいのにリスク情報が混乱をもたらしたのは何故か? を考えるというものである。

第1章はマスメディアが持つ報道スタイルの特性を指摘し、最悪パターンを強調する傾向があることや、読者が理解しやすいようにリスクの程度を伝える努力をしていないことなどについて述べている。

第2章では逆に専門家側の問題点を指摘している。リスク情報の発信源である科学者サイドが、ほとんどゼロに近いリスクを「ないとは言えない」と曖昧にする傾向、自分が客観的な立場から物を見ていると過信する傾向、一旦マスコミに取り上げられた自説をなかなか曲げない傾向などを持つことについて、興味深い考察がされている。

第3章では、リスク情報の受け手側にリスクを過大視しやすい傾向があることを指摘する。恐ろしいものや未知のリスクを過大に評価しやすいだけでなく、一般に人は低確率領域でその事態に対して過大な重み付けをしやすいことや、具体的な単一事例の方が抽象的な統計資料より大きなインパクトを与えやすいことなど、社会実験例などをもとに説明している。

第4章ではリスク情報は統一されたモノサシを付けて報道することが有用ではないか、という著者の提案が展開される。具体的には、10万人当たりの年間死亡者数をベースとした対数スケールのモノサシを使い、死亡者数が250人規模のガン、24人規模の自殺、9人程度の交通事故、1.7人程度の火事、0.1人規模の自然災害、0.002人の落雷をその目盛とすることを提案している。

例えばアスベストによる中皮腫のリスクは約0.75人であり、火事での死亡リスクより小さく、自然災害による死亡リスクより大きいとわかるし、BSEによるヤコブ病のリスクは最大に見積もっても0.001人以下のリスクであり、非常に小さなリスクであることが理解できるというものである。

ここでのポイントは、新たなリスクを報道する側が、そのリスクの大きさをこういったモノサシと一緒に伝えるようにしようということだ。従来の報道はリスクの大きさが不明だったり、直接比較が困難な数値だけだったりと問題があるので、報道する側が責任を持ってここまで突っ込んだ情報提供をしてくれという提案である。もっとも、人の死を統計的に取り扱うことが大きな反発を受けることも容易に予想できるわけで、こういった考え方がどれだけ一般に受け入れられるものか疑問ではある。。 実はその辺こそがリスク心理学の出番という気がするし、もう少し突っ込んでみる必要があるように思う。

第5章以降は、信頼をテーマにして、少し毛色の違った議論を展開しているのだが、正直に言ってやや難解というか、消化不良という印象だ。第5章は、安全か危険かのシロ・クロ二分法になりやすい傾向について考察している。選択肢が多い豊かな社会では、人々は小さなリスクを敢えて選択する必要がないことも多く、ひとつひとつの選択はそれほど深刻なものでなくても、それが集まると、社会全体としてはパニック(ほうれん草や牛肉のケース)のような大きな問題となりうると指摘する。

第6章では社会から信頼されるためにはどうしたらいいのか?を考えている。従来のリスクマネジメントでは、専門性と信頼性が重要で、中立な立場の専門家による検討会を開き、とことん情報公開を行うというのが最近のトレンドとなっている。これに対し、これだけでは必ずしも信頼は得られず、主となる価値が相手と類似しているかどうかが重要であると指摘して新たな信頼モデルを提案している。確かに、相手の主張を素直に受け入れるかどうかには、先入観が影響するだろうし、従来の考えを変えるほどの説得力を持つのは難しそうだ。

第7章は、信頼を回復するには何が必要かを述べている。一般的には監視と制裁の仕組みを導入することや、市民参加プログラムを用意して市民の目を入れることが重要とされているのだが、面白いのは、自発的に人質を供出することが有効であることを示している。これは、外部から強制的に規制される前に、自発的に自己規制を宣言し、もしもそれに違反したら自己制裁することを明言することで、社会からの信頼度が格段に高くなるという社会実験に基づくものである。

最後の第8章では安全・安心な社会はありうるのか? を考察し、安全と安心の両方を同時に満たすことはできないと結論している。安全を目指せば目指すほど、新たなリスク情報が世に出てくることになり、結果として不安の種はなくならないというストーリーのようだが、確かにそういう側面があることも理解できる。本当に安全と安心が両立しないかどうかは、異論もあるだろうと思うけど、安全・安心という言葉をあまり深く考えずにセットで使うのはそろそろ止めて、じっくりと考えてみる必要があることは確かだろう。

ということで、本書はリスクに関して実に幅広い領域をカバーし、それぞれにかなり興味深い問題提起なり提案をしていると思う。それでいて非常に読みやすくわかりやすいため、あっさりしすぎて物足りないという印象もないではない。できればより深く突っ込んだ内容の続編を期待したいところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006/09/05

『「失敗をゼロにする」のウソ』

帯には「責任追及はもうやめた! 失敗したら威張って会社を危機から救おう」と書いてある。著者は失敗学会の副会長とのことだが、以前 GEの原子力発電部門におられたようだ。失敗学に関しては、このブログでも畑村先生の「決定版 失敗学の法則」を読んで書評を書いたが、どうも良い印象がない。この本は、企業で安全の現場を経験してきた著者が書いたものなので、畑村先生の本とは少し違った視点から失敗学のことが理解できるのではないかという期待を持って読んでみた。

ソフトバンク新書 014
 「失敗をゼロにする」のウソ
 飯野 謙次 著 bk1amazon

本書では第1章で、失敗に関する三つの教えとして、「人は失敗をやらかすもの」、「失敗を隠そうとするのは自然の摂理」、「失敗をくり返さない仕組みをつくる」ということを述べている。そして「それでも失敗はなくならない」という、身も蓋もないようなことをキチンと述べている。この主張は、ある意味で当然だし、確かにそうだな、と納得できる指摘なのだが、実はなかなか堂々と言うことは難しい言葉である。特に、企業などでは「ゼロ災活動」が浸透しており、常に目標は災害ゼロであり、こんな目標は無理だなどと口に出すことは極めて難しいのだ。

その意味で、この章の記述は企業などで安全活動に携わる方々には是非一度読んでみて欲しいと思う。何というか、いつも胸に引っ掛かっていたモヤモヤが実にスッキリと晴れ渡るような爽快感が得られるのではないだろうか? 何故か安全活動というのは未だに精神論が幅を利かす世界のようだけど、そろそろこのような前提を受け入れたところから、科学的に活動していかなくてはならないのだと思う。

第2章では、著者のアメリカ経験を基に、日本の社会システムの問題点、特に形式を重視する社会であることがもたらした例として、原子力発電所のトラブル隠蔽問題などに言及している。

第3章では、失敗学の成果、特に失敗まんだらを簡単に説明したあと、過去の事故事例をいくつか紹介している。ここでは、事故を教訓に、より上のレベルの知識を得ることの大切さを説明している。実例としては、広島の新交通システムの高架工事で橋桁が落下した事故、タイタニック号の沈没事故などを扱っている。広島の事故事例では、H型鋼を積み上げる際の向きを考えなかったことが原因だったということで、「工」となる向きで何段も積み重ねて置くと、非常にバランスの悪い状態となり、簡単に崩れ落ちるということで、これは目からウロコだった。また、タイタニックの事故では、実は低温脆性が沈没の原因のひとつで、同じ低温脆性が原因で1962年にオーストラリアでキングス橋という大きな橋が崩壊したということで、過去の失敗からの教訓が活かされていない例とのこと。

第4章以降も具体的な事例をいくつも交えながら、事故や失敗から如何に貴重な知識を得るのか、またどうやってより安全なシステムを作っていくのかといったことが、失敗学の考え方を紹介しながら説明されている。そのそれぞれは、結構興味深い事例だったり、わかりやすい解説だったり、それなりに面白い。ただ、やっぱり気になるのは、何故か従来の安全工学などについて全く触れていない点である。ここに出てくる事例でも、別に失敗学なんか知らなくたって、従来から安全活動を普通に実践している人ならば同じような教訓を引き出すことは可能だと思うのだけど。。

もちろん、今までの安全活動の取り組みにはいろいろと問題があることは確かだろう。しかし、失敗学以前にも、安全のための人類の試行錯誤の長い歴史があるわけで、もしも現在の安全学には問題があるというのであれば、それをきちんと指摘した上で、新たな提案をしていけばいいのではないか? 何も、先人の取り組みを無視するかのように、新たな学問である「失敗学」を自分たちが体系化したのだ、と主張することもないと思うのだが。。

ということで、少なくとも企業などで安全活動を進めている人にとっては、失敗学的な活動と従来の安全活動との違いや、失敗学をどう従来の安全活動に融合させたらいいのか、といった点が良くわからないのが難点だと思う。「失敗はゼロにはならない」という前提や、「精神論じゃ解決しない」という指摘はとても勇気をもらえる主張で素晴らしいと思うので、失敗学会には、従来の安全活動に失敗学をどう取り入れるのかを考えて欲しいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/28

「算数の発想」

帯には大きく「柔らか頭のつくり方!」とあり、扉にも

旅人算につるカメ算、仕事算に植木算、集合算………
日常に根ざした素朴な感覚を重視する算数には、方程式や記号をあやつる数学からは決して出てこない、世界の本質を直感的につかむためのアイディアがつまっている。
その発想を身につければ、自然界のミクロなかたちから宇宙の膨張する姿までが見え、経済成長のしくみから平成不況の原因までが理解できる。
基本から中学入試問題までを例に、算数の発想の豊かな広がりを示すスリリングな一冊!
と書かれている。著者の本は以前「確率的発想法」を読んでいるが、比較的好印象だったのでこの本も読んでみた。

NHK BOOKS 1060
 算数の発想 人間関係から宇宙の謎まで
 小島 寛之 著 bk1amazon

つるカメ算や植木算などは小学校時代に確かに使った記憶があるけれど、一般的な1次方程式の解法を知った後には、敢えて個別の○○算の解法を使う機会もないのが普通だろう。本書では、そういった数学の一般的な解法とは別に、算数の個別的な解法に敢えて焦点を当てる。○○算の算数的な解法の底に流れるものの見方を深く掘り進めていくと、実は結構深遠な世界に通じるのだよ、というわけだ。

第1章は「旅人算」の相対的なものの見方の延長上に、ドップラー効果、ハッブルの法則、相対性といった考えがあり、最新の宇宙論にも通じるものがあると展開する。(旅人算とは、一人が家を出た後から、もう一人がより速いスピードで追いかけて、いつどこで追いつくか?というような問題。)

第2章は「ガウス算」のグラフをさかさまにして足すような発想法を発展させて、リスクヘッジ、市場取引の理論(ワルラスの定理)、ピグーの外部不経済の話、公害解決のための税制度、などの経済理論を解説する。(ガウス算とは、1から100までの合計を求めるような問題で、上下さかさまにした2つの棒グラフを使うことで簡単に合計を求めることができる。)

第3章では「相似図形」からフラクタルへと展開し、フラクタルの実例、フラクタル次元などがわかりやすく説明されている。

第4章は「仕事算」と「ニュートン算」から経済成長モデルへと展開し、さらに少子化の場合の経済成長の考え方へと続く。(仕事算とは、Aさんが一人で部屋を片付けるとX分、AさんとBさんの二人でやるとY分掛かるとき、Bさん一人では何分かかるか?のような問題。 ニュートン算とは、開館前にX人の行列ができていて、さらに毎分Y人ずつ客が来るときに、入口が1つだと行列がZ分でなくなるとすると、入口が2つだと何分で行列がなくなりますか?のような問題。)

第5章では「数え上げ」から順列・組合せ、エントロピー、自己組織化、そして格差社会へと話が展開する。

第6章は「集合算」から包除原理、メビウスの反転公式、オイラー関数へと展開し、相乗りタクシー料金の支払い分担計算の話を経て、協力ゲーム、シャプレー値、議会における政党のパワーへと続いていく。

まあ、最新の数学やそれを応用した、物理学、経済学、あるいは政治学などにも、算数の発想法が生きている、というストーリーなのだが、何だかこじつけという感じのするものもあるし、残念ながら、算数の発想の重要性に思わず目からウロコが落ちる、というような驚きはなかった。とはいうものの、個々の話やその展開はなかなか興味深いし、説明も相当に丁寧でわかりやすい。

ただ、読者の僕が理科系ということもあるのか、第1章、第3章および第5章については比較的わかりやすく、フムフムと興味を持って読み進められたのだが、残りの第2章、第4章、および第6章はどちらかというと社会科学系の応用分野ということもあり、なかなか手強かったようだ。特に最後の第6章で取り扱っている数学やその応用は、相当に高度なレベルと思われ、とても気軽には読めず、真剣に頭を使ってみたものの、それでも今ひとつすっきりとした理解には到達しなかったようだ。

著者は、序章で

算数の発想は、日常生活や人間関係や人生の経験のなかからやってくるさまざまなものの見方を集積したものである。だから逆に、算数の素朴なものの見方、プリミティブなアイデアを知ることは、人生に潤いをもたらすだろう。数学の持つ「普遍的な操作性」は、思考や時間の節約という「効率性」、あるいは考え落としや飛躍のない「厳密性」を与えるものかもしれないが、世のなかを眺める楽しみを育むのは、むしろ算数の「個別的な思考」のほうだといっていい。(p. 23)
と書いている。長年数学に関わり続けてきた著者にとっても、このような算数的な発想法の重要性に気付いたのは最近のことだったようだから、我々が著者と同じ境地に到達するのは無理があるのかもしれない。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/18

「人体 失敗の進化史」

読書メモは随分久しぶり。この間もそれなりに本は読んでいたのだが、たまたまブログに書き込む暇がなかったのだ。今さら2か月も前に読んだ本の感想を思い出しだし書くのも辛いので、以前読んだものはとりあえず置いておき、最近読んだ本についてのメモを書き残していくことにしよう。

さて、この本の帯には

地球史上最大の改造作は、どう生まれ、運命やいかに。「ぼろぼろの設計図」を読む。
とあり、人体の設計図は生物進化の歴史の中で何度も何度も描き換えられたボロボロのもので、人類はいわば究極の失敗作なのだ、ということを述べた本のようだ。

光文社新書 258
 人体 失敗の進化史
 遠藤 秀紀 著 bk1amazon

著者は動物の遺体解剖を通じて生物学的な研究を進めてきた方で、遺体科学という学問領域を提唱されているとのこと。我々人類の体を解剖学的に見てみると、地球上の生物が今までどのように進化してきたのかというストーリーが見えてくるようだ。その進化の過程は、設計変更の歴史であり、水中生活から地上生活へ、4足歩行から2足歩行へ、などのように大きく生活様式が変化していく時には、当初の設計図では想定していなかったような大きな変更を施すことにより対応してきたと言える。本書では、その設計変更がいかに行き当たりばったりであったのかを、多くの実例をもとに説明してくれる。

本書で扱っている具体例としては、鳥の肩の骨とヒトの肩の骨の違い、心臓の発生の歴史、骨の発生、耳小骨の誕生、顎関節の誕生、手足の誕生、臍の始まり、肺の誕生、鳥の翼とコウモリの翼、2足歩行のための改造、ヒトの手の特徴、ヒトの脳、ヒトの繁殖戦略などなど。写真や絵を豊富に交えながらなかなか興味深く、しかもとても丁寧に解説してくれている。惜しむらくは、写真があまり鮮明でないのと、さらに素人にとっては写真の説明を読んでもあまりピンと来ないことだろうか。それでも今後、骨付きの魚や鳥を食べる時には、少し骨の付き方を意識して観察してみようか、という気にさせてくれる程度に興味を持たせてくれる。

本書では、あくまでも動物の遺体解剖を通して得た知見を元に、生物の進化、特に人類への進化の歴史を振り返ってみようというもので、いわゆる進化論についての説明はほとんどない。そのため、本書を読むことで進化の結果については理解できるのだが、進化の起こるプロセスやメカニズムについては全く理解できないことに注意が必要であろう。本書で進化の結果に興味を持った人には、その興味が尽きないうちに進化のメカニズムについての良書に目を通されることをお勧めしたい。

それでも本書を読むと、巷で最近話題になるインテリジェント・デザイン(ID)論がいかに事実を真剣に見ていないかということを思い知らされる。いわゆる知的設計者がいて、人類のような複雑な生命の設計図を描いたのだとすると、その設計者があまりにも行き当たりばったりで、強引で、お世辞にも知的とは呼べそうもないということが明白である。やはり本書の著者のように地道に多くの研究を積み重ねてきた方の説明は説得力があるし、ID論者には是非本書を読んだ上で論理的な反論を期待したい。新たな事実を前にして、強引で自分本位な説明をしようとすればするほど墓穴を掘ってくれそうで、それはそれで期待できるかもしれない。。。

さて、本書の後半では、人類が自らを滅ぼすことのできる兵器を作り、地球環境を不可逆的に破壊してきたことなどを述べた上で、

 たかが五〇〇万年で、ここまで自分たちが暮らす土台を揺るがせた“乱暴者”は、やはりヒト科ただ一群である。何千万年、何億年と行き続ける生物群がいるなかで、人類が短期間に見せた賢いがゆえの愚かさは、このグループが動物としては明らかな失敗作であることを意味しているといえるだろう。

 ヒト科全体を批判するのがためらわれるとしても、明らかにホモ・サピエンスは成功したとは思われない。この二足歩行の動物は、どちらかといえば、化け物の類だ。五〇キロの身体に一四〇〇ccの脳をつなげてしまった哀しいモンスターなのである。

という人類観を述べている。これはこれで非常に説得力があるのだが、その後で
私が心から愛でておきたいのは、自分たちが失敗作であることに気づくような動物を生み出してしまうほど、身体の設計変更には、無限に近い可能性が秘められているということだ。
と結んでおり、決して悲観的なだけではないこともわかる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/15

「ウェブ進化論」と「グーグル Google」

「ウェブ進化論」は今や大ヒットとなったようで、あちこちで扱われているし、確かに非常に明快にウェブ社会で起きている現象と今後の方向性を示しており、ネットに精通した人もそうでない人も必読だと思う。一方、「グーグル Google」もそれなりに売れ始めているらしいけど、こちらは「ウェブ進化論」程の評判にはなっていないようだ。でも、こちらは「ウェブ進化論」と共通する現象を取り上げているけど、より多面的な切り口で、特にグーグルが席巻するネット社会の光と影の両面を取り上げている点で見逃せない本である。

ちくま新書 582
 ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
 梅田 望夫 著 bk1amazon

文春新書 501
 グーグル Google 既存のビジネスを破壊する
 佐々木 俊尚 著 bk1amazon


この2冊は「ロングテール」を中心とした、検索をキーテクノロジーとした新しいネット社会についてわかりやすい解説を行っている点で、共通している点も多いのだが、一方で互いに補完している点も多く、できれば両方合わせて読むのがいいだろうと思う。でも、何故か amazon のお勧めではどちらの本のページでも「あわせて買いたい」本には違う本しかラインナップされないのが不思議である。。

「ウェブ進化論」はネット社会が如何にビジネスを変えつつあるのか、今後はどうなっていくのか、についてロングテールを中心としてかなり詳しく述べている。今までネットを使いながら漠然と感じていたイメージが、本書を読むと実にクリアになってくる。あちこちの書評を読んでみると、読む人が違うと実に多様な読まれ方をしていることにも気付く。それだけ多くのイメージを読者に与えてくれるという点でも良書なんだろうと思う。

一方、「グーグル」はネット社会全体を相手にするのではなく、その中でもグーグルに的を絞り、そのビジネスモデルについて実例をたくさん混ぜて非常にわかりやすく見せてくれる。さらに、グーグルが中心のネット社会が持つ問題点を描くことにもかなりの分量を割いている。本の後半が影の部分となっているだけに、読み終えたときに、グーグル1社が余りに多くの情報を支配することへの不安感が強調される仕掛けとなっている。

グーグル八分の話や中国での検索結果への検閲導入、あるいはグーグルマップから特定施設が消えた件などの負の側面は、既に知っている人はとっくに知っているような問題ばかりなのだが、この手の一般向けの本にきちんと記載されたことの意義が大きいだろうと思う。著者も指摘しているように、これらの問題は、個々の問題よりも、グーグル社が説明責任を果たしていないという点や、強いものに甘く弱いものに厳しいというダブルスタンダードな企業姿勢が大きな問題なのだろうと思う。たかが一民間企業の話なんだから、嫌ならグーグルを使わなければ良いじゃないか、で済めば良いのだが、どうやらそうもいかないところまでグーグルは大きくなってしまっているように思える。これらの問題点が今後どういう方向に向かっていくのか、ということにこれからも注目していきたい。

まだまだ大きな変化が起こっている真っ最中に敢えて出版されたということで、この手の本は賞味期間が極めて短いので、是非2冊合わせて早めに読んでみて欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (5)

2006/04/21

『「複雑ネットワーク」とは何か』

帯にも「友だちの元カレは私の元カレだった!」という惹句があるように、若い人たちを想定読者とした本といって良さそうだ。ネットワークというと、今やインターネットに代表されるコンピュータネットワークを思い浮かべるが、本書で取り扱うのはそれだけに留まらない。様々な人間関係、感染症の広がり方、脳の情報伝達、など色々な分野に適用することのできる「複雑ネットワーク」という考え方の入門書となっている。

ブルーバックス B1511
 「複雑ネットワーク」とは何か 複雑な関係を読み解く新しいアプローチ
 増田 直紀、今野 紀雄 著 bk1amazon

前半がネットワークの科学についての導入編、後半がそれの応用編となっている。前半部では、木(ツリー)と格子、ネットワークの距離、クラスター性、スモールワールド・ネットワーク、スケールフリー・ネットワークなどのキーワードについて、基礎から説明してくれる。簡単な例を交えて非常にわかりやすい説明が続き、とても好感が持てる。元々パズル的な側面があることも大きいのかもしれないが、単にわかりやすいだけでなく、それが実際の場面を考える際にどう使えるのだろうとか、もっと発展させたらどうなるだろう、というような知的好奇心が刺激されるのが心地よい。

世界中の誰にでもたった6人の知人をリレーするだけで到達できる、というスモールワールドの話は最近有名だが、本書でも実際の実験結果が mixiでの実験例も含めて紹介されている。またそれに関連して、世界の俳優の共演関係からその距離を表す数として考案された「ベーコン数」や、世界の数学者の共著関係を表す「エルデシュ数」というアイデアも非常に興味深い。さらには、大リーガー同士の距離を計算するベースボールの神託なんていう試みもあるようだ。

この前半部分で残念なのは、後半でも度々出てくる「スケールフリー」についての説明がやや中途半端であること。ネットワークの次数分布がベキ乗則に従うものをスケールフリー・ネットワークと呼ぶということだが、本書の説明だけではここの部分は今ひとつわかりづらい。自分で簡単なネットワークの例について実際に計算してみないと理解しにくい概念だろうとは思うのだが、他の部分がわかりやすいだけに、もう少し実例を交えて解説して欲しかった気がする。

後半の応用編では、感染症の感染経路、通信ネットワーク、ニューロンのネットワークとタンパク質のネットワーク、ビジネス社会のネットワークなどが取り扱われている。前半と比べると内容に比べて分量が少なすぎるのか、やや消化不良の印象がある。通信ネットワークの部分は、直感的に理解しやすいこともあり良いのだが、脳のネットワークについてはかなり詳しく触れられている割には、今一ピンと来なかったし、タンパク質ネットワークについては具体的なイメージを抱くところまでも到達できなかったような気がする。

それでも、最後のビジネス社会のネットワークの部分では、簡単なモデルでリッチ・クラブ現象やビップ・クラブ現象といった興味深い人間関係を表現できる例が紹介されており、これらのモデルを使用して、いわゆる黒幕と呼ばれる存在を説明する試みなども、この分野の応用可能性や今後の発展を予感させる。

全体的には、全くの初心者を対象とした入門書でありながら、この理論の広がりやその面白さを伝えることにかなり成功していると思える。複雑ネットワークという考え方は、この本で紹介された応用分野以外にも、自然界や人間が作り出した、何らかの相互作用のあるもの同士の挙動、世の中で起こる様々な現象、人間が考え出した成果物、などなど非常に守備範囲が広いもので、結構有力なツールとなりうるということがわかる。もしかしたら、今後このネットワークの考え方というのは、多くの人たちが基礎的な教養の一部として身に付けるべきものとなるのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2006/04/03

「空前絶後のスーパー仕事師」

文庫版のメタルカラーの時代の最新作。前作「わくわくする大科学の創造主」についてはこちらで紹介した。今回は、前半が超精密測定に関する技術、中盤がスプリング8、後半はアマゾン関係というラインナップである。

小学館文庫
 [文庫版]メタルカラーの時代12
 空前絶後のスーパー仕事師
 山根 一眞 著 bk1amazon

最初に出てくるキログラム原器の話は、間接的にはお世話になっているにも関わらず普段見聞きすることのない世界で、非常に面白かった。以前質量の定義とアボガドロ定数というエントリを書いたことがあるが、長さや時間の単位については既に普遍定数を用いて定義されているのに、質量だけがいまだに「キログラム原器」という実物をベースとして定義されている。で、このキログラム原器の正規の複製品を日本で如何に管理し、日本中の秤の較正をどのようにしているのか?という話である。

そもそもキログラム原器がどこにどのように保管されているのか? というところからして面白い。キログラム原器自身はWikipediaにも写真が掲載されているし、これと似たような写真は今までにも見たことがあったのだが、このキログラム原器の保管状況が何ともすごい。産総研のつくば研究所の地下、鉄格子のはまった部屋の奥の直接見えない場所に置かれ、外からは鏡に写った状態で見えるようにしているらしい。これは、万が一何か物を投げつけられても損傷しないようにとの配慮らしく、神棚のような置き場にキログラム原器、実験原器、副原器の3つが並んでいて、何ともおごそかというか仰々しいというか。。 この写真を見るだけでもこの本を手に取ってみる価値があると思う。

で、この日本のキログラム原器と本家フランスのキログラム原器との比較を行い校正する作業や、日本のキログラム原器の質量を副原器移す作業の段取などが紹介されており、非常に興味深い。そのための100億分の一キログラム(100ナノグラム)まで測れる超精密天秤なんてものまで存在するというから驚きだ。作業の段取も、ほとんど職人芸の世界になっているのだが、これが現時点でも日本のあらゆる取引の基準を定める作業ということになると思うと、複雑な思いになってしまう。。

さて、本書でもう一つ非常に興味深かったのが、後半に出てくる小野田寛郎さんの話。小野田さんは旧陸軍少尉で終戦後もフィリピンのルバング島に残り、1974年にようやく投降し、日本に戻ってきた。その後ブラジルに渡って元気に暮らされているようだ。当時やその後の報道をあまり詳しく見ていなかったために僕が知らなかっただけかもしれないが、この対談を読むと小野田さんは決して浦島太郎のような状況ではなかったようだ。ラジオを手に入れたりして、相当に現実の状況を把握していたらしい。(じゃあ何故、いつまでも隠れ続けたのかという点はやや矛盾しているような気がするのだが。。)

小野田さんは実は科学少年だったらしく、薬品の取り扱い方などにも精通し、銃弾の火薬を取り出して天日乾燥し、密閉保管していたり、縫い針を焼入れして自作したりと、ジャングルでのサバイバルのための様々な工夫をするための基礎知識を持っていたようだし、だからこそ生き抜くことができたということらしい。

また、ラジオ、テレビ、ジェットエンジンなどについての知識も持っていて、夜空を眺めて人工衛星が飛んでいることを理解していたり、ラジオで日本の短波放送を聴いて、新幹線の開業や大阪万博のことを知ったり、競馬中継を聴いて楽しんだりもしていたらしい。。 抱いていたイメージとのギャップに驚かされる話ばかりである。 で、今は子どもたちのために小野田自然塾というのを開校しているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/03/24

「これからの技術者」

タイトルに惹かれて購入してしまったが、まえがきを読むと本書は主として理工系の大学生をターゲットとして、どんな技術者を目指すべきなのか、そのためにはどのようにレベルアップしていけばいいのか、といったことを書いた本のようである。でも、実際には現在の日本や世界の技術者を巡る情勢がどうなっていて、今後どうなっていくのか、といったことについてもコンパクトにまとまっており、既存の技術者にとっても知っておいて損はない内容が詰まっている。

オーム社
 これからの技術者 -世界に羽ばたくプロを目指して-
 大橋 秀雄 著 bk1amazon

著者は、日本技術者教育認定機構の現会長である。日本技術者教育認定機構とは聞きなれないが、JABEEと言えば聞いたことがあるかもしれない。今後の技術者について語るには、まずはこの辺のところから知っておく必要があるが、簡単に言えば、国際化の流れの中で、適切な技術者教育プログラムを認定し、そのコースの修了生は技術士1次試験が免除になるというものである。最終的には、技術士の資格を有する技術者をある程度多量に輩出しようという狙いがあるようだ。著者のホームページの最近の印刷物というページには、本書のエッセンスに通じる資料がいくつか掲載されている。

技術者といっても、非常に幅が広く実態は千差万別だと思うが、いずれにしても職業としての技術者はこの社会のありとあらゆる分野(インフラから日用品まで)に深く関わっている。しかし、一部の法定有資格作業を除くと、大部分の仕事は誰でもやれるし、実際にやっている。でも、最近の倫理に関する問題などを見ると、技術者が社会に対して責任を持った職業であるという観点から技術者側が変わっていく必要があるようにも思える。

本書では、科学技術創造立国を目指すという国の方針や国際的に通用する技術者のニーズを踏まえ、JABEEの流れの延長として、技術士資格がこれからの技術者が保有するべき資格であると述べている。技術士というと、Wikipediaでは問題点が色々と指摘されているが、それでも幅広い技術分野のそれぞれの部門について、国が一流の技術者と認定する資格であり、かなりの難関資格として(一部では)知られている。

従来は、技術コンサルタントとして独立開業する人の看板という意味合いや、企業の技術者がリタイアした後に取得する称号的な意味合いが大きかったのだが、最近大きく方向転換がなされ、社会に対して責任のある科学技術分野の仕事を適切に実施できる技術者として国が認定する、いわゆるプロの技術者の認定資格という位置付けを目指している。(Consulting Engineer から Professional Engineer へ)

本書で面白かった指摘として、昔は大学はほんの一部のエリートが進むところであり、研究者の養成機関という意味合いが強かったが、今では大学進学率が40%以上になり、研究者の養成よりは社会人の養成という意味合いが強くなったということ。その結果、工学部も工学という学問を究める部ではなく、工を学ぶ学部という位置付けに変わったと言えるようだ。 また、Engineering と Engineering Science と Technology の違いに歴史的な経緯を踏まえて突っ込んでいる部分などもなかなか興味深い。そう言えば、僕の出身大学の名前には Technology が含まれているけど、学部名は Engineering になっている。今まで何も考えたことがなかったけれど、実は中々奧が深い問題だったのだなあ。

本書の主張は、従来型の技術者として歩んできた僕には非常に新鮮に思えるけど、これが本当にこれからの主流の考え方になるのかどうかはまだまだ未知数だ。技術者と呼べそうな人は日本に250万人程度いるらしいのだが、その中で技術士は約5万6千人しかいない。たった 2%強である。これがせめて今の5~10倍程度まで増えてこないと、技術士なんて資格があることが世の中に知られないだろうし、社会から認知されなければ敢えて受験する人も増えては来ないだろう。(ちなみに医師は約26万人、歯科医師は約9万人、建築士は約30万人いるそうだ。)

ただし既にJABEE制度は動き始めており、今後はJABEE修了生から技術士になる人がそれなりに多数出てくることが予想される。そうなった時に、従来からの技術者の立場は色々な面でやや微妙となることも考えられる。本書の主張はなかなか論理的で、説得力があり魅力的に写るのだが、一方で理想的な姿を描いたに過ぎないという面もあり、現実にはいくつものハードルが待っていそうだ。。 それでも、ともかく「古い」技術者にとっては目からウロコとなる発見の多い本だと思う。

ところで、本当に大学の現場は「プロの技術者養成」という意識に変わったのだろうか? 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/10

「ソフトランディングの科学」

比較的売れているようで、硬めの本の割には書店でも平積みになっているようだ。タイトルの「ソフトランディング」とは軟着陸のこと。このままでは今の大量生産大量消費をベースとした我々の文明社会はいずれ破綻してしまう。著者が自ら実践する省エネ生活の実態を紹介しながら、その破綻の影響を少しでも小さくするソフトランディングの方法論を展開するという試みらしい。難しそうなテーマだと思うが、著名な物理学者である著者がどのようにこのテーマを料理するのか、なかなか興味がある。

七つ森書館
 ゆっくり、時間を長く ソフトランディングの科学
 池内 了 著 bk1amazon

実は著者の本としては、以前「私のエネルギー論」(bk1amazon)を読んだことがある。しかし、自分で実践している省エネルギー生活を紹介する分にはいいのだけど、それが「エネルギー論」として語られると随所に違和感が残り、正直に言うとあまり印象がよくなかった。今度こそはと(本の価格も高いことだし)期待を込めて読んだのだが。。

読後感としては「うーん、お金返してぇ」というところか。。。 そもそもこの本のどこが「科学」なんだか分からない。確かに、著者が自ら実践している省資源・省エネルギーの生活は素晴らしいと思うし、見習いたいとも思うのだが、そんな体験談を読むために買ったわけじゃないのだ。こちらは物理学者が論ずる「ソフトランディングの科学」を期待して買ったのに、冷暖房は極力控えめにして夏は暑さを冬は寒さを我慢しようとか、無駄なモノを買うのはやめて長く使い続けようという、ありがちな提案をされてもなあ。。。 こんなケチケチ生活は何だか全然夢がないし楽しくなさそうだ。おもしろいところでは、

クーラーがないことに慣れてしまえば、案外平気なものである。(扇子や団扇も使わない。それを振ることによる体温上昇の方が高いから、エネルギーを余分に使うことになってかえって暑くなると思うからだ。)(p.177)
なんて書いてあるけど、ウチワって本当に逆効果なんだろうか? 物理学者の言うことだから信じた方がいいのかなあ。。

こういうのは、一個人の信念としてはそれでいいのかもしれないけど、皆がそんな生活を始めたら世の中がどうなってしまうのか?なんてことはほとんど考察されていないようだ。少し考えても、これだと経済が破綻してしまうのではないかと思うのだが、それも十分にハードランディングなシナリオのような気がする。。 本書では、我々はもっと長いタイムスケールで物事を判断すべきだ、と主張しているのだが、その前に、もっと広い視野で日本全体や地球全体の人間社会がどうあれば持続可能なのか?ということも考えて欲しかったような気もする。

確かに地球の環境容量の限界を考えると、人類は今より遥かに慎ましく生きていかなくてはならないというのは一つの答えなのだろうけど、他の答えはないのか、あるいはそこに至るソフトランディングの道筋が、本当に徹底的な省資源・省エネルギー生活しかありえないのか、「科学」と名付けた以上はもっと論理的に詰めて欲しかった。京都議定書対応で数%の省エネを目標としたのに、経済的な悪影響が大きいという理由でちっとも進まない現状をどう考えているのかわからないが、本書のような提案では「これだから世の中を知らない学者さんの言うことはねえ」と言われてしまいそうだ。。

もちろん本書でも太陽電池や風力発電などのエネルギー源をもっと増やすことや、大規模一極集中型から小規模広域分散型とすることなどの提言もされているし、真に持続可能な社会は地下資源の消費に依存しないものだということなど、ある程度全体像についても述べられている。でも、それを実現した社会の姿がもう一つ具体的に見えてこない。(一体その社会では人々は何をして暮らしているんだろう?) 結局、ソフトランディングの行き先が明示されていないということが一番の問題のようだ。。。 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/02/28

「人間は遺伝か環境か? 遺伝的プログラム論」

この手のタイトルの本が多く出回っているような気がする。そんなにこの2元論的な問いが幅を利かせているのだろうか? 以前、「やわらかな遺伝子」という本を読んで、ここでも紹介したのだが、そこでは、遺伝と環境のどちらか一方ではなく、その両者が互いに影響しあっているのだ、というような結論だったと思う。帯(というにはでかくて、本の半分以上を覆っているが)には、でかでかと「我々の人生を決めているのは結局のところ何なのだろう?」と書かれている。

文春新書 485
 人間は遺伝か環境か? 遺伝的プログラム論
 日高 敏隆 著 bk1amazon

当然のことながら、本書でも遺伝か環境かという二者択一ではなく、両者が共に係わり合うのであるということなのだが、それを遺伝的プログラムという概念で説明している。このあたりの説明は、お得意の動物行動学の実験結果を豊富に織り交ぜて、とてもわかりやすいし、へーと言いたくなる様なエピソードも幾つかあって楽しめる。

次に、日高さんは人類の特殊性に触れたのち、何故か教育論を展開していくのだが、これがちょっと変てこというか怪しさを感じさせる論理である。まず、人間が他の動物と大きく違っていたのは、100人、200人規模の大きな集団で行動していたことがキーであったのだろうという仮説を提示した後(p.69)、

性別も年齢も違い、そしてキャラクターも違う多くの人々は、皆、それぞれに違う振る舞いをしている。それは全体としてみれば人間という種の動物のやっていることであるが、その多様性は驚くほどである。そしてこの多様性もまた人間の特徴にほかならない。それぞれの子どもは大集団の中の多様な人々の思い思いの振る舞いを絶えず間近に見ることによって、社会生活に必要なさまざまなことを学び取っていくのである。(p.73)
と見てきたかのような話をする。さらに、現在のように数人単位の小さな家族の中で育ったり、学校のような同年齢の子どもたちの集団の中での教育では、多種多様な人々が一緒に暮らす大集団の言動から自然に学ぶ貴重な機会が失われてしまい、
結果的にどういうことになったかと言えば、かつてみんなが自然に学んでようなことが、ほとんど学習できなくなってしまったのである。つまり、石器時代の人々がごく自然な形で具体化していた遺伝的プログラムを、文明の進んだ現在ではほとんど具体化できなくなっているということなのだ。これは大変大きな問題ではないだろうか。(p.80)
と展開するのである。で、面白いのは、これが書かれている章のサブタイトルが「最近問題化している子どものしつけやコミュニケーション能力の欠如の原因を考える。」であるということ。。 うーむ、さすがにスケールが違うというか、日高さんの「最近」てのは一体いつからなんだろう?? 今の教育の問題点を、戦前の教育や戦後から高度成長時代の教育と比較した議論は良く聞くけど、石器時代と比べて今の教育の問題を語るというのは何とも壮大ではないか! で、現代においてどういう教育をすればいいのかというと、それについては残念ながら何も書かれていないみたいだ。。

実はこの本の一番の見所は、(おまけとして?)末尾に約30ページを費やして掲載されている、著者と佐倉統さんの対談かもしれない。案の定、佐倉さんは日高さんの持論の違和感をやんわりと指摘したりするのだが、それを日高さんが受け流しているような、すれ違っているような、微妙な雰囲気で進む対談はなかなか読み応えがある。

ちなみに、この書評では何故かインテリジェントデザイン論と本書が同じ発想であると指摘している。いくら世界日報の書評とはいえ、これはひどくないか? 日高さんの名誉のために言っておくけど、本書にはインテリジェントデザインの話なんか全く出てこないし、訳の分からない知性の存在を認めたりしている部分も全くない、はず。 ん? もしかしてこの書評の人は、遺伝的プログラムを書いたのが「インテリジェント」な存在だと理解したのだろうか? だとしたら全くの誤解だ。。 本書でもそんな誤解を受けることを恐れて

すでに繰り返し述べてきたように、遺伝的プログラムは人がつくったのではなくて、遺伝的にできたものである。生物のひとつの種ができたとき、それとともにできたものなのだ。

どのようにしてできたのか、それはわからない。われわれにわかるのは、遺伝的プログラムがその生物の生き方にじつにうまく合致しているということだけである。(p.133)

と書いてあるのにね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/22

「フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。」

確定申告のシーズンである。このブログを読む方で、個人事業主として確定申告する必要がある方がどれだけいるのかわからないが、僕も確定申告の対象者なのである。昨年の確定申告では収入も少なかったので、必要経費の計算も大雑把なところだけで十分に税金の還付を受けられたのだが、今年は少しは頑張って計算する必要がある。ということで、書店の税金コーナーを探していて見つけたのが本書。何とも長いタイトルの本である。帯には「フリーランスの著者と話のわかる税理士による“目からウロコ”の税金講座」とある。

日本実業出版社
 フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。
 きたみ りゅうじ 著 bk1amazon

フリーランス(個人事業主)の確定申告に関する情報は、インターネットにもAll About Japanなどがあり、個々の具体的な点についての対処方法などは調べればある程度はわかるのだが、根本的な考え方がどうもわかりにくいように感じる、というか、本当に知りたいことが何故か載っていないというようなもどかしさがある。また、通常の書籍や雑誌に載っている情報は建前的だし、何故そうしなくてはいけないのか、というような疑問点については答えてくれないものが多いようだ。

本書は、著者と匿名税理士の対話形式。著者がイラストレーターということで、4コマまんがも豊富に掲載されているし、有益で本当に知りたい情報が楽しく手に入る。特に税理士のセンセイが匿名を条件に、グレイゾーンにまで踏み込んだ節税対策を述べているため、「なるほど」と納得させられる場面が実に多い。逆に、日々の実際の帳簿の付け方などの実務的な部分に関しては不十分だけど、それは必要に応じて他の本で勉強すれば良いだろう。

特に、事業税や消費税についてのところは良く知らなかったので参考になった。例えば事業税は業種によって税率が決められており、同じような仕事をしていても業種が「デザイン業」だと税率5%となるのだが、「文筆業」だと無税となる、というような驚くべき事実が公開されていたりする。

また、個人が原稿を書いたり、コンサルティングをしたりといった、物の売買に直接関わらない仕事を行って収入を得た場合でも、これは消費税の対象となるので、最初の契約時にクライアントに対してきちんと消費税分を要求するべきである、などということも知らなかった。

他にも、必要経費には領収書が必要かと思いきや、明細が掲載されている点でレシートにも利点があり、きちんと整理するならばレシートで十分とあるとか、勘定科目は特に決まりはないので自分の都合に合わせて自由に設定して構わないなど、他の本ではなかなか得られない情報が満載である。さらに、ご丁寧にも税務調査の実態まで紹介してくれており、申告した内容に問題があった場合の対処法なども書かれていて、実にうれしい。

また、青色申告は敷居が高いと思っていたけど、白色申告を行うためにわざわざ手間を掛けるくらいなら、もう少し頑張って青色申告にすることで多くのメリットが得られるのだから、是が非でもチャレンジすべきということがわかった。まあ、今はパソコンで必要な帳簿を自動的に作成してくれることだし、今年の申告分は間に合わないけど、次からは青色申告にしよう。

ということで、先日無事に申告書類一式を持って税務署に行き、確定申告書の提出をし、さらに青色申告の申請をしてきた。青色申告会のおじさんが親切に説明してくれたけど、入会を強制されることもなかったし。ついでに、商業簿記3級のテキストを買ってきて、複式簿記の基礎をサラッと勉強してるところ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/02/15

「宇宙怪人しまりす 医療統計を学ぶ」

何とも変なタイトルの本を見つけてしまった。しかも岩波科学ライブラリーである。パラパラッとめくってみると、「しまりす」と「先生」の対話形式で、全体的に漢字が少ないようだし、イラストも入っているし、かなり読みやすそうだ。これってもしかして中学生向け? と思ったのだが、あとがきには、

できるだけ多くの、高校生、大学生のみなさんに「へーっ、医療統計っておもしろいんだ」ということをしってほしいですし、もし万が一ひょっとして医療統計を研究してみたいと興味を持った方は、先生の研究室のホームページ(http://www.kbs.med.kyoto-u.ac.jp/)をのぞいてみてください。
と書かれている。

岩波科学ライブラリー 114
 宇宙怪人しまりす 医療統計を学ぶ
 佐藤 俊哉 著 bk1amazon

本書は、高度な文明を持ち、病気が存在しない「りすりす星」に住む宇宙人が、地球を征服することをたくらむところから始まる。征服後に効率的に地球を統治するためには地球人の病気を管理する必要があることから、疫学や医療統計学を学ぼうと「りすりす星」から一人(?)の学生「しまりす君」が京都の大学にやって来て、勉強するという話である。ってどんな話なんだか?

医療統計の入門書なのかもしれないが、統計の基礎(平均とか偏差とか)の説明は一切ない。最初に先生がしまりす君に次の問題を出す。

第1問 率はどれでしょう?
 1)打率
 2)離婚率
 3)死亡率
 4)有病率
しまりす君がうまく答えられないのを見て、次に、比と割合と率の違いをいってみてください、と問いかける。答えがわかるだろうか? 医療統計の世界では、比と割合と率はきちんと区別して使われるようだ。英語では、それぞれ ratio、proportion、rate に相当するらしい。少なくとも僕は今まで、このような明確な区別を習ったことはないように思う。比と割合の違いは何となくわかるのだが、割合と率は使い分けていないように思う。

例えば、死亡率と死亡割合は異なる概念を説明する用語として使い分けられていて、定義を知らないと困るわけだ。まあ、説明されれば、なるほどそうかな、と納得できる定義ではあるのだけど。。

時には、しまりす君が薬の効き目を調べるためにタイムマシンを使って過去に戻ってみたりしながら、そんなことをしなくても医療統計によって推定する方法を学んだりするのも、面白い趣向である。

それやこれやで、本書の前半は比較的平易な内容で、説明も丁寧なのでよくわかるのだが、後半はあっさりと説明されているものの、いつの間にか相当高いレベルの話になっているような気がする。ところが、しまりす君はさすがに高度な文明の星の大学生だけあって、かなり鋭い理解力を持っているようだ。読みやすい文体とも相まって、何となくすっきりと理解した気にさせられるのだが、油断大敵である。後で思い返すと実はあまり理解できていなかったりするのだ。それもそのはず、Amazon.co.jp のレビューによると、実は医療統計学の分野の最先端領域にも触れられているらしい。

惜しむらくは、ちょっと中途半端ということだろうか。本書は120ページ弱と薄いし、説明が平易な文章で行われていることもあって、正直に言って中身が少ない。そのため、入門書としては面白いと思うが、この本で医療統計を理解しようと思ったら間違いだろう。恐らくは、まともな教科書や参考書で勉強しながら、この本を副読本とするような読み方がいいのかもしれない。

統計というと普通は数式が沢山出てくるけど、本書は難しい内容を数式も使わずに、実にわかりやすく説明している。ここまで噛み砕いて説明できるということは実はすごいことなのだろうと思うし、かなり大変だっただろうと思う。せっかくだから宇宙怪人しまりすシリーズの続編を期待したいところだ。

それにしても、何故「しまりす君」が「宇宙怪人」なのかは疑問のままだ。 っていうか宇宙怪人って普通の(?)宇宙人とはどこが違うのだろうか? 

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2006/02/09

「視覚世界の謎に迫る」

本書は「見る」ということはどういうことなのかを深く追求した本なのだが、主として眼から入ってきた光信号が脳に伝わった後に、脳の中でどのように認識されるのか、という部分に着目したもので、視覚に関するソフトウエアについて書かれたものである。僕自身は幸いにも見るということに関して特に大きな障害もなく、今までこんなことは深く考えたこともなかったのだが、本書には沢山の驚くべき事実や実験結果が詰まっており、実に興味深く読み進めることができた。

ブルーバックス B1501
 視覚世界の謎に迫る 脳と視覚の実験心理学
 山口 真美 著 bk1amazon

著者の専門は脳科学ではなく心理学に近い分野のようだ。本書では、主として人がどうやって眼からの信号を処理し3次元世界を認識しているのかといったことを、動物や赤ちゃんを対象として行った実験や、眼や脳に障害を持った人の事例などを通して明らかにしていく。

例えばカメラからの画像信号をコンピュータで処理して、人間が普段無意識に行っているような各種認識(物の形、距離、大きさ、動き、速度などなど)を可能とするようなプログラムを組むことを考えてみると、人間の脳が行っている画像認識というプロセスが非常に高度な処理を高速に行っているであろうことに気付かされる。

本書では、これらの処理は必ずしも生まれ付きできるわけではなく、人間の成長過程で一つずつ経験を積みながら身につけていくものが多いということを明らかにしてくれる。残念なことに、自分自身が赤ん坊の頃に、世界がどう見えていて、成長と共に視覚やその認識力がどう変化してきたのか、という点について全く記憶が残っていないのだが、乳児や幼児が見ている世界は大人が見ている世界とは思った以上に異なっているようだ。

なかなか面白いのは、そのように視覚が十分に発達していない乳児でも、絵画の遠近法を使って描かれた図形を見て遠近感を感じ取れるようになるのか? なんてことを実際に実験をしながら調べていくのだが、まだ意志表示がうまくできない赤ん坊が実際にどんな世界を見ているのかを明らかにするために、さまざまな工夫が凝らされている。本書では具体的な実験方法の詳細にはあまり触れられていないのだが、有効な実験方法を見つける段階が相当に大きなブレークスルーとなりそうだ。

他にも多くの興味深い例が出てくるのだが、視覚世界の話であり、こうして文章で説明するのは非常に難しい。本書のまえがきには、著者のホームページのデモンストレーションを見て欲しいと書かれているのだが、ちょっと専門的過ぎて解説がないと理解はむずかしそうだ。本書の内容の一部だけではあるが、顔の認識に関しては、森山さんのNetScience Interview Mailで紹介されているようだ。

顔の認識で出てくる面白い話としては、人間は人の顔の認識をかなり特殊な方法で行っているらしく、例えばサッチャー錯視なんていうのがある。興味深いことに、犬のブリーダーは似たような多くの犬を一目で識別できるのだが、そのためか彼らの場合には犬の全体像に関してもサッチャー錯視と同様の現象が起こるのだそうだ。これらのことから、似たような多くのものを素早く識別するために、ヒトが頭の中で行っている識別処理の方法を推定することができたりするわけだ。

人間の脳の情報処理のすごさを再認識すると共に、自分では全く意識していないけど、この能力が赤ん坊のときから少しずつ経験を積んで作り上げてきたかなり微妙なものであるらしい。自分が世の中を普通に認識できる視覚を持っていることを改めて感謝したい気分にさせられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/01/24

『「白い光」のイノベーション』

サブタイトルは「ガス灯・電球・蛍光灯・発光ダイオード」で、主として産業革命以降の照明技術の進歩を技術史として語る本である。帯には「人と明かりの50万年、太陽の光にできるだけ近い無色透明な光を手に入れるために人類が積み重ねてきた創意工夫と試行錯誤」とあり、なんと50万年前にまでさかのぼってしまうらしい。

朝日選書 790
 「白い光」のイノベーション ガス灯・電球・蛍光灯・発光ダイオード
 宮原 諄二 著 bk1amazon

第1話では、本書を通して流れる主題の一つである「白い光」とは何かについて、物理学および生物学の面から解説し、第2話では、人類の文明の歴史を追いかけ、明かりの役割や変遷について概観している。そして、第3話以降は、サブタイトルにあるそれぞれの照明技術について詳しく述べるという構成となっている。

全体として、かなりすっきりと読み終えることができた。ともかくとても読みやすい本である。何よりも著者の主張したいことがきちんと整理されており、それぞれの時代背景を含めて非常にすっきりと頭に入る点がありがたい。

さて、本書は「白い光」を追い求めて発展してきた、照明技術の変遷を解説するという側面と同時に、照明を例にして、新しい技術がどのように開発され浸透したのか、というイノベーションやパラダイムシフトについての著者の論説となっている。

確かに、ガス灯、電球、蛍光灯、発光ダイオードというのは、実用化された時間の順番に並んでいるけど、技術的には決して連続したものではなく、それぞれが全く別の原理で光を放つものである。ということで、例えばガス灯から電球へ、電球から蛍光灯へ、という移り変わりの時期には、技術的に大きな飛躍が起こっており、この段階の開発の経緯を詳しく見ることで、それぞれのイノベーションがどのように起こったのかを知り、そこから多くのことを学ぼうという趣向である。

ガス灯が実用化される段階では「原料のくびき」が足かせとなり、白熱電球が実用化される段階では古い技術の最後の輝き「帆船効果」との闘いがあり、蛍光灯の実用化段階では大企業の研究所によって「リニアモデル」による開発が進められ、そして白色発光ダイオードの開発では「辺境効果」により日亜化学が勝者となった、という具合である。

著者のものの見方が絶対的なものとは思わないが、なかなか説得力のある説明であり、勉強になった。他にも、インベンションは必ずしもイノベーションにはつながらないことや、セレンディピティの話、あるいはエジソンが決して純粋な発明家ではなく、優秀な技術開発者であると同時に先進的な起業家であった話や、初期の蛍光灯開発競争の様子などの興味深い話が満載である。

ということで、本書は個別の照明技術、およびその変遷について興味のある人はもちろん、より一般的な技術イノベーションについて考えたい人にもお勧めしたい。特に、いわゆる企業の製品企画や研究企画部門の副読本として、若い研究者などが、今自分が行っている仕事が全体の中でどんな位置付けにあるのか、なんてことを考えながら読むと良いかもしれない。

敢えて難を言えば、本書の特に化学面の記述で、いくつかの間違いや不具合が見られることだろうか。

 ・p.94他の何ヶ所かで、希土類元素のNdを「ネオジウム」、Prを「プラセオジウム」と表記しているが、正しくはそれぞれ「ネオジム」「プラセオジム」である。これはかなりよく見られる間違いではあるのだが、やはりこの手の本では正しく表記して欲しい。ちなみに英語では "Praseodymium"、"Neodymium"となる。

 ・p.97に「ブンゼンとキルヒホフは1860年には希土類元素のセシウムを、1861年にはルビジウムを発見している。」とあるが、どちらもアルカリ金属元素であり、希土類元素ではない。セリウムとセシウムを取り違えたのだろうか?

 ・付録として巻末に掲載されている周期表が、「IA属、IIA属、IIIA属、・・・」と表記されているかなり古いタイプの周期表である。現在は1族から18族までの数字で表すことになっている。例えば文部科学省の一家に1枚周期表のようなタイプである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/12/22

「地球の内部で何が起こっているのか?」

光文社新書のラインナップとしてはちょっと異色な印象の本だが、現役の研究者が地球科学の基礎から最新事情までを紹介したとてもまじめな内容である。このブログでも 8/2に紹介したマントルまで掘り進む船「ちきゅう」のことや、それを使ってやろうとしている研究内容の紹介もされている。

光文社新書 214
 地球の内部で何が起こっているのか?
 平 朝彦、徐 垣、末廣 潔、木下 肇 著 bk1amazon

前半は、プレートテクトニクスの話や、地球の歴史の話についてわかりやすく解説されている。また、どうやってそういう地球観が得られたのか、というストーリーも織り交ぜ、科学の面白さも伝わってくる。断片的にはテレビなどで知っていたけど、何しろ「地学」を学校で学んだのは数十年も前のことになるので、最新の考え方をコンパクトにまとめてあって、ありがたい。

一方、後半は最新の掘削船「ちきゅう」についてや、これを使った掘削の計画について語られている。関係する研究者が寄せたコメントが数多く紹介され、正に現在進行中のプロジェクトについて、さまざまな面から説明されている。ところが、この後半部分はどうも今一つまらない。どんな読者を想定して書かれたのかが不鮮明な印象で、技術的な解説も中途半端だし、これを使って得られる将来像についてもどうもピンと来ない。

前半部がとてもわかりやすくて面白かっただけに、後半もその調子で、素人を対象として、海底の掘削というのがどういう技術で、一つ一つの課題をどうやって解決し、どういう情報から何がわかるのか、といったことをもっと丁寧に語って欲しかったのだが。。

そもそも、どうやって海底深くの地層を数千メートルも削り取って来れるのか、という根本的な技術の部分が、どうもうまくイメージできない。特に、従来の技術の壁となっていたものを、「ちきゅう」ではどうやって乗り越えたのか、というような点がよくわからない。この辺は、JAMSTECの 地球深部探査船「ちきゅう」のサイトあたりを読んだ方が図が多いこともあってわかりやすい。

やっぱり、こういう最先端の部分については、科学者自身が語るのでは限界があって、「メタルカラーの時代」のように「プロの素人」が突っ込まないと、わかりやすくならないのかもしれない。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/12/13

「コクと旨味の秘密」

帯には「科学の目で探検する『美味しさの世界』」とある。実は少し前に購入したのだが、味に関する話は難しそうで、読まずに置いてあった本。読み始めてみたら、なかなか面白くて、あっと言う間に読み終わった。「コク」は、科学で扱うには漠然としすぎているテーマだと思うし、そのせいもあって科学書としては突っ込みが浅く、どうかと思う面もあるのだが、読み物としてみれば、論理展開もわかりやすいく、役に立ちそうな雑学知識も豊富でお勧めだ。

新潮新書
 コクと旨味の秘密
 伏木 亨 著 bk1amazon

「コク」という極めて曖昧な用語について、その正体は何者で、それが食生活や文化にどう関わっているのかについて解きほぐそうという、ある意味ではとても壮大な挑戦である。ビール、日本酒、コーヒーなどの飲料における「コク」や、和洋中の各料理における「コク」など、全く別のカテゴリーのものを一括して取り扱おうというのもすごいが、さらには音楽や演技などの文化的な意味での「コク」までを守備範囲にしようというのだから、面白い試みである。

その「コク」の正体について、本書では3層構造をしていると説明している。第1層がいわばコク本体そのもので、ここではそれを「コアーのコク」と呼び、その正体は油、糖、ダシの3つの成分とのこと。第2層は、食感や香りなど、コアーのコクのおいしさを倍増させる役目をするものであり、第3層には、さらに抽象的で文化的な要素が存在しているとしている。コクをこのような3層構造と定義することで、カテゴリーの異なる食料や飲料だけでなく、食文化やさらには文化一般にまでコクという概念を拡張できるという、それなりになかなか興味深い論考となっている。

そもそも、コクの本体は油分と糖分とダシ成分であるという説の説明部分では、ネズミを使った実験が紹介されており、これがまた面白い。まず、ネズミにドライタイプとモルトタイプのビールを選ばせると、モルトタイプを選ぶことから、彼らもコクを好むらしいという興味深い結果が紹介される。さらに、ネズミは、油分、糖分、ダシについてはやみつきになるのだが、塩分などは必要に応じて摂取するが決してやみつきにはならないという実験結果から、これら3成分は生存本能に訴えかける性質を持っていて、それこそがコクの正体なのだ、と論理展開する。実際にはこの結論に至るまでに、世界各国のさまざまな食品の旨さの正体や、美味しさについての研究成果なども紹介され、結構説得力がある。

でも、よく考えてみるとネズミがこれらの物質にコクを感じているのかどうかは不明だし、ネズミと人間が同じものをコクと感じる必然性もないだろう。。 ネズミが食べるのを止められなくなる成分が人間にとってのコクである、と結論づけるのは強引すぎないか? 実は本書の前半では、コクというのは、単一の成分ではなく、多くの成分が複雑に混ざり合ったものだろうと述べていて、こちらの説明は納得できるのだが、これとコクの3成分の関係が今一スッキリ来ない。

実際には、もともと「コク」という用語が漠然としているので、そのままではどうやっても皆が納得できるような科学的な定義のしようがないわけで、ここではとりあえずこのように定義してみた、と理解しておいたほうがよいのかもしれない。

それでも本書は、「コク」というキーワードでいろんな料理や食文化を説明しようという試みとしては大成功だろうと思う。たとえば、子どもは濃くて単純な味が好きだけど、大人になると微妙な味やあっさりした味を好きになるという傾向や、鰹ダシをうまいと感じる日本人に特有の味覚は、どのように子どもに受け継がれていくのかなども、ネズミでの実験を交えてとてもわかりやすく説明されている。

味覚の存在意義は、もともとは生きていくために必要なものと有害なものを識別するという役目だったのだろうけれど、現代の人間にとっては、触覚や嗅覚、さらには想像力とか過去の経験や学習までを動員した総合的な感覚であり、だからこそ食は文化となるのだろうと、何となく納得させられる本である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/12/02

「わくわくする大科学の創造主」

「メタルカラーの時代」の文庫版シリーズの第11巻。このシリーズは結構お気に入りで、今までも、第6巻「ロケットと深海艇の挑戦者」、第7巻「デジタル維新の一番走者」、第9巻『「壊れぬ技術」のメダリスト』、第10巻「猛速度こそ我が人生」を紹介している。

小学館文庫
 文庫版 メタルカラーの時代 11
 わくわくする大科学の創造主
 山根 一眞 著 bk1amazon

今回は、15本のストーリーのうち、6本が「すばる望遠鏡」の話で、5本が北海道の「無重力実験施設」の話である。すばる望遠鏡は、NHKなどでも何度か取り上げられたこともあり、多少は予備知識があったのだが、無重力実験施設の方は、相当地味な施設のようで、実は全く知らなかった。残りの4本は、衛星画像解析、熱帯降雨観測衛星、宇宙太陽光発電所、超高感度TVカメラの話で、宇宙太陽光発電所だけ、実用化という点でちょっとレベルの異なる話と言えそうだが、全体としては、日本も基礎分野でここまで頑張っているぞ、という話を集めている。

すばるに関する話で一番驚いたのは、反射望遠鏡の直径8.2mの主鏡は、特殊なガラス表面にアルミニウムを真空蒸着したものなのだが、汚れなどによる性能低下に対応するために年に1度程度、この表面の蒸着を溶かして除去し、再度現地(!)で蒸着し直しているということ。そのための真空チャンバが望遠鏡の下部にあって、そこで作業が行われるというからすごい。

他に興味深かった話としては、すばるが置かれているハワイのマウナケア山には多くの国の天文台が集まっているのだが、そうなった経緯。1960年代に、当時の現地の主産業の一つであるサトウキビ栽培が不振になったとき、日系人の一人が天文台を誘致することを思いつき、それで町おこしをしようとしたのが発端らしい。実現するまでにかなりの紆余曲折があったようだけど、粘り強く働きかけた結果、今やここには12カ国、13基の観測施設が置かれ、天文観測のメッカとなっているのだから面白い。

一方の、無重力実験施設の話は、内容を全く知らなかったので、すべての話がとても面白かった。昔の炭鉱跡を改造して、深さ710mの真っ直ぐな穴を作り、実験設備を入れたカプセルをここから自然落下させ、約10秒間の無重力状態を作るというもの。これだけの時間、無重力状態を作れる設備は世界にただ一つ。たった10秒で何がわかるの?という気がしてしまうのだが、あのNASAでさえも、わざわざ使わせてもらっているとのことで、貴重な施設のようだ。

あまり知られていないし、宣伝もしていないようで、公式ホームページ?も随分そっけないが、長崎大学のサイトでもう少し親切な説明が見つかった。

最大速度は時速360kmにもなるのだが、この穴の中は真空ではないので空気抵抗があり、このままでは無重力状態とはならない。そのため、圧縮空気のジェットを上向きに噴射して空気抵抗分を相殺するように加速している。このための速度制御や、この状態から無事に停止させるためのブレーキ技術、さらには高速移動中のリアルタイム通信技術などが、この実験設備のために、それぞれ独自に開発されたというのもすごい。

考えてみると、望遠鏡とか無重力実験施設の話が面白いのは、世界の最先端レベルの技術でありながら、やっている内容がわかりやすい点にあるのではなかろうか? 超高感度TVカメラの話などは、いろいろと説明されているようでいて、実際にどんな技術をどのように開発したのかがどうもピンと来ない。多分、山根さんも詳細にはわかっていないのだろうから仕方ないのかもしれないが。。 それに比べて、「すばる」は結局のところ光学望遠鏡だし、無重力施設もニュートン力学の世界だ。どんなに大きくなったり、速くなっても、山根さんも僕らも、その基本的な部分は理解できるし、だからこそ、そのすごさも想像できるし、わくわくするんじゃなかろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/11/09

「議論のウソ」

最近、「食品報道のウソを見破る」、「数字のホント?ウソ!」、「世間のウソ」というようなタイトルの本を読んだのだが、またまたカタカナの「ウソ」がタイトルに入った本である。漢字の「嘘」とはニュアンスが違うと言われれば、そうかもしれないが、出版社が積極的に使用する際には、何か使い分けのルールはあるのだろうか?

講談社 現代新書1806
 議論のウソ
 小笠原 喜康 著 bk1amazon

著者のホームページはこちら。専門は教育系で、「大学生のためのレポート・論文術」や「インターネット完全活用編 大学生のためのレポート・論文術」などの本を書いており、後者についてはこのブログでも初期に書評を書いている。

さて、本書は非常にシンプルな構成で

  第1章 統計のウソ  -ある朝の少年非行のニュース評論から
  第2章 権威のウソ  -「ゲーム脳の恐怖」から
  第3章 時間が作るウソ  -携帯電話の悪影響のうつりかわり
  第4章 ムード先行のウソ  -「ゆとり教育」批判から
  第5章 ウソとホントの境  -少し長い「あとがき」

となっている。1章から4章まではそれぞれ完全読み切りで、非常に明快な切り口で説明されている。世の中に氾濫している様々な議論や論調の中には、こういう典型的なウソが入り込んでいるかもしれないから、騙されないように心してかかれ、という教えとしてはもちろん有益なのだが、それにもまして面白いのが各論の部分。

統計のウソの章の、最近少年犯罪が増えており凶悪化している、という話は、統計データを恣意的に使う例として、どこか他でも見た記憶はあるのだが、こうやってまとまった形で読めるのはありがたい。ここでのポイントは、統計データに騙されないようにしようということの他に、複雑な事象を単純明快に理解しようと思っていると、落とし穴にはまるぞ、ということだろう。

権威のウソの章の「ゲーム脳」の話は、既に良識的な人たちからはダメダメの烙印を押されている「珍説」だと認識しているのだが、実は原文を読んだことがない。。 本書は、原文がどう「非論理的」であるかを具体的に容赦なく指摘しており、とても参考になる。権威に惑わされずに、論理展開をきちんと見極めて判断しなさい、ということだ。ただし、「ゲーム脳の恐怖」は比較的見破りやすそうだけど、もっと高級なテクニックを駆使して、科学の装いをされてしまうと、素人には見極めが困難となる場合もあるだろう。(科学と非科学の問題については、大阪大学の菊池さんのブログのここあたりの議論から目を通すと色々と考えさせられる。。)

時間が作るウソで取り扱っている、携帯電話の医療機器等への悪影響に関する考察も、議論の中身がとても興味深い。コトが下手すると人命にかかわるものだから、基準を安全側に設定する必要があるのだが、実験データの解釈まで恣意的に変えてしまうのはおかしいだろう、ということだ。特に、進歩の激しい分野では、以前の結果はあてにならない場合もあり、先入観を排除し、結論が変わることを恐れない姿勢が大切なようだ。ここの議論をみると、最近の携帯電話は、確かにほとんど悪影響を与えないレベルになっているようだ。(「ほとんど」というところが悩ましいわけだが。。)

ムード先行のウソについては、著者の専門領域だけに、他の3つよりも細かな議論が進められていて、学力をどう定義して、どう測定するかという問題や、そもそもどんな学力を身に付けるべきかといった点をきちんと議論せずに、「ゆとり教育」反対というイメージに流されている状況を一つ一つ明らかにしている。ここでも、結論としてゆとり教育が正しいのかどうか、ではなく論理の進め方が問題とされる。本書で扱っている他のウソでも同様だが、えてして結論がそこそこ許容できるものである場合に、途中の論理展開に手抜きやごまかしがあっても、何となく通用してしまう風潮があるのだが、それを見逃すことは、新たな問題を引き起こすことになりかねない。

この章では、例としてOECDによる各国学力調査の結果、日本の成績が低下したという報道を取り上げている。この学力調査で使われた数学や国語の問題が実に面白い。実例をここに1、2問紹介したかったのだが、ここに引用するのがはばかられるくらい文章量が多いのだ。しかも、読解力の問題などは、国語の問題と思いきやグラフを含む説明文の解釈が問われていて、どちらかというと科学論文を読む力が試されているという感じである。これでは確かに日本の普通の学校教育、少なくとも国語や数学といった既成の枠組みの成績とは対応しそうもない。

なお、本書で紹介されているものとは異なるが、2000年の問題例がOECD生徒の学習到達度調査の右上のリンク(問題例)から見ることができる。これは15歳を対象とした調査なのだが、この数学や科学的リテラシーの問題もなかなか面白い。

最後の章では、これらのまとめが書かれているかと思いきや、独自の理論展開が進められていて、何故か最後の結論が歯切れの悪い形で終わっている。。 ウソかホントかは簡単には決められない問題が多いことを指摘した上で、ある論理が正しいかどうかはその論理の立てられた立場に依存していること、従って立場が変われば答えが変わるので、各自が自分の立場を自覚して論理展開をすることが大切である、というような結論らしいのだが、今ひとつピンと来ない。。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/10/28

「食卓の安全学」

著者の松永和紀さんは、FOOD・SCIENCEという連載コラムを書かれているサイエンスライターで、元毎日新聞の記者。このブログでも過去に何度か松永さんの書かれた文章を参考にさせてもらっている。今回の本は、食にまつわる様々な話題について、比較的バランスよく突っ込んでおり、これ1冊でかなり広い範囲の基礎知識が得られるようになっている。

家の光協会
 「食品報道」のウソを見破る 食卓の安全学
 松永 和紀 著 bk1amazon

著者のホームページ、ワキラボには、参考文献リストというか参考文献サイトへのリンクが掲載されており、なるほどインターネット時代の書籍はこういうやり方もあるんだと感心させられる。。

なお、出版社の家の光協会だが、名前を見たときには、○○の家、◇◇の光 △△教会、という単語の連想から、怪しい宗教関係か? と思ったが、「家の光協会は、農業・農村文化の向上を目指すJA(農協)グループの出版・文化団体です」とのこと。知らなかった。。

冒頭で、みのもんたのTV番組でココアがコレステロール上昇を防ぐ効果があるというのを見た患者さんが、ココアを高カロリーの砂糖やミルクと一緒に沢山とるようになり、かえってコレステロールが上昇してしまい、お医者さんが大慌てしたというエピソードが紹介されている。そのときのお医者さんの言葉、「みのもんたと私のどちらを信じるんですか?」が、世間の状況をよく物語っている。TVで話題になるような健康情報には、複雑な現象の中のある一面だけを取り出したものや、効果があるとしても量的に考えて非現実的なもの、あるいは、そもそもの実験が怪しいものなども多いようだ。

本書では、BSE、環境ホルモン、残留農薬、遺伝子組換え食品などの実態をわかりやすく紹介し、マスコミ報道が一面的であることを紹介した後、いわゆる新聞の科学記事がどのように作られているのかの実態、さらには、その(怪しい)科学記事を正しく理解するために我々がとるべき方法が紹介されている。

中でも、著者の体験に基づいた、科学記事の作られ方はなかなか面白かった。確かに、日本の新聞の科学記事は欧米に比べても貧困だし、それを書く人たちも科学記事だけではやっていけない状況なのは想像がつく。しかも、最初に記者が書いた記事と、最終的に公開される文章との間に、何人もの担当者が入っているために、責任の所在が不明確になりやすい点も、なるほどである。

また、著者は敢えて「ナンチャッテ学者」という言葉を使って、非科学的なコメントを平気でマスコミに出したり、企業の広告塔になったりする学者を批判している。さすがに、固有名詞は出てこないが、こういうことを本に書くのは、日頃からいろいろな人への取材を必要としているジャーナリストとしては勇気のいることだったろうと思う。

科学記事を正しく見極めるための方法として、有名人のお墨付きには用心する、体験談は信用しない、動物実験結果に騙されない、記事広告に気をつける、といったことの他にも、学会発表段階では信頼できないことや、論文でも掲載される雑誌によっては怪しいこと、なども指摘している。まあ、このブログではできるだけ、そういった姿勢を保つように意識しているのだが、逆に何事にも批判的になってしまう恐れもあり、自分のスタンスをきちんと保つのはなかなか難しいと実感しているのだが。。

とは言え本書は、現在の食品が全て安全で、何も心配する必要がないと主張しているわけではない。日本の食糧自給率の低さ、それに伴う国内の窒素過剰問題、健康食品による弊害(健康食品を摂り過ぎることによる副作用など)、遺伝子組換え食品のあり方などを取り上げて、今後の方向性を論じている。

総じて内容は難しすぎず、簡単すぎず、非常に読みやすい。全体的なバランスも良いし、多くの人に読んで欲しい本である。もっと世の中で話題になっても良いと思うし、いっそのこと、松永さん自身がコメンテータとしてTVに出演しても面白いだろうと思うのだが。。

なお、この本の装丁は南伸坊さんとのことだが、装丁ってこの表紙のチェック柄ぐらいしかないんだけど、そんなものなのかなあ。。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2005/10/13

「数字のホント? ウソ!」

帯には「確率と運命を取り違えていませんか?」と書かれている。パラパラとめくってみると、相関関係と因果関係の問題、天気予報での降水確率の話、確率と期待値などを中心として、数にまつわる雑学まで取り扱っているようだ。まあ、このブログで書いている話ともオーバーラップする部分も多いので、話の種として読んでみた。

ベスト新書 97
 数字のホント? ウソ!  武器としての<数のセンス>を磨く
 加藤 良平 著 bk1amazon

まあ、既に知っている話も多かったのだが、降水確率の数字の示す意味について書かれているのを読んで、東京地方の過去の天気予報降水確率予報の精度検証の方法を思いついたのも事実。

面白かったのは、ある重大な病気に罹っているかどうかを簡易テストで調べる話。この病気の感染率は500分の1と判明している。簡易テストでは、本当に感染している場合には99%の確率で「疑いあり」、1%の確率で「疑いなし」と出る。また感染していない場合には99%の確率で「疑いなし」、1%の確率で「疑いあり」という結果が出る、というのが前提条件である。

この簡易テストを受けた人の結果が「疑いあり」であった場合、この人が本当にこの病気に罹っている確率は何パーセントだろう? 99%? いや、99%よりは少し小さそうな気もする。。 実は、じっくりと考えれば別にどうということのない問題ではある。しかし、実際にありそうなシチュエーションの割には、直感的にどの程度の値となるかがイメージできる人は少なそうな気がする。。 答えは、後日コメント欄に書き込むことにするので、各自考えてみてはいかがだろう? 

もう1つは、ある自然数 N について、2のN乗、Nの100乗、Nの階乗を比べて、大きい順に並べるとどうなるだろうか、という問題。この本には

自然数Nが十分に大きい時、前節で述べたように2のN乗というのは、N自体やNの100乗よりもずっと巨大です。そして3のN乗はもっと巨大です。しかしNの階乗はそれらよりもさらに大きくなるのです。(p.103~104)
と書かれている。直感的に「え?」と思うのだが、どうだろう? 実際に計算してみるとすぐわかるのだが、「自然数Nが十分に大きい」というのがキーのようだ。

例えばNが10や100だと、Nの100乗が圧倒的に大きく、次にN階乗、一番小さいのが2のN乗となる。ここまでは直感的にもわかる。しかし、Nを徐々に大きくしていくと、Nが126でN階乗がNの100乗を追い越し、それ以降はN階乗が最大となる。そして、Nが1000になると、2のN乗がNの100乗を追い越し、それ以降はNの100乗が最も小さくなる。丁度1000で追い越すというところがなかなか面白い。なるほど、大きな数であればあるほど100回しか掛け合わさないと、小さな数をコツコツと数多く掛け合わせ続けた数に負けちゃうということだ。

他には、順列や組合せだとか、無限についての比較的わかりやすい説明が続き、後半は数字にまつわる雑学的な話がいろいろと出てくるのだが、正直に言うとあまり興味を引かなかったかもしれない。まあ、ウイルスと人間のサイズの比率が、人間と地球のサイズの比率とほぼ同等の10の7乗程度であるとか、ジャンボ機のエンジンが約10万馬力で鉄腕アトムの出力と同じであるとか、いかにも雑学的な話も読めるので、それはそれで楽しめたけど。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/10/04

「環業革命」

「メタルカラーの時代」で有名な、山根さんが提唱している「環業革命」という言葉をそのままタイトルにした本である。「環業革命」(英語では Eco-Industrial Revolution)というわかりやすい用語を生み出すセンスはさすがである。帯には、「境+産=日本復活!」と大きく書かれ、さらに

人類史上最大の危機「地球温暖化」。それはなぜ起こり、どう克服していけばいいのか。
とある。うーむ、地球温暖化が人類史上最大の危機、という認識には異論をはさみたくなるところだが、ともかく読んでみた。

講談社
 環業革命
 山根 一眞 著 bk1amazon

まず、産業革命の頃からの大気汚染や海洋汚染などの、いわゆる過去の公害問題を取り上げ、それらが人間が自分たちが捨てたものが及ぼす影響を全く想定せずに、大気汚染物質や水質汚濁物質を捨て続けたためだった、と総括する。そして、それと同じ目線で、二酸化炭素を大量に放出し続けることによる地球温暖化の問題が顕在化し始めていると警告する。

環境問題を扱う人は、加害者と被害者が比較的明確で、狭い地域で起こった公害問題と、地球温暖化問題のように広範囲にわたり、加害者と被害者の関係も複雑となる地球規模の問題は区別して考える傾向があるのだが、山根さんの考え方はシンプルでわかりやすい。とは言え、地球温暖化と二酸化炭素の排出の問題は単なる廃棄物問題ではなく、化石燃料の消費という入口側と直結した問題という認識が必要であろう。

地球温暖化問題が人類最大の危機というアジテーションには、やっぱりうなずけない。具体的にどんな事態が起きて、どんな世の中になるのかという論理的な展開がないし、象徴的ないくつかのエピソードで煽り立てるだけでは、他の環境原理主義と一緒で新鮮味がない。個人的には、エネルギーや食料の問題の方が人類への影響は直接的だし、具体的にもイメージしやすいのではないかと思うのだが。。

しかし、さすがに著者はフットワークが軽く、イギリスの産業革命発祥の地、アマゾンの奧地、アルプスの氷河、太平洋の深海、ドイツの自然エネルギーの街など、世界各地を実際に取材し、多くの人と会って話をする。その体験に基づくストーリーにはやっぱり重みがあるのだ。環境問題の特質ゆえに、それぞれの話が直接関係していないので、やや散漫な印象も免れないのだが、逆にバラエティに富んだ話が読めて面白い、という側面もある。

結局、著者が説く「環業革命」とは何か? 本書の末尾に「産業革命から環業革命への構図」という図が掲載されており、そのキャプションにかろうじて環業革命の定義が出てくる。(p.320~321)

18世紀の「産業革命」以降続けてきたその文明の構図を変え、「ごみ」ができるだけ出ない資源やエネルギーの利用開発を進める「環業革命」を進めねばならない。「環業革命」は「環境」と「循環」に配慮した資源とエネルギーを利用する「産業」を興すことを意味する。
ということで、このページの模式図は、自然エネルギー、水素、バイオマス、ゼロエミッション、森林、といったキーワードが並ぶもので、この概念自身は決して目新しいものではなさそうだ。

でも、本書を読んでいると「そんな理屈をグダグダ言ってないで、実際に行動を起こすことが重要だ!」という著者の主張が伝わってくる。ともかく、やるべきことをできることから着実に実行することで、いつの間にか仲間ができ、多くの力が集まることで、さらに大きな行動を起こすことができる、というメッセージこそが本書の最も重要なポイントかもしれない。

ところで、本書で紹介されている、1992年にリオ・デ・ジャネイロで行われた「地球サミット」の記念写真のエピソードが面白い。このリオ・サミットは、地球環境問題への国際協調を語る上では避けて通れない歴史的な会議として知られるが、世界各国の代表104名が写っているこの会議の記念写真に何故か日本の代表が写っていないというのである。

その理由は簡単で、当時の宮澤総理が、PKO法案の審議で紛糾していた国会対策のためにどうしても出国できず、専用機を羽田空港に用意しながら、結局リオ・サミットを欠席してしまったためという。その後の日本の環境問題への対応は、1997年の京都会議を一応の成功に導いたとは言え、2001年のヨハネスブルク・サミットでの対応も決して褒められないものだった。その意味で、この写真は、日本という国が地球環境問題をどういう優先順位でどのように取り組もうとしているかが見えるとても象徴的なものと言えそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/23

「暗証番号はなぜ4桁なのか?」

コンピュータ関係のセキュリティに関する入門レベルの本である。非常にわかりやすい説明で、文体も軽く、具体例が豊富なので、あっという間に楽しく読み終えることができる。

光文社新書
 暗証番号はなぜ4桁なのか? セキュリティを本質から理解する
 岡嶋 裕史 著 bk1amazon

タイトルにある4桁の暗証番号の代表例は銀行のキャッシュカードだろう。本書によれば、現金自動支払機(CD)の発祥は1967年のイギリスだそうで、当時から暗証番号は4桁の数字だったようだ。日本には昭和44年(1969年)の住友銀行のものが1号機。ただし、これはオフラインのCDで、暗証番号は4桁だけどプッシュ式ではなくダイヤル式だったそうだ。当初暗証番号はキャッシュカード自体に書き込まれていたが、それが昭和63年(1988年)からキャッシュカードには書き込まない方式に変わったようだ。

で、なぜ4桁か?という質問への答えは何だかあいまいだけど、安全性と実用性の妥協点がたまたま4桁だったということのようだ。導入当初は、誕生日や電話番号などと関連付けられるから4桁が覚えやすい、というのも理由の1つだったらしいので、時代が変われば価値観が変わるということだろうか。

本書はこのような暗証番号やコンピュータのパスワードの話だけでなく、住基ネットの話や個人情報保護法の話も含め、セキュリティの基本的な問題点や考え方を、初心者にもわかりやすく書かれている。企業での新入社員へのコンピュータ教育の副読本なんかに使えそうな雰囲気だ。

ところで本書では、各種パスワードなどを安全に使用するためには、文字数を多くして、類推困難なものとし、定期的に変えることが大切で、もちろん簡単に見ることのできるようなメモに記録しておくこともまずいよ、ということが書かれている。その通りだとは思うのだが、実際にはどうしたらよいのだろう? あんたのパスワードは危ないよ、ということだけ指摘して、具体的に上記条件を満たすパスワードを作成する(あるいは覚える)コツを教えてくれないというのは、ちょっと片手落ちではないだろうか?

ということで、ちょっと探してみたら安全性の高いパスワードを作るコツには、簡単なルールでパスワードを生成させる例が紹介されていて、参考になる。また、推測されにくいパスワードの作成方法にも、作成方法が載っているが、これは覚えるのが大変そうだ。そういう時には、このようなツールを使うことも有効かもしれないが。(参考:スラッシュドット ジャパン

まあ、キャッシュカードやクレジットカードのように、数字4桁しか許さない暗証番号で安全性を確保しようというのは、もともと限界があるわけだ。色々と補償制度もできつつあるようだけど、自衛手段を講ずるのが賢いやりかたということだろう。そこで、この前、現金引き出し専用の少金額口座を新たに作り、従来からの主口座には手のひら認証キャッシュカードを導入したのだった。これだと、通帳と印鑑を盗まれても引き出しできないようだし。実はまだ一度も手のひら認証を使ったことがない。。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005/09/15

「機長からアナウンス 第2便」

このブログで紹介している硬めの本ばかりの中ではちょっと異質ではあるが、帯には

飛行機の安全が気になったら、本書を手にとってください。
読めば安心。 故障、緊急時のエピソード満載!
とあるように、「安全」に関する航空業界の取組が幅広くエッセイ形式で紹介された、なかなか学ぶ所の多い本である。

新潮文庫
 機長からアナウンス 第2便
 内田 幹樹 著 bk1amazon

タイトルに「第2便」とあるように、本書は「機長からアナウンス」(bk1amazon)の続編にあたる。第1弾の方をしばらく前に読んだのだが、こちらは飛行機に関連した蘊蓄や裏話が読める気軽なエッセイという感じだった。今回の「第2便」は大部分が「安全」をテーマとして、著者の考えが表明されている点で少し趣きが異なる。また、おまけとして、最近JALで頻発したトラブルやJR西日本の脱線事故に対して、元機長としての経験と見識を元にしてコメントしており、これもなかなか興味深い。

旅客機の機長は乗客の安全を守る重い責任を持つわけで、それなりの権限も与えられているのだが、定期的な試験をクリアしないと資格を維持できないという点では、他の国家資格などとは一線を画している。そういう立場で長年飛行機を飛ばしていると、それなりに多くのトラブルに遭遇し、それを解決していく経験を積んでいるわけで、ここで語られる言葉には重みがある。

本書では、ハイジャックや、航空機や飛行場のトラブルなどについてのエピソード、パイロットの訓練や機体整備の実態、日本の飛行場の問題点、航空業界の問題点などが、広範囲にわたって、とてもわかりやすく書かれている。

これを読むと、旅客機の機長という仕事は非常に大変なんだなあ、と素直に尊敬したくなる。それに、飛行機は事故が起きたときの被害が大きいし、それなりに事故が起きるので、安全に対する考え方が体系化されていて、しかも徹底しているという印象だ。従って、ここで語られている安全な飛行のための様々な考え方、仕組み、方法などは、他の分野でも非常に参考になるものが多いだろう。

それでもトラブルや大事故が起きるのは何故か? という問いに対する著者の出した結論、「人間は誰でもミスを犯すから、事故は必ず起きるもの」は、ある意味でとても常識的ではあるが、やはりこれが全ての出発点となるべきなのだろう。

ところで、著者は、新幹線の座席にシートベルトがないこと、新幹線の頭上の荷物棚に扉がないこと、最近の無人運転列車の非常時の安全対策、モノレールなどの高架からの安全な脱出方法、などについて、飛行機と比べて余りにも基準や対策が遅れていると指摘している。確かに、明確な根拠がなく何となく決められている部分もあると思うけど、乱気流などで急降下する可能性のある飛行機と、電車などを同列に扱うのはどうだろう? 

例えばシートベルトについて考えると、新幹線が高速で脱線や衝突する確率をどの程度と見積もるかだが、実績から考えるとシートベルトが必要となるケースは非常に稀だろう。乗客がそんなレアケースを想定して、素直にシートベルトを着用するとは思えないし、それを確認するための手間暇まで考えるとやっぱり非現実的と思うなあ。。

ともあれ、交通関係に限らず、広く安全に関心を持っている人にとっては、安価で軽く読めるし、いろいろと考えさせられる点が多いということでお勧めの本である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/09/06

「決定版 失敗学の法則」

著者の畑村先生は「失敗学」という学問体系を構築したということで、知名度も高い。このブログでは、失敗知識データベースを覗いてみたで、失敗学に関するサイトを紹介してはいるものの、今まで著書を読んだことがなかった。今回、その決定版と称する本が文庫化されたということで、試しに読んでみた。

文春文庫
 決定版 失敗学の法則
 畑村 洋太郎 著 bk1amazon

この先生のキャラクタなのだろうけど、独善的というか強引というか、複雑な事象を相当に単純な見方で決め付けたという印象が強い。ある種の人々にとっては見通しが開けて心地よいのかもしれないが、生理的に受け付けられない人には軽くスルーされてしまいそうだ。何というか、全体を通して謙虚さが足りない、というような感じを受けてしまうのだ。

本書は過去の事故や事件を例にあげ、そこから教訓を学び取る形で、様々な「失敗学の法則」を解説している。もちろん、過去の失敗から学ぶことは重要だし、その方向性は間違っていないと思う。ただ、本書で取り扱っている個々の事例についての解析は比較的常識的だし、さほど深く突っ込んでいるようにも思えない。本書で「法則」と称するものも、一見するとかなりバラバラに並んでいて、あまり体系化されているようにも見えない。

世の中一般に対して「失敗学」という言葉を知らしめて、失敗から学ぶことの重要性をアピールしたり、原因究明と責任追及は独立させる必要があることなどを主張した点では、著者の試みは高く評価したい。しかし、事件や事故を含めて失敗と呼ばれるものは、古今東西多くの事例があるわけで、昔からいわゆる「安全工学」を初めとして多くの体系化の試みがあるし、決して著者が初めてこの分野の学問化に成功したというものではないはずだ。

ところが本書では、せいぜいハインリッヒの法則が紹介されている程度で、リスクの考え方を初めとして、既に体系化されている従来の知見がほとんど紹介されていないし、取り入れられているようにも見えない。逆に「失敗のからくり」とか「失敗の脈絡」などのような新たな用語を敢えて定義して論理展開するところも、何だかなあ。

しかも「失敗学」は先生の専門の機械設計だけでなく、様々なものにその考え方を応用できるらしく、本書の中では会社をやめるかどうかの判断や上司や同僚との付き合い方、さらには浮気の仕方にまで、失敗学の考え方を応用しての(?)かなり無理やりな感じのQ&Aやアドバイスが載っていて、結構脱力させられる。。

さらに疑問を感じるのが、Q&A全体を通して伝わってくる保身的な考え方だ。組織内での自分の立場を守るためには、敢えて告発せずに口をつぐんだり、小さな失敗を隠すこともやむなし、という立場のアドバイスが多い。しかし、いやしくも「学問」の看板を掲げるのなら、本来は倫理の原則を示すべきであり、止むを得ない場合の例外もあるよ、という紹介程度にとどめるべきではなかったか?

なお、本書は文庫化に際し、六本木ヒルズの回転ドア事故の解析に関する説明が追加されている。

蛇足ではあるが、既存の「安全工学」については、音声付き教材ではあるが、Webラーニングプラザが充実している。「分野・映像から選ぶ」から「安全」を選び、「リスク管理と危機管理コース」や「計画・管理・分析の数理的手法コース」を見ると、よくまとまった資料が手に入る。また「技術者倫理」を選ぶと「事例に学ぶ技術者倫理コース」という資料もあり、この中にはスペースシャトル・チャレンジャーの事故事例やJCOの臨界事故事例などが取り上げられており結構面白い。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2005/08/25

「数学的思考法」

帯には「もっと試行錯誤を!!」と書かれているが、正にこれが本書の主張のエッセンスのようだ。前書きには、単純計算を素早く数多くこなして脳を鍛えよう、という最近のブームに対して

何よりおかしいと思われるのは、算数・数学は与えられた条件のもとでいろいろと「考えること」を学ぶものであるはずなのに、単純な計算練習の数をこなしスピードを上げることや解法を丸暗記することが数学力を上げる「救世主」であるかのように受け取られている風潮である。もちろん計算力は必要だ。しかしそのような「条件反射丸暗記」学習法は、「処理能力」は上がるかもしれないが、思考力を養うことにはつながらない。
と書かれており、主として教育面に焦点を当てて、現状の問題点とそれに対する考え方を述べたものである。

講談社現代新書 1786
 数学的思考法  説明力を鍛えるヒント
 芹沢 光雄 著 bk1amazon

本書は、
   第1章 間違いだらけの数学観
   第2章 試行錯誤という思考法
   第3章 「数学的思考」のヒント
   第4章 「論理的な説明」の鍵
という構成だが、首尾一貫した主張がそれこそ論理的に展開されており、非常にわかりやすい。数学の難しい話や数式は出てこないし、内容はある意味で常識的というか、納得できるものばかりである。教育という観点で書かれているけれど、一般社会でのさまざまな場面でのものの考え方や判断の仕方についても役立つエッセンスが多く出てくる。ある意味では、最近また流行っているらしい、「クリティカルシンキング」の具体的な解説本と言う側面もありそうだ。

マークシート方式の試験が主流となったために、数学の証明問題さえも穴埋め方式になったり、短時間に多数の問題を処理する能力を見る試験対策として丸暗記やテクニックに走ったり、といった弊害が出ており、むしろコツコツと地道に積み上げていく試行錯誤を伴う思考訓練が重要だという指摘はその通りだろうと思う。

ただし、実社会では時間は掛かるけど正しい答えを出す人と、そこそこの精度で即断即決ができる人のどちらが評価されるか、というと、スピードもかなり重要だと思うけどね。。

最近、基礎学力が低下しているという話をよく聞くが、本書を読んでみると、数十年前の自分の体験と比較してみて、確かに方法論としての問題を感じざるを得ない。とは言え、やっぱり時代は変わっているわけで、昔に戻せば済むというものでもないだろう。本書に書かれているエッセンスはとても重要なことばかりだと思うのだが、下手すると、本書に出てくるポイントだけをそのまま丸暗記するようなことになったりして。。

本書にも、数学と他の教科との時間の奪い合いのような話が出てくるが、世の中の情報量は時と共にどんどん増えているわけだし、勉強以外の場面でも脳みそを使う機会が圧倒的に増えているような気もする。その意味では、教えるほうも教えられる方も年々大変になっていっているのかもしれない。本書で指摘されている、試行錯誤や論理的な思考法の重要さには全面的に賛成したいのだが、数学教育だけを取り上げてどうすべきかを論ずるだけではバランスを欠いたものとなる恐れもあるしなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/08/04

「こわくない物理学」

帯には一言、「文系でも最先端がわかる!」と書いてある。サブタイトルが「物質・宇宙・生命」。どうやら単行本として出版された本の文庫化のようだし、こういう広い範囲を物理の視点で俯瞰的に見てみるのも楽しそうだ、と思って買ってみた。

新潮文庫
 こわくない物理学  物質・宇宙・生命
 志村 史夫 著 bk1amazon

裏表紙には

生命体を刻めば、細胞、核、遺伝子・・・・・・やがて炭素や酸素や水素といった元素にたどり着く。しかし、いくら元素を混ぜても生命体は生まれない。「生命とは何か」この超難問に第一線の物理学者が挑む。その挑戦は、ギリシャ哲学、古典力学、相対性理論、量子論、宇宙物理学、生命哲学を巻き込む壮大な知的大冒険となった。難しい数式なしで、哲学としての物理学を追求した画期的名著。
とある。「画期的名著」の割には、2002年に発行されている単行本(bk1amazon)のamazonやbk1のサイトに読者のレビューが全く載っていない。この手の本は書評も書きにくいのは確かだろうけど、読んでみての感想としては、「画期的」の意味にもよるが、名著とは呼べないような気がする。。

この本の内容は、物理学ではない。まあ、文庫本一冊で物理学の最先端を概観しようとすると、こんな感じにならざるを得ないのかもしれないが、それぞれの部分の説明は相当に粗っぽいし、そこに歴史的な認識だとか哲学だとかが混入してくるから、よけいややこしくなっているような気がする。

著者の提起する、生命とは何かという疑問や、自己組織化の不思議さ、などは特に目新しいものではないし、正に最新の科学がこれらの問題に取り組んでいると思う。本書では、何故か最新のそういう成果や考え方はあまり出てこないかわりに、昔の哲学者などの言葉を多く取り上げて、彼らの哲学が現在でも通用する部分があることが強調されている。

哲学的な部分については「こうでなくてはならない」というものでもないだろうし、こちらや、こちらのように、様々な受け止め方があって良いと思う。

科学的な部分で少し気になった点を3点指摘しておく。1点目は、結晶が成長するときに固有の晶癖を維持して成長することの不思議さに言及し、雪の結晶が全体として正六角形に成長する過程を

それはまるで、一個一個の分子が雪の結晶(雪華)全体の形を把握しているかのようである。つまり、既存の結晶に近づいてくる分子が順に”正しい位置”に付くための、全体秩序に関する情報が各分子に伝わっているのではないかと思わざるを得ないのである。あるいは、一個一個の分子が全体秩序を保つために”正しい位置”に付く”意志”を持っているということであろうか。(p.188~189)
と書いているが、どうだろう? 例えば雪の結晶が気相から成長する場合、決してこのように水分子が結晶表面にひとつずつ静的に付着するようなイメージではなく、気相からの析出と同時に結晶からの蒸発(昇華)が激しく起こっていて、結果として全体として最もエネルギー的に安定な形を保ちながら成長すると説明されているはずでは。。 もっとも、だからと言って、あの様々な形状をした雪の結晶の一つ一つが、何故その形にならなくてはならなかったのかを説明できるわけではないだろうけど。

2点目は、著者が「シンカ」という言葉を多用する点。いわゆる進化と全く同じ意味で使っているのだが、何故カタカナを使っているかというと、一般に進化は進歩するという意味で使われているが、生命の変化・分岐は必ずしも進歩や良くなるということを意味していないから、らしい。

ラマルクやダーウィンに端を発する科学的「進化論」によれば、原始生命を起原とする生物は「下等生物」から「高等生物」へと「進化」した。また、「進化論」の自然淘汰説の根底には「優勝劣敗」の原則があり、「優れたもの」が勝ち、「劣ったもの」が敗けることになっている。そして、われわれ人類(ヒト)はサルから「進化」した最も高等な生物ということになっている。(p.204)
と書かれているが、ダーウィンがそんなことを言ったのだろうか? 進化を正しく取り扱った本を何冊か読めば、著者のこの思いは単なる思い込みに過ぎず、正等な生物学では、下等生物が高等生物に進化したなんて誰も考えていないと思うのだけど。。

3点目は、アインシュタインの有名な式、E=mc2 が「物質から生命へ」を解く鍵になる、として本書の最終章で出てくる以下の記述。

繰り返し述べたように、生物の生物たる根源であり、生物を無生物と分かつ生命が「物質を組織し、個体を形成し、種を形成していく無限の力であり、どこまでも自己を創造していこうとする目に見えない意志」であることを思えば、その目に見えない意志はすなわちエネルギー(E)であり、そのエネルギーは物質(m)を生み、さらに、そのようにして生まれた物質が目に見えない意志であるエネルギー、すなわち生命を生むのではないか。(p.239~240)
この文章は物理学者が論理的に書いた文章とは思えない。哲学的な意味で思索にふける分にはどんな空想を巡らすのも自由だろうけど、物理学をベースとして書いた本なのだから、「エネルギー」という用語を、従来の物理学の定義とは異なる意味で使用するなら、それこそ「えねるぎー」とでも表記して区別する必要があると思うけどなあ。。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/28

「進化する自動車」

タイトルに魅かれて、中身も見ないままにbk1で購入した。岩波科学ライブラリーを購入して読むのも初めて。現在、自動車はその歴史上の大きな転換点に来ているのではないか、と思うのだが、そういう視点からの将来展望が読めるものと期待して読んだのだが。。

岩波科学ライブラリー 107
 進化する自動車
 原 邦彦 著 bk1amazon

著者は、デンソーのエレクトロニクス分野の技術者だった方で、専門は半導体デバイスとのこと。どこにも、本書の内容の紹介がないので、目次をリストアップしておくと、

  1.自動車の進化ベクトル
     安全性向上の進化ベクトル
     快適性の進化ベクトル
     環境負荷軽減の進化ベクトル
     情報化の進化ベクトル
     自動車は未来社会の実験場
     自動車はロボットになるのか
     モータースポーツと自動車の進化

  2.自動車にとってエレクトロニクスとは何か
     自動車のエレクトロニクス化
     急激な進化のまえぶれ
     自動車のエレクトロニクス制御の将来
     自動車のパワーエレクトロニクス
     救世主はシリコンカーバイド半導体

  3.自動車を取り巻く環境
     交通事故
     自動車の普及量
     テトラレンマの克服
     自動車と地球環境問題
     自動車と電気エネルギー

  終章 好ましいクルマ社会の実現に向けて

となっている。何となくタイトルから自動車の将来を見据えた本だと思ったのだが、どちらかというと、最近の進歩と現状がメインである。従って、燃料電池車だとか電気自動車の話はほとんど出てこない。第1章の項目を見てもわかるように、安全性や快適性の向上が主な注目点である。これはこれで、現場に近い人の自動車観が見えるようで興味深いものもあるのだが、ちょっと拍子抜けである。

環境関連では、DME燃料を使用した内燃機関と水素燃料の燃料電池について触れている程度だが、特に燃料電池自動車については、水素供給、燃料電池、電気系などの各分野でまだまだ課題が多く、実現はまだまだ先の話、というニュアンス。

安全性向上対策やITS(知的交通システム)などについても、普段まとまった形で目にする機会の少ない分野だが、一通り概観することができる。こうやって一つ一つを見てみると、確かに現在の自動車の持つ幅広い機能には感心させられる。もしも、その一つ一つに値段を付けて積算したら、数百万円という現在の価格には到底収まらないような気もしてくる。

本書でなるほどと思ったのは、自動車のパワーエレクトロニクスの分野の話。あまり話題にならないが、クルマの消費電力がどんどん増大しており、ハイブリッド車ともなると50~120kWにもなるそうだ。これを実現するためには、電源系の高電圧化が必要で、それに伴ってエレクトロニクス系も高電圧化されていく方向らしい。

そこで期待されているのが、シリコンカーバイド系の半導体。これは、バンドギャップがシリコンの3倍、絶縁破壊強度が7倍、熱伝導率が3倍、ということで通電時の損失をシリコンの200分の一に低減できるし、高温動作も可能なので、かなりインパクトが大きいようだ。具体的には、ハイブリッド車用のインバータ、発電機の整流回路などへの搭載が考えられているとのこと。結局、現在はどのレベルにあるのかよくわからなかったけど、これが実用化されることで、総合的な効率はかなり向上するようなので、覚えておこう。

ということで、内容はエレクトロニクスに偏っており、どう見てもタイトルと内容が不一致だと思う。もう一つ気になったのは、これは岩波科学ライブラリーというシリーズの位置づけなのかもしれないが、一般向けにしては専門用語の解説がほとんどないし、専門家向けにしては内容が浅すぎる、という具合で、いかにも中途半端な感じがすることだろうか。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/18

「海馬 -脳は疲れない-」

本書は、脳科学者の池谷裕二さんと糸井重里さんとの対談。池谷さんの本は、今までにここで紹介した「進化しすぎた脳」と、ブルーバックスの「記憶力を強くする」を読んだが、いずれも面白かったのが印象に残っている。

新潮文庫
 海馬 -脳は疲れない-
 池谷 裕二、糸井 重里 著 bk1amazon

本書は、朝日出版社から出ている単行本(bk1amazon)を文庫化したもの。糸井さんとの対談なので、お互いに刺激しあって、発想が広がっていく様子が見えて、これはこれで興味深い。なお、文庫版には、単行本に収録されている内容に加えて、おまけとして「文庫版あとがき」と、20ページくらいの追加対談も収録されている。

「進化しすぎた脳」は高校生を相手にした講義形式だったので、脳に関する科学的な説明と解説が中心だったのだが、本書では、脳の仕組みの説明自体が主題となっているわけではなく、もちろんそれが二人の対談の軸となっているものの、むしろ話題の中心は、脳の仕組みから見た元気の出る生き方みたいなものになっている。

それにしても、池谷さんのものの見方はいつも前向きで、本書も読みながら、いつの間にか「よーし、前を向いて頑張っていこうか」という気にさせられる不思議な力がある。もちろん一般人向けの脳の本としては、読んでためになるレベルにうまくまとめられていると思うし、おまけにポジティブな気分にさせてくれるのだから、文句なしにお勧め本だろう。

ただし、対談の流れの中で、世の中の色々なものを脳の仕組みとのアナロジーとして語る部分で、さすがにそんなに単純じゃないだろう? という部分や、互いの発想が発展し合った結果として、やや行き過ぎじゃないの? という部分もあるみたいだが、まあ許せる範囲だろう。

各章ごとにまとめがあるのも、サービスが行き届いていてうれしい。第一章のまとめは、こんな感じ。
  1 「もの忘れがひどい」はカン違い
  2 脳の本質は、ものとものとを結びつけること
  3 ストッパーをはずすと成長できる
  4 30歳を過ぎてから頭はよくなる
  5 脳は疲れない
  6 脳は刺激がないことに絶えられない(ママ)
  7 脳は、見たいものしか見ない

なお、文庫版のための追加対談の中で、池谷さんが宗教やユダヤ人について語っているのだが、「神さま的な存在が必要」とか「本当の無宗教主義者になったら生きていけない」という部分や、「ユダヤ人が世界の中から孤立しがちといわれるのは、彼らが優秀すぎるため」なんて部分には、言葉足らずのためなのかもしれないが、ちょっと違和感を感じさせられた。これが普通の人の言葉なら別にどうでもいいのだが、脳科学の第一線の研究者が発した言葉としてみると、どうなのだろう? 考えさせられる。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/11

「スペースシャトルの落日」

あのコロンビア号の空中分解事故から2年半。ついに今週スペースシャトルの打ち上げが再開される。今回は日本人の野口さんが乗り込むということで、注目度も一段と高まるものと思われる。そんなタイミングで、本屋さんの店頭で見つけたのが本書。なかなか挑戦的なタイトルで、帯には「世紀の失敗作に日本も騙された、宇宙開発「虚妄」の実態」とある。

エクスナレッジ
 スペースシャトルの落日 失われた24年間の真実
 松浦 晋也 著 bk1amazon

とても読みやすくてわかりやすい、目からウロコの読み物である。スペースシャトルの問題点、今後の宇宙開発のあるべき姿、といった著者の主張したい点が明確に伝わってくるだけでなく、技術開発、特に巨大プロジェクトを進める上で、このスペースシャトル計画を反面教師として見るための教科書としても悪くない出来だと思う。

何を隠そう、1969年のアポロ計画による人類月面到達をリアルタイムでテレビで見た経験を持っている。それから既に36年、スペースシャトルの初飛行からも既に24年。時の経つのは早いものだ、と感慨にふけるのも良いが、ちょっと待て! ということだ。 確かに、アポロ計画の頃、将来21世紀になったら人類はどこまで宇宙に進出しているんだろう? と期待を込めて想像したものだし、スペースシャトルが飛び始めたときには、宇宙ステーションが身近なものになるのを感じたものだった。なのに現実はどうだろう?

本書の序章に、こんな文章がある。

 が、ちょっと考えてみてほしい。スペースシャトルの初飛行は1981年4月12日だった。今、24歳の大人が生まれた頃だ。例えば24年前のパソコンを誰がハイテクと呼ぶだろうか?

 24年前の家電製品はハイテクとは呼ばない。それは過去24年の間に、家電製品を巡る技術が信じられないほど進歩したからだ。24年前のシャトルがハイテクというのは、つまり24年間、宇宙開発を巡る技術が進歩していないということじゃないだろうか。

 「シャトルの事故で宇宙開発が停滞」というのもよくよく考えてみると妙な話だ。シャトルが無事に運行していた頃、宇宙開発が順調に進展していたという実感があるだろうか。ここ15年ばかりの間に、「いやあ、宇宙時代になったなあ」と実感したことはあったろうか。あったとしたら、そのことにスペースシャトルは関係していただろうか。

確かにそうだよなあ。。 宇宙開発は莫大なお金が掛かるから、そう頻繁にロケットのモデルチェンジもできないだろうけど、設計から既に24年以上も経った機体が現在もまだ最高性能を誇っているのだとしたら、進歩がなさ過ぎるような気がしないでもない。大体、最近宇宙に行った民間人は皆ロシアのロケットを使ってのものだし、この前記事にした高知県の宇宙酒計画もシャトルではなくソユーズを利用する計画だったはず。。

ということは、少なくとも結果から見れば、シャトル計画には様々な問題点があったと言ってよいのだろう。この間に起こった大事故については、24年間 113回のフライトのうちの2回だけであり、宇宙開発という技術の特徴から考えると事故の確率が突出して大きいとは思わない。しかし、むしろ事故で失ったものよりも、この24年間で得たものが何なのか?という点の方が問題なのではないかと思える。

本書はまず、2度の大きな事故の原因、およびその背後に潜む政治的な側面など、NASAの抱える問題点を明らかにする。次に、そもそもスペースシャトルの設計段階で、ボタンを掛け違えてしまったことで生じた根本的な欠点を明らかにする。ここでは、スペースシャトルの目玉ともいうべき、翼を持つ本体、再利用を前提としたシステム、さらには固体ロケットブースター+液体酸水素エンジン、などを選択したこと自体が全て間違いだったのだ、と論じている。そして、この問題の多いスペースシャトル計画が、ヨーロッパや日本の宇宙開発計画や、宇宙ステーション計画に大きな影響を与え、結果として世界の宇宙開発の方向が大きく迷走してしまったと指摘している。

本書を読んで考えさせられた点として、結局、スペースシャトル計画って何だったんだろう?という疑問もあるのだが、本書ではスペースシャトル計画によって得られたもの、得られなかったもの、という観点からは議論されていない。113回も宇宙に飛んで、どれだけの成果を上げたんだろう? シャトル計画以前の宇宙開発は、月に行くとか、太陽系を探査するとか、わかりやすかったけど、シャトル計画はその辺が見えにくいよなあ。得られたものがそれなりに多ければ、多少の問題点があったとしても、それなりに評価できるのだろうと思うのだが。。

ロケット技術の具体的な部分について、著者の主張が正しいのかどうかの判断は保留するが、シャトルがデビューしたときに目指していた「理想的な宇宙船像」というものが、どうやら幻だったのかな、という現実は受け止めなくてはならないだろう。とは言っても、まあ本書の数々の指摘は結果論だろう。中には、開発当初は解決できると考えていた課題が、どうしても解決できなかったということもあるだろうし。 でも、だとしても、これからどうすべきか? を考える時期に来ているのは間違いない。

アメリカはスペースシャトル計画に間もなく幕を引き、新たなステップに進もうとしているようだが、同じ過ちを2度としないためにはどうすべきなのか? 日本の進むべき道はどの方向なのか? こんな巨大なプロジェクトだと、一歩間違えると、その影響は大げさに言うと人類の未来に関わるということになるわけだ。でも、その方向を最終的に決定するのは、アメリカの(あの)大統領だったりするんだから、困ったものかもしれない。。

一方で、この四半世紀のスペースシャトル時代(宇宙開発の停滞期?)の間に、人々の抱く未来感というのは、バラ色の未来からやや悲観的なものへと、大きく姿を変えてしまったのではないだろうか? まあ、これに関してはシャトルの責任ではなく、たまたまそういう時代だったのだ、と言うべきかもしれないが。。

さて、今週のスペースシャトルの打ち上げを通じて、果たして人々はどんな未来をイメージすることになるのだろう?

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2005/06/30

「リスク眼力」

著者の小島正美さんという名前は、毎日新聞の署名記事で何度か目にしており、特にBSE問題を調べた時にみつけた資料に中々面白いことを書く新聞記者がいるもんだ、ということで記憶に残っている。毎日新聞の署名記事というのは、記事を書いた記者の顔が見える(気がする)ことや、何となく親近感を覚えるという点でも高く評価できるのではないだろうか?

北斗出版
 リスク眼力
 小島 正美 著 bk1amazon

本書は、身の回りのさまざまなリスクを複眼的に見ること、特にリスクとベネフィットを考慮することによって、バランスよく評価しようという主旨で書かれた本である。著者が現役の新聞記者ということで、本書で主張している著者の意見と、著者が所属する毎日新聞の主張が必ずしも一致しているわけではない点も透けて見えるのが、面白いというか悲しいというか。。ネットを探してみたら、著者が毎日新聞に書いたコラムがみつかったが、これは本書のダイジェスト版のような内容となっている。

本書で扱っているリスクは非常に多岐にわたる。1章から順に、自殺、過労、うつ、子どもの脳、24時間社会、抗菌グッズ、性感染症、協和香料事件、米、ヒジキ、マグロ、ポテトチップス、環境ホルモン、ダイオキシン、農薬、遺伝子組み換え作物、BSE、病気などについて、総じて社会一般で言われているような「危険」という一面的な見方に対して、もっと多面的に見る必要があるという立場から書かれている。

特に目立つのが、消費者の利益を守るためと称して取られる対策が、むしろ労働者の健康や経済を犠牲にして成り立っているのではないか?という視点。これは、いわゆる科学系のリスク本ではあまり見られない論点であり、例えばBSE対策によって日本の外食産業が苦境に立っており、それに関連する仕事をしている多くの人たちの生活が脅かされていること、遺伝子組換え作物により逆に農薬の使用量が減ったり過酷な農作業が減ることにより生産者に確かなメリットがあること、24時間社会のメリットの裏側で心身をすり減らして働いている人たちの心身の健康が蝕まれていること、などを例に上げている。

危険か安全かという二分論ではなく、リスクの大きさをきちんと考慮する必要があるということを明確にしていることや、毎日新聞を含めて新聞が危険性だけを強調しがちな傾向があるという問題点を指摘している点など、著者の立場や過去の経歴などを考えると非常に高く評価できる本である。(参考:中西準子さんの雑感

ただ、本書全体を通して統一された物の見方や考え方が確立されているか、というとまだそこまでの境地には達していないように感じる。あのゲーム脳仮説(?)を真に受けているような点も気になるけど、それ以上に、環境ホルモン、ダイオキシン、農薬、あるいは化学物質過敏症についての部分などは、どう見てもBSEに関する主張と比べると切れ味が悪い。まあ、フタル酸エステルとフタル酸、スチレンダイマーとスチレン、などをごっちゃにして記載している点から見ても、著者は化学が得意ではないと思われるのだが。。(これは化学を知っている人間から見るとちょっと許しがたい間違いである。)

また、個々の事例を全体の中できちんと位置付けをしてから評価すべきである、という主張がなされる一方で、その全体というのがあくまでも日本国内の現役世代だけで留まっている点もやや残念な点である。日本人は既に世界一の長寿を誇っているのに、なお独りよがりに自分たちの健康で豊かな生活のために、世界全体や将来世代にいろいろな迷惑を押し付けているのではないか?という視点を取り入れたら、もっと過激な結論に到達しただろうに。。 それと、人間はいずれ必ず死んでしまう、という視点も欲しかった。

なお、本書の冒頭で

 危険(ハザード)とリスクは違うというわけだ。リスクは健康被害など自分にとって望ましくない現象が生じる確率のことを指す。
と述べており、それ以降もリスクとは確率であるという定義で話が進んでいるのだが、これはどうだろうか? 日常的に頻繁に起きるけれども被害が小さい事象はリスクが大きいとは言わないのが普通である。リスクの現在最も一般的な定義は、ある事象の被害の大きさとそれが起きる確率の積のことであると思うのだが。。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/06/21

「著作権とは何か」

著作権については以前から興味を持って何冊か本を読んでいるのだが、結構複雑だし、判断は微妙なことも多い。ということで、いろんな本に目を通しておくのも悪くはない。本書は、著作権や芸術文化が専門領域の弁護士が書いた本であるが、法律の解説というよりは、サブタイトルにもあるように、著作権が果たすべき役割である文化や創造と保護のバランスの観点から考えていこうというものである。

集英社新書 0294
 著作権とは何か -文化と創造のゆくえ
 福井 健策 著 bk1amazon

著作権関係の新書として、このブログでは、「著作権の考え方」を紹介しているが、それ以外にも「インターネット時代の著作権」(bk1amazon)や、「勝手に使うな!知的所有権のトンデモ話」(bk1amazon)(これは著作権以外の知的財産権についても触れているが)も読んだことがある。

それぞれ特色があり、焦点を当てている面や切り口が異なり、補完的な意味合いもあるので、どれが一押しとは言えないし、全部読んで欲しいという気がする。しかし、これらの本を読んできた後で本書を読んでも、なかなか新鮮な部分も多いし、とても面白く読めた。これは、他の本を読んで、色々な知識を持っていたから楽しめたという部分もありそうだし、一方で本書単独でも十分に楽しめる内容であったという部分もありそうだ。

本書では、判断に迷うような微妙な事例をいくつか紹介しながら、単に著作権法ではこう考える、という判断に終わることなく、何を保護しようとしているのか? それはどういう意味があるのか? といった基本的な考え方に立ち戻って考えていくような構成となっており、これを読んで初めて知った内容も多い。

一つは、日本では著作権法上、パロディが引用とみなされており、かなり無理やり判断されていること。これで果たしてパロディが正当な評価をされていると言えるのだろうか? という問題提起である。とは言っても、著者は決して無条件にパロディを文化として認めろと言っているのではなく、アメリカのフェアユースという考え方を取り入れて判断する必要性を指摘している。

もう一つは、著作権が保護するのはあくまでも表現であり、そのアイデアではないのだが、ではアイデアと表現とは完全に分離できるのか? という問題提起である。どこまでが広く利用されるべきアイデアであり、どこからが守られるべき創作的表現と呼べるのか、考え出すとどんどんわからなくなる。面白かったのは、「磨かれた鶏卵」という芸術作品。これは、言ってみれば、単に卵を磨いただけなのだが、これに芸術作品として著作権を認めると、今後は許可を得ない限り、誰も卵を磨いた作品が作れなくなってしまうかもしれない、という話。(つまり、アイデアと表現が直結している例である)

また、古来文化芸術というのは模倣の歴史でもあり、例えばシェークスピアの作品の中には、元をたどると古くから伝わってきた話が何度も繰り返し多くの作者に改変され、最終的にシェークスピア作品が著名になったというもの(例えば、ロミオとジュリエット)が多くあるそうだ。もしもシェークスピアの時代に今の著作権法があれば、シェークスピアは明らかに著作権法違反となってしまう。これをどう考えるべきなのか?

著者は、このシェークスピアの例などを引きながら、最近の著作権の保護期間を延長する傾向に対して警鐘を鳴らし、それに対向する「コピーレフト」や「コモンズ」といった活動についても簡単に紹介している。結局著作権をめぐる「守られるべき権利」と「許されるべき利用」のバランスの問題は、時代と共に変わっていくものだろうし、常にその時点での最適なバランスを探ることになるということだ。

本書は「いま注目の『著作権』をわかりやすく解説!」という帯の宣伝文句とは裏腹に、具体的な問題について明確な回答が得られるようなものではなく、むしろ著作権は誰のため、何のための権利で、どの程度強い権利であるべきか? を考える入口となる本と言えるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/06/14

「鉄理論=地球と生命の奇跡」

帯には「生命誕生は鉄のおかげ!? 鉄が進化を演出した!? 地球温暖化は鉄で解決できる!?」という、本書が取り扱う鉄に関する3つのトピックを掲げている。本書の内容は、鉄(鉄道マニアの鉄ではなく、金属の鉄を作る人)をこよなく愛する著者が、鉄という元素の誕生から人類の未来までを語るという何ともスケールの大きな、ユニークな試みである。

講談社現代新書 1778
 鉄理論=地球と生命の奇跡
 矢田 浩 著 bk1amazon

著者は鉄鋼メーカーから大学教授へと転身された方で、専門はいわゆる金属工学や鉄鋼の分野のようだが、本書は宇宙、地球、生物、環境、鉄鋼、文明史というとんでもなく幅広い分野を扱っている。畑違いの生物分野などは中村桂子さんなどにチェックしてもらったとのことで、それなりに正しい記述となっているものと思われる。しかし、やはり著者の専門外のせいなのか、生命が微量元素である鉄をどう利用して、どう進化して、それが地球の大気や地質、水質の変化とどういう関係にあるのか、というこの前半のテーマについては、読んでいて今一ピンと来ないものがあるのだが、それでも、ほー、こんなモノの見方があったんだ、という軽い驚きを味わえる。

確かに、鉄という元素は最も安定した元素であり、宇宙での存在量も多い。そして、本書を読むまでは考えたことがなかったが、鉄という元素に特徴的な酸化還元特性や磁性といった性質があったが故に、今の地球環境や生物構成が存在しえるというのも事実だろう。それを奇跡と呼ぶかどうかは哲学的な問題だろうが、いずれにしても我々の存在に鉄という元素の存在が欠かせなかったと言われれば、確かにそれはそうだ。

もちろん、この元素がなければ今の我々はなかった、と言うだけならば、水素でも酸素でも窒素でも、あるいはリンやイオウやカルシウムなど、何でもそうだとも言えるけど、鉄が何かしらのマジックを秘めているのも確かだろう。

本書のタイトルである「鉄理論」とは、その生物に必須の元素である鉄を海に散布することが地球温暖化対策として有効だ、という説のことで、実はこのブログでも2004/3/4に鉄と海と光合成というエントリーで紹介したことがある。本書では、以前は「鉄仮説」であったのだが、大規模な実証実験により既に仮説ではなく理論に昇格したとして、実際の実験データもいくつか紹介されている。

ミネラル分の少ない「飢えた」海域に鉄をはじめとする無機塩類を補給することで、植物プランクトンが増えて、海洋の二酸化炭素吸収が増えるのは恐らく事実だろうと思う。ただし、本書で述べているような、今後どんどん増え続ける人為的に放出される二酸化炭素を、この方法で海洋に吸収させるというアイデアはどうだろう? 地球全体での長期的な炭素循環を考えた時に、本当に成立する話なのか? 最終的に海はどういう形で炭素を固定することになるのだろう? 生態系への直接間接の様々な影響をはじめとして、余りにも不明点が多すぎると思われるし、結局は人間の浅知恵だなぁという感じが拭えないのだが。。

もちろん、そうやって皆が二酸化炭素を自由に大気中に放出できる社会を望む考え方もあっていいのだろうが、その活動のエネルギーはどうするんだろう? 本書では、当面は石炭でまかなう考え方のようだが、結局は再生不可能な資源を使い果たしてしまうという問題に答えは見えないし、同時に二酸化炭素を大量に放出し、それを全部海洋に吸収させようというのは、人類史上最大の無謀な賭けとなるような気がする。誰がそんな決断を下せるのだろう? 

本書の後半の鉄鋼技術から見た人類の文明史の部分もとても面白かった。ちょっと駆け足気味で物足りない部分もあるのだが、何故中国が世界の強国であり続けられなかったのか、という疑問も製鉄技術から説明できるし、イギリスでの産業革命も製鉄技術の革新がキーテクノロジーであったという説明がされる。

総じて、著者の鉄への熱い思いが伝わってくるし、全てを「鉄」という切り口で説明してみようという試みも面白い。地球温暖化対策の部分はさすがにどうかと思うけど、全体的には、読んでみて新鮮な視点を持つことができたし、この試みは十分に成功していると感じられる。

参考
asahi.comの書評農業環境技術研究所の書評山賀進さんの書評

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2005/05/13

「バイオマス」

シリーズ「地球と人間の環境を考える」の新刊。このブログでは、今まで
  No.5 エネルギー
  No.7 水と環境
  No.8 ごみ問題とライフスタイル
  No.9 シックハウス
  No.12 これからの環境論

を紹介している。帯には「芋(イモ)からできたプラスチックは、環境にやさしい? いま、注目されるバイオマスの功罪を科学の視点で明らかにする。」とあり、「バイオマス」というと何だか地味な印象があるが、バイオプラスチックに鋭い突っ込みを入れている本のようだ。

シリーズ 地球と人間の環境を考える 10
 バイオマス 誤解と希望
 奥 彬 bk1amazon

著者は有機合成の専門家のようだが、プラスチックリサイクル関係に深く関わっている立場らしい。今はプラスチックのケミカルリサイクルに取り組んでいるらしく、本書の中でもPETやポリカーボネートのモノマーへのケミカルリサイクルについては、比較的高い評価を与えている。それはともかく、本書が主張することはかなり明確だ。

一つは、生物由来プラスチック(BBP)がカーボンニュートラルの考え方からみて優れているとしても、それを使い捨てるような使い方は却って環境に対して悪影響が出る。その理由としては、植物や動物を育てるためにも化石エネルギーを多量に使用していること、それをプラスチックにする過程では石油由来プラスチック以上のエネルギーを使用すること、さらに生分解性プラスチック(BDP)として、使い捨てやポイ捨てを許容もしくは奨励するかのような風潮は、結局エネルギーや資源を無駄使いするライフスタイルを助長するだけであることを挙げている。

二つ目は、地球温暖化対策として、短期的な炭素収支の有利さから、単年性の植物(ケナフ、イモ、トウモロコシなど)を育てる傾向が見られるが、長期的視点に立って森林の回復を行うべきであること。これは、単年性植物を育てるためには、多大なエネルギー、労力や肥料などが必要で、カーボンニュートラルとはならないことや、さらに土地が徐々に痩せ、いずれは荒廃する恐れがあることなどを理由としている。

このブログでも、生分解性プラスチックが地球温暖化対策として高く評価されている最近の傾向に疑問を投げかけてきた。

  難燃性バイオプラPC
  ソニーの植物原料樹脂
  旭化成の生分解性ラップ
  ポリ乳酸は処理が簡単?
  トヨタがバイオプラスチックに本格参入?

マスコミでは、何故かこれらについて、ほとんど批判的なことは書かれないので、ちょっと自分の判断に自信を失いかけていたところだったが、本書は強い味方が現れたという感じである。さすがに会社名はTとかSとかイニシャルになっているが、沢山の具体例をあげてコメントしている。多くの製品例に対して、製品の回収・分別・リサイクルを進めるのが本筋なのに、生分解性を免罪符とし、さらにそれを宣伝文句として使いながら、実際には環境に対してむしろ有害でさえあると厳しく批判している。

また、開催中の愛・地球博の会場で生分解性プラスチックの食器を採用し、これを堆肥化していることについても、これでは一度限りの使いきりであり、どこが環境に優しいのか? と疑問を投げかけている。何度も回収・再利用するのが、環境への負荷を考えた使い方であることは間違いないだろう。

ただし、本書の主張は、議論のたたき台としては非常に有効だと思うし、最終的な結論も一部を除いて納得がいくのだが、途中の論理にはやや問題があるように感じる。というのは、科学的な話と倫理的な話がごっちゃに扱われたり、対象となる問題のタイムスケールが長短混ざり合って混乱している部分があるように思うのだ。

出てくる数字も、自分に都合の良いところだけ持ってきているような印象もある。細かな部分は数値で議論している一方で、著者が提案する持続可能性のある生活に関しては、地球全体でのカーボンバランスがどうなってるのか何も数字が出てこない。現在の石油の用途は、プラスチックに使われる分よりもエネルギー資源として使用されるのが圧倒的に多いのだから、その視点を欠いてしまうと、何だか話がおかしくなってしまうように思う。

本書では、プラスチックを焼却処理して熱エネルギーを回収したり、土に戻してCO2にしたりするのは、最終手段であり、石油由来もバイオ由来も含めて、プラスチックをリユース→リサイクル→マテリアルリサイクル→ケミカルリサイクルと骨までしゃぶりつくすべきだという主張である。これ自身間違っていないのだが、残念ながら、このブログのコメント部分で議論したような、むしろバイオ資源は下手にプラスチックにせずにエネルギー源としてしまう方が効率的ではないか?というような話は出てこない。

本書を読み終えても、結局のところ、どんなバイオ資源をどのように、食料、プラスチック原料、およびエネルギー資源として使用していくのが望ましい姿なのか、については余り語られていないため、全体像をつかもうとしてもやや欲求不満気味ではある。。

ところで、本書では、以下の生分解性プラスチックの使用例に著者が評価を下しているのだが、それぞれ、○か×か、またその理由は何かわかるだろうか? 

  1. 魚網
  2. 疑似餌と釣り糸
  3. 農業用マルチシートとハウス栽培用シート
  4. 生鮮野菜、魚介類の保冷箱
  5. パソコンの筐体
  6. CD
  7. 包装フィルム
  8. 食品用ラップフィルム
  9. レジ袋
 10. 使い捨て食器、食品トレイ
 11. 生ごみ袋
 12. おむつ
 13. 生分解性繊維製品
 14. 自動車部品

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005/05/06

「光触媒とはなにか」

最近は、光触媒という言葉も随分と一般的になり、色々な用途で様々な製品に実用化されている。しかし、その一方で本当に光触媒機能を発揮するのかどうか、さすがにウソじゃないのと思うようなケースも見られるように思う。もっとも、このブログでも関連するコメントを書いたりしている割には、実は光触媒についてきちんと書いてある本を読んだことはなかった。

本書はサブタイトルが「21世紀のキーテクノロジーを基本から理解する」となっており、触媒について、光励起について、光触媒について、ホンダ・フジシマ効果についての説明にそれぞれ1章ずつを割いており、正に光触媒を理解するための基本的な知識をきちんと説明しているように思える。

講談社 BLUE BACKS
 光触媒とはなにか
 佐藤 しんり 著 bk1amazon

著者の佐藤しんり氏は、1978年から光触媒の研究をしてきたこの道の専門家。サトシンの光触媒のページを開設しており、ここでも一般向けのわかりやすい説明が展開されている。

本書では、酸化チタン光触媒の反応機構としてよく使われる「ヒドロキシラジカル」による酸化反応機構を明確に否定している。それが証拠に水がなくて酸化反応が進むこと、さらに水が存在しても反応が促進されないことを指摘した上で、この反応は「原子状酸素」によるものであるということを、他にも具体的な証拠を上げて説明している。

そもそも、酸化チタンの光触媒反応にヒドロキシラジカルが関与しているという「誤解」のルーツは、著者の調査によると 1995年にカリフォルニア工科大学のホフマン教授らの書いた総説らしい。

本書では、光触媒による酸化反応のメカニズムを丁寧に説明するだけでなく、通常の触媒反応との違いを踏まえて、その研究の難しさや、それ故に巷に蔓延している誤解についても解説している。説明は非常にわかりやすい部分と、妙に専門的で具体的な説明を省略した部分が同居しているようで、何度か読み返してみる必要のある部分もないではないが、総じて信頼できる本と言えるのではないだろうか。

例えば、現在の酸化チタン系の光触媒が実際に反応させることのできる量は決して多くはなく、これを塗布したパネルで表面の汚れを除去するような用途には非常に有効ではあるが、大量の大気を浄化するような応用は最初から無理であることや、当然のことながら、魔法のように都合のよい反応を起こすような特別なものではないことも指摘されている。

一方で、超親水性と光酸化反応を活かすことによって、非常に効果的な応用がなされているのは事実であるし、今後ますます応用が進んでいくだろう。しかし、メカニズムが完全に解明されていないという現状につけ込むかのように、事実をベースにした怪しい理論的仮説に基づいた怪しい製品が出回っていたりするので、理論の面でも製品の面でも、本物と偽物の区別をきちんとする必要があるようだ。

また、本書を読んで初めて知ったのだが、いわゆるホンダ・フジシマ効果(光による水の電気分解)を個々の触媒粒子で実現させたとも言える「光電気化学型光触媒」と呼ばれるものがある。具体的には白金つき酸化チタン光触媒がその実例で、粉末を水に濡らして光を当てると、本当に水が電気分解されて、水素と酸素が出てくるようだ。これは実に面白い発想だと思う。もっとも、現実には色々な制約もあって、実用的に使えるレベルにはならないようだが。。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/04/22

「猛速度こそ我が人生」

「メタルカラーの時代」の文庫版シリーズの第10巻。このブログでは、第6巻「ロケットと深海艇の挑戦者」、第7巻「デジタル維新の一番走者」、第9巻『「壊れぬ技術」のメダリスト』を紹介している。

小学館文庫
 文庫版 メタルカラーの時代 10
 猛速度こそ我が人生
 山根 一眞 著 bk1amazon

タイトルからは、車や列車などの開発裏話かな、と思うのだが、実は結構スピードとは関係ない内容も扱っている。前半は、新幹線、ジャンボジェット、高速船関連なのだが、後半は、世界一の工作機械、世界一の炒り卵製造機、世界一の鋼板製造設備など一応はスピードに無理やり関連したものもあるのだが、他にも製鉄所のメンテナンスや超小型コンデンサなんてのも含まれている。

いつものように、山根さんのインタビューは非常にわかりやすい比喩が多く使われていて、難しい技術の概要をさらりとやさしく伝えてくれる。ただ、今回のシリーズでは、技術のすごさやその実現までの困難さの部分があまり語られてなかったような感じで、今一印象に残った内容が少ない。

一方、本書で初めて知ったのだが、マシニングセンタを作る松浦製作所の松浦さんは、人物的にとても魅力のある方のようで、さらに、この会社の歴史や成し遂げたことを考えると、ソニーやホンダなどと同列とまではいかなくとも、もっと日本で知名度が高くても良さそうなものだと思わされる。

興味が湧いたのは、新幹線の線路や架線を検査する「ドクター・イエロー」の話。時速200km以上の速度で走行しながら、線路や架線の異常の有無をチェックしてしまうというのは、ものすごい話だ。本書では具体的な内容にはあまり触れられていないのだが、実際にどういう原理や技術で測定しているのかを詳しく知りたくなる。

さらに本書では、新幹線に関しては、ドクター・イエローによる検査以外にも、多くの人の手や目を使った点検が日常的に行われていることも紹介されている。いかにも裏方作業なので、ほとんど知られていないが、あらためて新幹線の安全を支える努力の大きさを感じさせられる。新幹線技術を台湾や中国などに輸出するのもいいけど、安全技術やメンテナンスは、ハードだけでなくソフトの部分や、それ以上に「人」が重要そうだし、本当の意味での技術移転というのは、相当に大変そうだ。。

ところで、猛速度というテーマを扱うのだったら、やっぱりF1などのモーターレーシングの世界も扱って欲しかった。それこそ、エンジン、シャーシ、タイヤ、オイルや燃料、様々な電装部品など日本の様々なメーカーが貢献している分野は数多いはずだし。

それと、もう一点。山根さんは地球環境問題を考えて「環業革命」というのを提唱しているらしいのだが、だとするとこの手の対談でも、単にスピードを追求するのでなく、それは環境という観点からはどういう位置付けになるのかにも言及して欲しかった。様々なトレードオフの存在やライフサイクルという概念を、多くの人に広める役目も担ってくれるとうれしいのだが。 特に、新幹線や船に関しては、これ以上スピードを追求しても、果たしてエネルギー効率の面からはどうなんだろう? という疑問もあるし。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/04/18

「テクノリテラシーとは何か」

日経新聞の書評欄で紹介されていたのを見て購入。サブタイトルは「巨大事故を読む技術」ということで、このブログで今までに紹介した、「科学技術はなぜ失敗するのか」(中野 不二男 著)とか、「安全と安心の科学」(村上 陽一郎 著)などと同系統の本ということになるし、失敗知識データベースにも関連する分野である。

講談社選書メチエ 323
 テクノリテラシーとは何か 巨大事故を読む技術
 齊藤 了文 著 bk1amazon

本書は、代表的な事故事例を、科学技術の成果物のライフサイクル上の位置に着目し、3つの段階に整理している。第1部の「人工物が生まれるとき」では、コメット空中分解事故、サリドマイド事件。第2部の「人工物の成熟期」では、ピント車追突事故、スリーマイル島原発事故、慈恵医大青戸病院医療事故、牛肉偽装、みずほ銀行システムトラブル。第3部の「人工物の衰退期」では、新幹線トンネル崩落事故、ボパール産業事故。というように、とても幅広い分野をカバーしている。

まず、著者の齊藤先生の略歴が目を惹く。理学部ならびに文学部卒業で専攻は工学の哲学と倫理。現在は関西大学社会学部教授である。著者の研究室のホームページには、著者の講義のための資料なども掲載されていて、本書で取り扱った事故以外にも多くの具体例が取り上げられており、結構参考になりそうだ。本書のタイトルでもある「テクノリテラシー」については、このホームページにも、

コンピュータの読み書き(使い方)を学ぶのが、コンピュータ・リテラシーと呼ばれる。それと類比的に、現代必要とされるのは、テクノロジーの読み書きの能力である。それが、テクノ・リテラシー(technological literacy)である。社会科学のバックボーンを持つ人が、科学的知見を一歩進めると、科学技術政策や科学評論や新製品の開発など様々な方向に展開できる。社会科学の専門家もテクノロジーの個々の分野の専門家も多くいるが、そのインターフェイスになれる人は少ないからだ。
と書かれているように、社会科学側から科学技術側へアプローチした形でまとめられている。例えば、Web上で、読売新聞の書評が見つかったが、確かに一般市民の立場から科学技術の関与した事故を見ると、本書のアプローチが新鮮な印象を与えるようだ。

工学の世界に長く身を置いてきた立場でこの本を読んでみると、本書で展開されている、個々の事例に対する著者の視点や考察には違和感はないし、極めて正統でバランスの取れたものだと感じられる。それぞれの事故については、それこそ失敗知識データベースのような形で様々に検討されてきた内容と大きく異なるものでもないのだが、さすがに社会学の立場から物事を見ているせいなのか、本書には随所に、従来とは微妙に違う視点や切り口からの考察があり、読んでいて新鮮味のあるところだ。

特に、フォードピントの欠陥に絡み、フォードが欠陥対策の検討に際してコストベネフィット解析を行ったことが陪審員の心証を害して懲罰的賠償となった件は、初めて知った内容だが、とても示唆に富む考察がされていて勉強になる。

関西大学のホームページ内に、本書に関する著者のコメントが掲載されている。ここに書かれている

テクノロジーとともに生きる社会では、人工物に媒介された倫理が必要になる。これは、子どもの頃から教えられていた規範やルールとは何か違っている。
ということが、この本の主張の一つの柱となっているのだが、これだけではピンと来ないかもしれない。ここで取り扱っているのは、いわゆる技術者倫理の問題なのだが、製造物責任、そして拡大製造物責任という近年の消費者保護の流れは、開発や製造を行う技術者の立場で考えると、従来の単純な倫理感では説明できない枠組みとなっているということを問題にしているようだ。

しかし、著者が敢えて論点として取り上げている、この倫理の問題については、少なくとも製造企業や技術者の立場では特に問題点という認識はされていないと思うし、それなりに議論され、既に落とし所なり、納得のいく考え方が確立しつつある問題のような気がしないでもない。本書は工学から遠い立場にいる人向けの本という位置づけなので、こういう結論となったのかもしれないし、あるいは僕が工学の立場にどっぷりと漬かりすぎていて、その微妙な感覚を理解できないだけかもしれないのだが。。

いずれにしても、従来の技術者倫理や安全学などとは一風変わった視点が味わえるという点で、技術者にもお勧めの本だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/04/08

「DNAから見た日本人」

別に日本人のルーツがどうのこうのという話には興味がないのだが、DNAから見るという話には魅かれなくもない。例のミトコンドリアイブの話のような解析を様々な集団に対して行った場合、過去の人類の移動や拡散の様子が見えてきそうな気がする。現在の技術でどこまでできるのかにも興味がある。

ちくま新書 525
 DNAから見た日本人
 斎藤 成也 著(bk1amazon

本書は、日本民族の由来に興味のある人を対象読者としているのだろうと思うのだが、いわゆるDNA解析とは何かという話と、人類の出自やその移動に関する従来の知見という話の両方が出てくるので、つぼにはまった人には最適な本かもしれない。しかし、新書1冊に収めるのはやはり相当に苦しいようで、一つ一つの項目が説明不足というか、興味がかきたてられる一方で、中途半端に終わっているような欲求不満も募る。

もっとも著者のホームページが比較的充実しているので、詳細を知りたいときは色々とこちらで勉強できそうだ。

本書では、DNAや遺伝子のことや、進化と遺伝の話、およびDNA解析の方法(中立進化や遺伝的浮動の話に力を入れているし、ハプロタイプをキーとした解析手法も紹介されている)などの基礎知識がコンパクトによくまとまっている。また、人類のルーツを探る部分では、ミトコンドリア、Y染色体、常染色体のそれぞれのDNA解析の結果を、総合的に検討していく様子が紹介されている。

面白かったのは、古代DNAとして、日本の縄文時代の人骨から取り出したDNAを解析した結果などが出てくるあたり。今やそんなこともできるようになっていることに驚かされる。そういえば、恐竜の化石や冷凍マンモスからDNAを取り出す計画もあるようだし、火葬された骨からのDNA鑑定なんてことも話題になった。DNAというのは想像以上にタフな奴のようだ。

なお、本書では DNAからみた人類の系統(分類)とは別に、骨の解析や言語学的な面からの解析も紹介されており、これはこれで色々と考えさせられる。民族の体形(身体や頭の大きさや形状など)は、遺伝的な変化とは別に、食生活やその他の生活習慣でも大きく変わるので、従来の骨からの追跡には限界があり、DNA解析の結果と合わせて再検討されているようだ。

一方で、人類のルーツが一つであれば、いつごろから言葉を使い始め、それがどのように分化していったのか、というような研究に、DNA解析の結果が影響を与えていくというのも面白い。こうやって総合的に見ていくというのは、ある意味で推理小説を読んでいるような趣きがないでもない。(素人がその推理に楽しく参加するには、本書はちょっと情報不足だと思うが。)

最終章は「日本人」が消えるとき、というテーマで、まあ当然の帰結ではあるが、今後ますます世界的な人類の遺伝的な均質化が起こり、少なくとも遺伝子レベルでは人種という分類に意味がなくなるであろう、ということを述べている。文化的にどうなるか、については色々と不確定な要素も多いだろうと思うが、よく言われる「狩猟民族」とか「農耕民族」というような分類が文化的な相違の原因となっているのだとすれば、遺伝的な均質化は文化的な均質化を少なからず誘引する可能性もあるのだろう。

なお、人類を民族に分類する際に、アフリカ人、西ユーラシア人、東ユーラシア人、北アメリカ人、南アメリカ人、サフール人という分け方をするのを初めて知った。サフール人とは、かつて陸続きでサフール大陸と呼ばれていた、オーストラリア・ニューギニアに分布する人たちのことらしい。

本書は内容も文体もかなり堅い本なのだが、この本に書いてあることをネタにして、うまくストーリー展開すれば結構楽しめるお話になると思うのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/03/21

「世界最速のF1タイヤ」

早くも今シーズンのF1グランプリでは第2戦まで終了した。先日のマレーシアグランプリではトヨタが初の表彰台に上った一方で、ホンダは2台とも早々にエンジントラブル、王者フェラーリは7位がやっとという状態で、上位陣の顔ぶれも昨年とは大きく変わっており、この世界の技術的な進歩の早さを示しているようだ。そんな中で発売されたのが、今年もブリジストンのF1エンジニアを率いている浜島さんが書いた本書だ。

F1の成績を左右する要素の中でも、タイヤはその影響力が大きい割には目立たないというか、素人にはさっぱりわからない。エンジンはスペックの数字だけでも違いが感じられるし、悪ければ壊れちゃうし、良ければ最高速度や加速の違いとしてわかりやすい。空力も、見た目で違いがわかるし、それなりに解説書もあるし、情報も比較的豊富に手に入る。ところが、タイヤは見た目では違いがわからないくせに、タイムへの影響は相当に大きいらしい。

今回のフェラーリの惨敗も、どうやらタイヤの責任が大きいらしい。(有力チームの中で唯一フェラーリだけが旧型マシンなので、これもわかりにくいのだが。)そんなタイミングで出た本だけに、その秘密の一端でも垣間見れるのを期待して読んでみた。

新潮新書 110
 世界最速のF1タイヤ ブリジストン・エンジニアの闘い
 浜島 裕英 著、bk1amazon

本書は著者の浜島さんがブリジストンに入社して、F1に参戦するまでの経緯や、そのF1の現場での日々の闘いの様子、それにF1ドライバやチームの横顔などを紹介している。現在実際にF1に参加してライバルチームとしのぎを削っている状況なので、最新の技術の中身を公開するのはもちろん無理だろう。しかも、超多忙な中で本を書く時間などどこにあったのかと思うのだが、どうやら講演会などで一般の聴衆を相手に話した内容をまとめたもののようだ。

F1の世界での技術開発のスピードは、他の通常の企業内の技術開発とは大きく異なる印象がある。ともかく掛けるお金が桁違いに大きいのだが、それに見合ったスピードと成果を要求される。従来特にエンジンやエアロダイナミクスなどの開発については色々と紹介されていたけど、本書を読むと、タイヤの世界の争いも全く同様に厳しい世界だなということは十分に伝わってくる。

本書の主旨が技術的な中身を解説したり、レースタイヤのイロハを説明したりするものではなく、人間的な面などに焦点を当てたもののようなので仕方ないのだろうけど、もう少し技術面にも触れて欲しかった。。 残念ながらF1についてある程度興味があって知識のある人は、内容的に目新しかったり、今まで不明だった謎が解けたりという、お得感が感じられるような内容はほとんど期待しない方が良いだろう。

最近のタイヤをめぐるレギュレーションの違いや、それにも関わらずラップタイムがどれだけ上がってきたのか、その内タイヤの寄与分はどの程度なのか、といったことはタイヤ開発の熾烈さを示すのに格好の材料だと思うし、是非数値で紹介して欲しかったのだけどなあ。あるいは、基礎的なことだけど、レースタイヤの「ソフト」と「ハード」は何を変えているのかとか、レースタイヤの寿命を延ばすために何をしているのか、などの技術的なトピックというのは、よく聞く話の割にはほとんど詳しい情報が得られないのが実情だから、結構コアなファンにはニーズがあると思えるのだが。

なお、ブリジストンのモータースポーツ情報には、F1に限らず、モータースポーツ関連の各種情報が載っている。今回のマレーシアグランプリ終了後のリリースはまだ掲載されていないが、明らかな惨敗を受けてどんなコメントが掲載され、今後どんな巻き返しをするのか楽しみではある。何しろ成績を盛り返さないと、本書の「世界最速」のタイトルが泣くし。。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2005/03/17

「進化しすぎた脳」

サブタイトルが「中高生と語る[大脳生理学]の最前線」となっているので、エッセンスだけを抜き出した入門書なのだと思って手に取らなかったのだが、ベストセラーとなっているようだ。ある日ペラペラと中を見てみたら、予想以上に高レベルで面白そうな内容だと思えたので読んでみた。著者の池谷さんの本としては、「海馬」(bk1amazon)が有名のようだ。それは読んでいないのだが、ブルーバックスの「記憶力を強くする」(bk1amazon)を以前読んでいて、難しい話をとても読みやすく、面白く、そしてわかりやすく、しかも刺激的に説明してくれたという印象がある。

進化しすぎた脳
 池谷 裕二 著、bk1amazon

本書に関連する情報も含めて、著者の Gaya's homepage は内容が充実しているようだ。

さて本書は、現役の高校生を少人数選び、4回に分けて著者が行った講義の内容を本にまとめたものだ。期待以上に知的な刺激を沢山受けることができて面白かった。とても良質の科学書だと思う。

この内容を高校生が読んだり聞いたりして一体どう感じるのかにも興味があるが、少なくとも僕自身が高校生の時にはここに書かれているようなことを、ほとんど考えたこともなかったような気がする。著者自ら「私自身が高校生の頃にこんな講義を受けていたら、きっと人生が変わっていたのではないか?」と自画自賛するだけのことがあって、確かにこんな講義を受けることのできた高校生は幸せだし、人生が変わるかどうかはともかくも、高校生にも迷わず勧めたい。

タイトルの「進化しすぎた脳」というのは、人間は脳のほんの一部の能力しか利用できていないということを指している。もしも人間に指が20本ずつあっても、足がムカデのように沢山あっても、あるいはコウモリのように超音波の受発信装置を持っていたとしても、それらを自在に操る程度は余裕でできるだろうし、逆に言うと脳が体を制御している一方で、身体が脳を規定している側面もあるということだ。

本書では、脳の仕組み、神経細胞の構造、神経信号伝達のメカニズム(ナトリウムチャネルだとかNDMA受容体なんて話ももちろん詳しく載っている)などを解明していく還元的な学問の進めかたの側面について、最新の実験の紹介を含めて十分にフォローしている。しかしそれと同時に、ミクロな部分をいくら見ていても脳全体のことはわからないという観点にも踏み込んでいて、複雑系や自己組織化の話にも話が及んでいる。

また、人間がものをどのように認識するのかとかクオリアの話などに加え、心や感情は脳から見たときにどう捉えることができるのか、など相当に広い分野を見渡している。普段ほとんど意識することがないけれど、人間の認識や行動、あるいは意識をめぐる、なかなか興味深い知見が紹介されている。そういう意味では脳科学だけでなく、ロボットやAIの分野にも通じているし、もっと言えば、広く人間を理解する上で知っておいて損はない基礎知識と言えるのかもしれない。

第一線の研究者が高校生に最新の研究成果を含めて、これだけ幅広く深い内容をたった4回の講義で説明しようという試みは、それだけでも相当に冒険的と言って良いだろう。人に何かを説明するためには、それも好奇心旺盛な高校生を相手となると、単に知識が十分にあるだけでは不十分だろうし、いわば全部まるごと自分の中で整理されている必要があるはずである。それを、ここまでわかりやすく、興味深い話に仕上げた著者の力量には脱帽だ。まだまだ若いし、研究者としても今後が楽しみだ。

なお、本書にはおまけとして「行列をつかった記憶のシミュレーション」という何だか騙されているような、わかったようなわからないような不思議な話が紹介されている。これは、そのまま著者の記憶を行列計算でシミュレートしてみようというページに掲載されているので、ちょっと覗いてみては如何だろう。

* 1箇所だけ気になったのは、p.222に「プラスイオン、マイナスイオンとかってあるでしょ。神経線維にはイオンが流れて、そのイオンの流れが電気信号になって、あっちこっちに伝わっていくんだ。」という部分。「プラスイオン」や「マイナスイオン」という用語は教科書には出てこない用語のはずだ。正しくは、陽イオン、陰イオン、あるいは正イオン、負イオンだろう。

| | コメント (4) | トラックバック (3)

2005/03/03

「原子力と報道」

ダイオキシンだとか環境ホルモンなどでは、マスコミ報道の世論への影響の大きさが実感されたのだが、そういう意味では原子力というのはその元祖のようなものだろう。しかも、決して過去の問題というわけでなく、現在進行形の問題であり、しかも原子力をどうするのかというのは、我々の将来を大きく左右する重要な問題であろう。その原子力をめぐる報道が今までどうであったのかを正面から検証し、今後どうあるべきかを考えようという試みのようだ。

中公新書ラクレ 157
 原子力と報道
 中村 政雄 著 bk1amazon

著者の主張は、東京財団の刊行物で読めるが、ほぼ本書のエッセンスが書かれているようだ。

著者は工学部出身で読売新聞の科学部記者から解説部、論説委員等を経験してきた方で、今は「原子力報道を考える会」のメンバーとのこと。この本は極めて明確に、原子力を推進する立場から書かれた本である。とは言え、科学的に原子力発電の安全性やその必要性を一つずつ検証するというような話ではなく、日本で原子力に対するバッシングが激しいことや、最近の核燃料サイクルが批判されていることなど、原子力推進に立ちはだかる壁の多くはマスコミの不勉強とアメリカ政府の陰謀だ、というような主張である。

ということで、書かれていることをそのまま全部素直に受け止めるのはどうかと思うのだが、さすがにベテランジャーナリストが書いた本は読みやすいし、話としてはとても面白い。そもそも、日本で最初に原子力開発を進めていた頃には、朝日新聞を含めて新聞各紙ともに大歓迎ムードの記事ばかりだった、という事実が紹介されている。これは今の状況を考えると、なかなか意外な事実である。

結局、スリーマイル島の事故やチェルノブイリの事故が全世界的な原子力反対運動につながったのだが、その過程で核兵器の拡散を防ぎたいアメリカの意志が働いて、反対運動を裏で操っていたのだ、というような話が書かれている。どこまでが事実でどこからが推定なのかがよほど意識して読まないとわからなくなってしまう。

世界的に原発離れが起こっているが、実は国毎に事情も異なるし、ヨーロッパでも脱原発をうたっていながら、水面下では原発に戻る動きも起きているということで、一般報道からだけでは事実を知るのも大変なようだ。

ちなみに、桜井淳さんの市民的危機管理入門では、日本原子力界の裏話で、「原子力報道を考える会」の主張が徹底的に批判されている。主張が対立するのは別に構わないのだが、事実認識が両者で異なるとなると、素人はどちらが正しいのか判断するのが非常に困難となってしまう。本当は、事実認識の異なる点について、両者の主張をきちんと丁寧に比較検討すべきなのだろうが、一つが違うと全部を否定するみたいなやりあいになっている感じだ。ざっと見た立場からは、どっちもどっち、という気もするのだが。。

それはともかく、原子力に関連するマスコミ報道が、必ずしも科学的でなく、事実に基づいていないのも確かだろう。特にTVや週刊誌は面白いことを好むし、安全であることよりは、危険である方がニュースバリューも高いだろうから、どうしても真実を冷静に伝えるということができていないと思う。本書では、放射能漏れ事故の報道のされ方などについて、いくつか具体例を紹介し、その問題点を指摘している。

また、マスコミが事件や不祥事を起こした会社等を厳しく追及する反面、自分たちの報道に間違いがあった時の事後の責任の取り方が甘すぎるし、記事に対する品質保証が全くできていない、と批判している部分もその通りだと思う。

それにしても、原子力問題は難しい。その理由の一つは、良くも悪くも、この問題が純粋な技術的あるいはエネルギー的な観点からは論じられず、どうしても政治的な観点が入り込み、しかもアメリカの陰謀があるかどうかはともかくも、国際的な問題となってしまうことだろう。また、リスクとベネフィットで論じようとすると、リスクを受ける集団とベネフィットを受ける集団が大きく異なることや、想定するタイムスケールによって答えが変わってくることも問題を難しくしているのだと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/02/22

「世間のウソ」

実は著者のメールマガジン、ガッキィファイター(有料)を購読している。TBSラジオのサイエンス・サイトークというトーク番組の内容が、新潮OH!文庫から3冊出ており(番組は続いているけど、刊行は止まってしまっているのが残念)、著者とはこのシリーズで出会った。著者はもともと文系なのだが、このトーク番組では科学の専門家との対談が、非常に科学的なレベルで成立しているのが印象的で、中西準子さんとも対談している。一方ダイオキシン騒ぎの時に、その虚構をいち早く見抜いた(「文藝春秋」1998年10月号)ことや、「週刊金曜日」や「買ってはいけない」に対して終始論理的に反論してきたことでも一部では有名だ。

新潮新書 099
 世間のウソ
 日垣 隆 著 bk1amazon

本書はかなり良く売れているそうだ。有料メルマガの読者なので、頼めば著者直筆サイン入りの本を入手することもできたようだが、普通に書店で初版を購入した。

毎週のメルマガで見たような話題がほとんどなので、新鮮味はないが、まとまっていることはありがたい。我々が日頃なんとなく「そんなもんだ」と思っていることの根拠がかなり危ういものであることや、日々のニュースに関しても、その裏側を常に意識して受け取らないといけないことを痛感させられる。

といっても、本書は別に誰かの陰謀を暴くことを主眼としたわけではなく、あくまでも、物の見方を少し変えてみると世の中が違って見えるよ、ということを多くの実例をもとに教えてくれるものだ。まあ、いわゆるメディアリテラシーの一つとして多くの人がこのような物の見方を身につけていることが望ましいのだろうと思われるが、著者もまえがきで書いているように、副作用として多少皮肉っぽくなるという問題がありそうだ。

第一章がリスクをめぐるウソ、第二章が事件をめぐるウソ、第三章が子どもをめぐるウソ、第四章が値段をめぐるウソ、第五章が制度をめぐるウソ、ということで全部で15のテーマについて述べられているのだが、残念ながらそれぞれの話題についての突込みが分量の制約なのか浅い傾向があるので、例題として見る分には良いのだが、個々の話題について深く知りたい向きには消化不良気味だろう。

それでも、日々のマスコミ報道に何となく違和感を覚えるようなケース、たとえば、少年犯罪対策として生きる大切さを教えることが本当に有効なのか、有名人の実名報道は行き過ぎていないか、児童虐待は本当に増えているのか、などのテーマにズバリと切り込んでくれていて、考えるきっかけを提供してくれていると思えば許せるだろう。

鳥インフルエンザ問題についても、これをベースとする新型インフルエンザでの世界中の死者を数億人とする科学者たちの予測は恫喝レベルだという著者の主張には、ある程度は同意したいと思うが、あまり軽視するのも逆に危険だと感じさせられた。それはともかく、鳥インフルエンザ騒動のさなかに、ハトやカラスが死んでいたというだけで連日全国ニュースになっているのが異常だと感じるセンスや、この件での日本での直接の死亡者は自殺した養鶏場の経営者だけだったという、極めて皮肉で不幸な事態であったことに気付かせてくれることがすごい。だからこそ、お金を払ってまでメルマガを読む気にさせられるのだ。

これらの問題への著者のスタンスを見ると、まず全体像を捉えることに努め、たとえ専門家が数字を根拠に主張しても、素人なりに別の数値を調べだし、これと比較検討し、何が真実なのかを追求しようとする、非常にシンプルだが素人にはなかなか困難な方法論を貫く姿勢が見られる。

もう一つ重要なのは、著者のこれらの主張が、決して後から冷静になって見直してみたらこうだった、というような後出しジャンケンになっていない点だと思う。毎週有料のメルマガが送られてくるのでわかる(証拠が残っている)のだが、著者は鳥インフルエンザ問題の真っ最中だとか、少年の犯罪事件が起こった直後に、ほぼこの本に書かれているような主張を正々堂々としているのだ。よっぽど洞察力に優れるか、それともとんでもない頑固者か、どちらなのだろうか。

もちろん著者の主張が全て正しいとは思わないし、あくまでもこういう見方もできますよ、という一例として捉えるべきだろうが、それでも、終始一貫して筋の通った見方ができるようになるためには相当に修羅場をくぐってきたのだろうし、これに対して批判するのであれば、覚悟してきちんと論理的に行わないと相手にしてもらえそうもない。

ともかくも、本書はあれよあれよいう間に読み終えられる。それだけ面白いとも言えるのだが、実は新潮新書はページ当たりの文字数が少なすぎるのではないか? 

ということで、手元の各社の新書の1ページの文字数を数えてみた(暇やな~。。)結果を以下に比較して示すが、直感はやっぱり正しかったようで、新潮新書が一番文字数が少なかった。

*あくまでも手元の数冊をざっと見た限りであり、同じシリーズでも本や時期により異なる可能性もある。

岩波新書        42文字×15行=630文字/ページ
岩波アクティブ新書  40文字×14行=560文字/ページ
岩波ジュニア新書   41文字×15行=615文字/ページ
角川oneテーマ21   41文字×16行=656文字/ページ
講談社現代新書    40文字×16行=640文字/ページ
講談社α新書     43文字×16行=688文字/ページ
講談社BLUE BACKS 43文字×15~17行=645~731文字/ページ
新潮新書        39文字×14行=546文字/ページ
集英社新書      42文字×16行=672文字/ページ
宝島社新書      40文字×15行=600文字/ページ
ちくま新書       40文字×16行=640文字/ページ
中公新書        41文字×15行=615文字/ページ
中公新書ラクレ    41文字×16行=656文字/ページ
文春新書        42文字×16行=672文字/ページ
洋泉社新書       41文字×15行=615文字/ページ
丸善ライブラリー    42文字×15行=630文字/ページ
NHK出版生活人新書 41文字×15行=615文字/ページ
PHP新書        41文字×15行=615文字/ページ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/02/11

「子どもが減って何が悪いか!」

「!」が付いていることもあり、随分挑戦的なタイトルである。これを見たときは、今いろいろと議論を呼んでいる少子化問題や高齢化問題をシニカルに見たものか、あるいは日本では少子化が問題視されてるけど世界的には人口増加が問題であり何を騒いでいるのか、というような話かな、と思ったのだが、帯には『さらば、トンデモ少子化言説 「男女共同参画社会」は、少子化対策にならない!』とある。

「もう牛を食べても安心か」の書評を書くときにみつけた、群馬大学の中澤港さんのところで、この本の書評を見て読んでみる気になった。

ちくま新書 511
 子どもが減って何が悪いか!
 赤川 学 著、bk1amazon

著者のホームページに正誤表が載っているので、チェックするのが良さそうだ。

さて、amazonやbk1でも中々熱い書評が寄せられているようだ。自然科学系の本の場合に比べて、相当に話題性があることの表れだろう。本書の前半は、現在の主流派の「男女共同参画社会を目指すことが少子化対策として有効である」という主張の根拠となるデータを統計的に再検証して、これは誤った主張であると論破している。後半は、我々がどんな社会を目指すべきなのかという著者の主張となっており、子どもが減ったっていいじゃないかという結論へと導かれる。

特に前半の統計的な検証は、政府を始めとして随所で使われている統計データが欺瞞に満ちたものであることを丁寧に暴いている。いわゆるリサーチリテラシーの基本に忠実に、出てくるデータを鵜呑みにせずに、原典に当たってみたら、何と相当に恣意的に統計が利用されていたというわけだ。この主張の統計学的な確かさについては、中澤さんの書評を参考にしてもらうのが良いだろう。

問題は、数字や統計的な用語が沢山出てくる割には、平易な解説をする努力やグラフ等を駆使してわかりやすく説明する工夫がほとんど見られないことだ。そのため、恐らくこの本を読むであろう一般の人々や、男女共同参画社会の推進者に対して、著者が主張したいことが十分に伝わっているかどうか、かなり怪しい。縦書きの文章中に数字が沢山書き込まれていても、読んだだけではまるで理解できない。紙面の都合もあったのだろうが、ここが本書の確かさを決める部分なのだから、もっと図表を多用すべきだったと思う。

女性の社会参加が進んだ国ほど出生率も高いというようなデータは、統計的にはかなり都合の良いデータだけを抜き出したものだということが明らかにされるのだが、確かにこの手の複雑な、多変数が関与する問題を、そんなに単純な関係で表わそうとすることに既に無理があると言えるだろう。貧しい国々は一般的に子沢山なのに、それをとりあえず無視して、適当な範囲の先進国内だけで比較することの合理性も十分に怪しい。しかし、その先進国内だけの比較で見られる相関関係が、決して因果関係ではないことが明らかとされている。さらにここで選ばれた国は、かなり恣意的に選択されたものであることも指摘されているのだ。

子どもが減っている原因として、晩婚化や未婚化が大きいはずなのに、子育ての経済的な負担を減らしたり、男性の子育てへの参加を促進するような対策が少子化対策の切り札として出てくることへの違和感が、本書を読むとすっきりとさせられる。著者がしつこいくらい何度も書いているように、男女共同参画社会を目指すことを否定するわけではなく、それは少子化対策の決定打とはならないだろうということだ。

著者も指摘するように今さら昔の子どもが多かった時代に戻ることを目指しているわけでもあるまいし、何故、貧しい社会は子沢山で、豊かになるほど少子化していくのか、という一般的な傾向への考察も不十分なままでいいのかという疑問もある。むしろ少子化社会というのは、ある意味で我々がずっと目指してきた理想的な社会の一つの側面なのだろうという気がする。

本書では、従来の少子化問題に関する様々な主張がかなりバランス良く紹介されているようで、従来のそれぞれの立場の問題点を丁寧に述べている点も好感が持てるし、参考になる。もちろん、著者の主張に対する反論も収録されており、それに対する著者の反論も載っている。

少子化現象は避けることができないものであり、むしろ少子化社会の到来を前提として社会設計をするべきである、という本書の主張は極めて正論だと思う。ただし、では少子化の進んだ社会の行き着く先がどんな姿なのか、そこで豊かな生活を送ることができるのか、といったイメージがほとんど描かれていないので、読んだ後にちっとも元気が出てこない。むずかしい問題だろうが、あと一歩踏み込んで、あるべき社会像を提示してくれればありがたかったのだが。。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/02/03

「安全と安心の科学」

最近「安全と安心」というキーワードを頻繁に見かけるようになってきたが、本書は正にそれをストレートにタイトルとしている。帯には「『安全』は、達成された瞬間から、その崩壊が始まる!」というもの。多くの場合は、むしろ安全は達成することがそもそも困難とも言えそうだが。。

集英社新書 0278G
 安全と安心の科学
 村上 陽一郎 著 bk1amazon

本書は、

序 論 「安全学」の試み
第一章 交通と安全 -事故の「責任追及」と「原因究明」
第二章 医療と安全 -インシデント情報の開示と事故情報
第三章 原子力と安全 -過ちに学ぶ「安全文化」の確立
第四章 安全の設計 -リスクの認知とリスク・マネジメント
第五章 安全の戦略 -ヒューマン・エラーに対する安全戦略
という内容であり、これを見ると明らかなように、「安心」についてはほとんど取り扱っていない。著者はここ数年、「安全学」という学問領域の設立を提唱しているらしく、「安全」については、さすがに充実した内容が書かれているのだが、「安心」については序論で多少触れられている程度である。恐らく「安心」というキーワードが流行しているので、タイトルに無理やり放り込んだような気配が感じられる。

まあ、それはともかくとして、本書は仕事などで安全に係る人達には一度目を通して欲しい本だ。正統派の教科書としても使えそうだ。化学系の会社で徹底的に「安全」を叩き込まれた身としては、当たり前の話も多いのだが、それでも、交通事故や医療事故に対する考え方などはとても参考になる。安全関係はどうしても狭い所をつつくようなことが多いけど、こういう本を読むと視野が広がる感じがする。

特に交通安全に関する著者の考えや提案は考えさせられる。そもそも現代社会で交通事故の被害が非常に大きなものなのに、そういう現実に慣れてしまったために、その被害の大きさを正しく認識していないという指摘。さらに事故情報の詳細は、警察と保険会社などに蓄積されていて、それが事故防止という観点から有効に使われているとは思えないこと。例えば航空機事故の際には、事故原因の究明と対策立案は、事故の責任追及とはまったく独立して行われていることと好対照であることが指摘される。

そして、交通事故被害を減らすための事故原因の解析や有効な対策の立案のために、警察が独占的に持っている情報を有効に利用し、国家的にもっとお金を使っても良いだろうという提案がなされる。これは、それなりの対策をとれば(道路環境や自動車の改良など)、相当に交通事故の被害を小さくできるはずだという信念でもある。

医療事故対策としても、「人間は必ず間違える」という基本的な思想が欠けているのが問題だという主張のもとに、いくつかの実例を交えて「フール・プルーフ」と「フェイル・セーフ」という考え方について展開する。

リスク・マネジメントについては、人間のリスク認知の特性(交通事故リスクは過小評価し、ダイオキシン被害リスクは過大評価するというような)にも触れている。なかなか興味ある論理展開がなされているし、正にここが「安全」と「安心」の接点となる部分でもあるので、もっと深く突っ込んだ議論が期待されるのだが、残念ながらこの部分は中途半端な印象だ。

また、これらのリスクにどう対処していくのか、という後半の議論もなかなか面白い。科学的合理性だけでは解決は困難で、社会的合理性(例:より安全な物質が規制される一方で、はるかに有害なタバコが社会で認められている)も重要であるという話や、予防原理や規制科学(regulatory science)についても軽く触れられているが、ここも中途半端だ。

本書は、安全と安心のうちの安全の部分を中心に書かれた本であり、安全と安心を考える上では、イントロに過ぎないと思う。著者には、是非、続編として安心の部分に突っ込んだ本を書いて欲しいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/27

「これからの環境論」

シリーズ「地球と人間の環境を考える」の新刊が出た。No.10と11を飛ばして、先に出たのがNo.12。どうやらこれがまとめという位置付けのようで、表紙も今までのシリーズの表紙のコラージュとなっている。このブログで紹介したのは、
  No.5 エネルギー
  No.7 水と環境
  No.8 ごみ問題とライフスタイル
  No.9 シックハウス
であり、今後出版される予定なのは、「No.10 バイオマス」と「No.11 畜産と食の安全」である。

シリーズ 地球と人間の環境を考える 12
 これからの環境論 つくられた危機を超えて
 渡辺 正 bk1amazon

著者の渡辺さんは、話題となった「シリーズ No.2 ダイオキシン 神話の終焉」の著者の一人でもあり、非常にシニカルな視点から環境問題を斬るので有名。以前、ある所で聞いた渡辺さんの環境観は、「21世紀は食糧難で大量の餓死者が出る時代となるだろう。であれば、寒冷よりは温暖が良いし、CO2は食料生産にプラスだろうから、温暖化の方が総合的には受容可能である。」というようなもので、「そもそも地球が温暖化しているのか、炭酸ガスがその原因なのか、といった点が不確実であるけれど、それは別にしても、無理に温暖化を止めるのは却って有害かもしれないよ。」というご意見のようだ。

さて本書では、酸性雨、地球温暖化、ダイオキシン、環境ホルモンについての騒動を、天然物質や日常の有害物質の問題を比較しながら、大騒ぎする必要は全くないのだ、という立場で述べている。まあ、非常にわかりやすいというか、過激というか、相変わらず思い切った主張であり、こういう本を出すのはそれなりに勇気がいるだろうと思う。本書の中では、何度もロンボルグの「環境危機をあおってはいけない」が参考として取り上げられている。

本書は、全部が会話形式となっており、渡辺先生と文系出身の若い女性とがお酒を飲みながら軽いノリで環境問題を斬りまくるという構図だ。わかりやすいといえばわかりやすいのだが、乱暴といえば乱暴な議論でもあるかな。まあ、厳密な話はそれぞれの本を当たってねということだろう。

面白かったのは、「ダイオキシン」を出版した後の反響についての部分。市民団体との討論や議論などの後日談が読める。一部からは、随分強引な論理の反論があったようだが、全体としては好意的に受け入れられたらしく、予想していたよりは強い反発はなかったみたいだ。

個別の問題の解釈については、一部を除くと全体的には賛同できるのだが、地球温暖化についてはどうだろう? 確かに、地球全体の温度測定や、二酸化炭素との因果関係という点では不確実な要素があるし、しかも京都議定書は、たとえアメリカが参加して、その初期の目標が全て達成できたとしても、地球の持続可能性への直接的な効果は極めて限定的だろう。

しかし、このまま進めば地球の資源は確実に枯渇に向かうし、大気中のCO2は急激な増加を続けるだろう。であれば、少しでもその進行を遅らせるためにできる努力はしておきたいし、その中から資源効率やエネルギー効率の画期的に優れた製品や技術、あるいはライフスタイルを作りだしていかなくてはいけないと思うのだが。。

さらに、今のところは功を奏しているとは言えないけれど、「地球の危機」というキーワードで国際的な協調が進むのであれば、それはとても結構なことだろう。確かに、そのためならウソをついても良いのか? というと違うだろうと思うけど、地球温暖化はともかくとして、資源の枯渇やCO2の増加はウソじゃないわけだし、そちらの線で進めたらどうだろうかと思う。

本書のタイトルは「これからの環境論」となっているのだが、残念ながら環境問題の将来像の提示に成功しているとは思えない。 しかし、少なくとも現在の日本の環境問題を考える上で、本書に目を通しておくことはとても大事だろうと思う。「一体何が問題なの?」という立場から科学的に論じている本書の主張を真正面から受け止めて、その上で、(決して感情論ではなく)同じ科学的な土俵の上に立って、より建設的な将来像を描き、お互いに模索していくことが必要なのではないだろうか。

*環境問題を考える教科書としても使える、非常に広範囲にバランス良くまとまっているものとして、日本化学会が1999年に出版した『「環境」を化学の目で見る 「総合的な学習の時間」に向けて』という冊子がある。この中の、渡辺さんが地球温暖化問題を論じた記事(化学と教育 vol.46, No.2, p.76-79, 1998)が非常に印象に残っている。

地球の温室効果は水の寄与がそのほとんどを占め、CO2の寄与はわずか数%であり、今さら少々CO2の排出を削減しても、それがどれほどの効果があるのやら、どちらにしても化石燃料を使う限りはCO2は増え続けるし、しかも本当に温暖化するかどうかはわからない、という内容だった。

今回、それから7年が経過し、その間にこの分野では相当に情報が増えたはずなのだが、渡辺さんのスタンスは、多少歯切れが悪くなった印象もあるものの、余り変わりがないようにも見える。これは、結局この7年間に地球温暖化関連の情報は増えたけど、その詳細なメカニズムの理解や今後の予測については、思った程は進歩していないということかもしれないし、CO2の排出量を効果的に削減する持続可能で受入れ可能なシナリオがまだ見出されていないということなのかもしれない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/01/21

「もう牛を食べても安心か」

タイトルからは、BSEについての最新の情報が詰まった本のように見えるが、実際は少し趣きが異なるようだ。タイトルが「安全」ではなく「安心」となっているところもポイントかもしれない。著者の名前はどこかで見たことがあったのだが、科学書の翻訳などをしている分子生物学者だ。

文春新書 416
 もう牛を食べても安心か
 福岡 伸一 著 bk1amazon

bk1やamazonのレビューでは相当に評価が高いのだが、読むと随所で違和感を感じさせられる本である。専門的な見地からの書評としては、群馬大学の中澤さんの書評が詳細にわたってコメントしてあり、とても参考になる。

本書は、BSE(本書では頑固なまでに「狂牛病」という表記をしているが)騒動が、人為的に発生したものであり、それは結局は、人々の間違った生命観に起因するものだ、というような立場で書かれている。そして、シェーンハイマーという科学者が提唱した「動的平衡論」(生物の体を構成している物質は原子・分子レベルでは常に、予想以上の速度で入れ替わっている)を軸として、「循環する」という生命観、世界観に従って、BSE問題などを論じている。

BSEについては、過去の研究からプルシナーまでその研究内容を、かなり詳しく紹介した上で、現時点では確かに異常プリオンがBSEの原因と考えられているが、実際には疑問点もまだまだ多く、「真犯人は、やはり未知の、非常に見つかりにくいウイルスであり、宿主の細胞に感染する際に、プリオンタンパク質が足場(レセプター)として必要である(p.192)」と考えることもできるではないか、と主張する。確かに、研究の歴史の長さや現在の研究手法や分析技術の進歩を考えると、いかにもまだわかっていないことが多い病気のようだ。

その上で、原因もまだ完全に解明されていないし、特定危険部位以外が完全に安全だという保証は何もないのだ、といういくつかの具体的事例を紹介した上で、だからこそ全頭検査は必要だという結論を述べている。完全に解明されていない以上、リスクが残っているではないか、ということなのだが、それはその通りだろうが、だから全頭検査が必要かというと、それは違うのではないか?

たまたま、今日の新聞(YOMIURI ON-LINEなど)に、マウスでの実験によると特定危険部位以外の部分にも異常プリオンが蓄積するというニュースが出ている。しかし、これはマウスの脳などへ直接注射しての実験であり、通常の食事からの感染ルートとは随分状況が異なることに注意が必要であろう。

本書でおもしろかったのは、イギリスの牛にBSEの大感染を引き起こした原因が、生後まもない幼牛に、スターターと呼ばれる、肉骨粉を水に溶いた代替乳を飲ませたことにありそうだということ。本来、タンパク質は消化器官で酵素により分解され、そのまま体内に取り込まれることはないはずなのだが、この期間だけは、母親からの免疫抗体を受け入れるために、タンパク質を体内に取り込むようにできているのだそうで、そのために異常プリオンが消化器官をすり抜けて取り込まれたのだろう、という推定である。

だとすると、ヒトが牛肉を食べることで新型CJDに感染するのはどういう機構なのか? まだ不明の点が多いにしても、体内に異常プリオンを直接注射したような調子で簡単に感染するとは到底思えない。もしも、肉骨粉の使用禁止が守られているとすれば、現在では牛への感染は相当に抑えられているだろうし、牛肉を食べるリスクは今後さらに低くなるのではないだろうか? 牛への感染ルートを推定していながら、一方では、ヒトへの感染はどうやって起こるかわかってないから不安だ、と大声で言うのはダブルスタンダードではないのだろうか?

さて、本書ではリスク分析の手法がポリティカルであるとして、真っ向からそれを批判しているのだが、その論理は、リスク分析を考える上でとても(反面教師的な意味で)参考になる。

死者の数を比較し、フグ毒と狂牛病を比較する。死者の数だけを比較して物事を論ずるのであれば、年間一万人が死ぬ自動車事故に比べてすべてのリスクはたしたものではなくなるだろう。リスク分析はあらゆる死者をフラットな数値に浄化してしまう。しかし、フグ毒で死ぬ人と狂牛病で死ぬ人は同じではない。これは実質的に同等ではない死者である。フグはある意味で時間の試練をくぐり抜けて私たちに納得されたリスクである。対して、狂牛病は人災であり、人為的な操作と不作為によって蔓延した、全く納得のできないリスクなのだ。

リスク分析は現状を受け入れてその順位づけと線引きを行うことしかできず、リスクのもつ歴史的な意味を解読する力はない。リスク分析は現状を改革する熱意もその力も持ち合わせてはいない。(p.231)

著者の主張は一般には受け入れられやすいだろうと思う。同じように、突然訪れる理不尽な死であっても、受け入れられるものと受け入れがたいものがある、というのは感覚的には理解できなくもないのだが、それは何故なのだろう? フグで死ぬのは本当に納得できるのだろうか? だとしても、それは長年身近にあったからということでいいのだろうか? それでは、新しいリスクは全て許容できないということだろうか?

しかし、この主張は、批判の対象である「リスク分析」を進めている、中西さんらの主張を理解した上のものとは思えない。限られた地球上の資源の下で、限られた資金を使って活動する以上、客観的な「順位づけ」をすることで結果としてより多くの人々の利益につながる行動をしよう、というのがリスク分析の精神だろう。現実には、各論の部分で個別の利害が対立する事態は避けられないし、対立する利害を調整するのだからポリティカルに使用されるのは当然だろうと思うのだが。つまり、科学的な手法で得られた結果をどう判断して、どういう対策をとるのか、というのはすでに科学の領域の外の問題なのだ。

著者の、循環をキーワードとした生命観や環境観はそれほど違和感なく受け入れられるのだが、そこで想定されている時間・空間スケールが大きく異なっているのかもしれない。今の日本人だけ考えれば、もちろん無理してアメリカから牛肉を輸入して食べる必要なんかないんだから、輸入は時期尚早と言う結論は別にいいのだろうけど。。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2005/01/18

「占いの謎」

著者は東京医科歯科大学の文化人類学の教授。ということで、本書は文化人類学の面から占いやそれに類する様々なことがらを考察したもの。このうち、第二章が「占いと科学」となっており、血液型占いと夢占いを検討対象としている。

実は元日に、例年通り神社へ初詣に行き、習慣でおみくじを引いて、今年は珍しく「大吉」だったので何となく良い気分になったりしたのだが、別に今年の運勢が特に良いと信じているわけでもない。これって恐らく大多数の人の感覚とそれ程ずれてないと思うのだが、これが占星術や血液型占いとなると、人によって随分その捉え方に違いがありそうにも思う。

文春新書 412
 占いの謎 -いまも流行るそのわけ
 板橋 作美 著 bk1amazon

文化人類学については全くの門外漢なので、実は本書を読み通すのは、やや単調な所もあって苦労した部分もあるのだが、一方で、占いや迷信に対するアプローチの仕方として「ほー、そういう見方もあるんだね。」という新鮮さが結構あった。

本書では、血液型占いや西洋占星術も、陰陽、五行、九星、四柱推命、風水などと同列に扱っている。また、科学的に根拠のありそうな言い伝えと、どう考えても根拠のなさそうな迷信も一緒に扱っている。おいおい、それでいいのか? と突っ込みたくなりながら読み進むうちに、「なるほど、そういう考えもあるなあ。」と妙に納得できるのが面白い。

本書で論じられているのは、まさにタイトル通り、これらの占いや言い伝えが、何故古くから今まで流行り続けているのか? ということであり、その占いや言い伝えの信憑性は、まあどうでも良いのだ。

簡単にまとめると、人々は、この予測不可能な世の中を無理やりパターン化することによって、世界を体系的に秩序化したものとして理解し、それによって不安から逃れようとしているのだ、というような考え方である。そのために、物事は白か黒か、という具合に二項対立的に分類される傾向があり、本来は必ずしも対立していないはずの、複雑で連続的な事象が対立概念として捉えられるのだ、と考察している。 そういう目で様々な占いや言い伝えを見ていくと、確かにそうかもしれない。血液型占いで、何故かA型とB型の性格は対立するものとなっているなんてこともその一つの表れだろう。

本書には、各地に伝わる言い伝えが非常に沢山収録されており、それだけでも面白いのだが、これだけ集めると、当然のことながら同じ現象を見ても、違う結論を伝えるものもある。 ということは、数ある言い伝えのどれかは、たまには当たるということでもある。占いにしても、はずれたことは忘れられ、当たったことだけが印象に残り、会話の中にも出てきがち、という側面がありそうだ。

本書の「おわりに」で紹介されているのだが、国会図書館におさめられている占いに関する本の数は、1950年代から1990年代までの10年ごとに、11冊、42冊、167冊、323冊、564冊と増加の一途をたどり、さらに2000年が168冊、2001年が101冊、2002年が81冊、2003年が172冊となっているそうだ。この数字から科学離れとの相関を論じるのは無理だろうけど、これだけ科学技術の恩恵を受けている世の中で生活しながら、一方で占いのようなものが流行るというのは、確かに社会的な面から考察するに値するテーマなのかもしれない。

そういえば、自動車免許の更新に行った時に、そこで更新手続きをするために集まっている人達は、ほとんどが同じ星座の生まれだと気付いたことがある。もちろん、少し観察していると、同じ星座の生まれでもいろんな性格の人がいるのがわかるし、随分違う運命の人がいそうで、星座占いとの関係を考えるのも結構楽しかったりする。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/05

『「壊れぬ技術」のメダリスト』

「メタルカラーの時代」の文庫版シリーズの第9巻。このブログでは、第6巻「ロケットと深海艇の挑戦者」と第7巻「デジタル維新の一番走者」を紹介している。最近のこのシリーズは、各巻毎に統一したテーマがあり、今回は、阪神・淡路大震災後の復旧作業や明石海峡大橋の建設作業を中心とした、土木建築技術の話である。

小学館文庫
 文庫版 メタルカラーの時代 9
 「壊れぬ技術」のメダリスト
 山根 一眞 著 bk1amazon

昨年は大きな台風被害があったり、新潟とインド洋で大きな地震があったりと、改めて自然災害の破壊力や人間の築き上げた構造物の弱さを痛感させられた。そのため、どうしても悲観的な物の見方をしがちだけど、この本を読むと非常に希望が湧いてくる。

マスコミは起きた災害の悲惨な側面を強調して報道してくれるけれど、本書によると、比較的新しい建築物は、我々が考えている以上に地震に強いようだ。高層ビルや高架橋のような大型の構造物だけでなく、ガス管や水道管なども新しい技術を使っているものは、阪神・淡路大震災程度の揺れであれば、壊滅的な被害とはならないレベルにあるということらしい。もちろん、基準策定の際に想定した規模を上回る災害が起これば、それなりの被害は避けられないだろうが、それを言い出したらキリがない部分もあるのだし。

また、新たな災害の度に被害状況を解析し、新たな基準が設けられ、それに対応した新たな技術が開発されて、、、という具合に技術はどんどん進歩しているんだ、という確かな感触がある。年がら年中あちこちで日常的に行われている道路などの工事も、老朽化した設備を新たな基準に合わせた新しいものに替えたり、補強したりというものも結